孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

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第2次世界大戦の飛行機 番外編

2020年03月08日 00時00分00秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

今回は真打(ゼロ戦)登場前の番外編をUPします。
なんせ、そろそろ打ち止めが近いので…
各種の飛行機をupするにあたり調べて今まで知らなかったことがいくつかありました。
1: 地元、立川は戦前は立川航空機などがあり、飛行機の街であることは認識していました。
2: 陸軍の一式戦(隼)は中島航空機製ですが、立川でも生産されていたこと。
   立川で赤とんぼ程度の飛行機しか作っていなかったと思っていた。
3: 同じく、海軍のゼロ戦も三菱製ですが、中島でも生産されていたこと。
立川飛行場は、戦前には東京~大阪間の民間定期便も開設されていた空港です。
東京~大阪間は3時間だったそうです。
羽田に空港が出来て民間路線はそちらに移った。
そんな立川の街で今でも当時の面影を残すものを紹介しましょう。

旧立川飛行機工場の給水塔(立川市)
旧立川飛行機の工場給水塔です。立飛ホールディングスの敷地内にあります。
昭和13年(1938年)建築で、モノレール高松駅近くに現存する建物です。
奇跡的に戦争での空襲などの被害を受けていないのでしょうか。建物の外観自身はきれいです。
またこの立飛ホールディング敷地内の倉庫は戦前からの物もあるようで、飛行機の格納庫として使用していたようです。
(撮影:2020年3月)

中央の丸い建物が給水塔です。 左端はモノレールです。

 


旧日立航空機株式会社変電所(東大和市)
この変電所は都立東大和南公園の敷地内にあります。 公園は玉川上水駅から徒歩10分程度です。
日立航空機株式会社立川工場の変電所で、戦前この工場では航空機のエンジンを製造していました。
1945年2月、4月の空襲で航空機からの機銃掃射、爆撃の影響で建物は無数の弾痕などの跡が残りました。
なお、この変電所は奇跡的に戦後の1995年(平成5年)まで稼働していました。
コンクリートの外壁の穴の一部は貫通しています。戦争の悲惨さを今に伝える史跡の1つと思えます。
(撮影:2019年6月)
参考: 戦災建造物 東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所
https://www.city.higashiyamato.lg.jp/index.cfm/34,63727,359,html


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