孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

あれから2年 東日本大震災

2013年03月11日 23時00分00秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)
2年前の2011年3月11日、東日本大震災発生の日。
あの時、東日本が大変なことになっているのを知ったのは、息子からの電話。
丁度、重要な会議中だったので、自身の状況を知らないあたしゃ“今、仕事で重要な会議中”と不機嫌そうな声で告げ電話を切ったのを覚えている。 (息子よ、ゴメン)
しかし、東京が火事になっている、大きな地震とのことだったので、会議を終わると、半信半疑の状態でネットで地震の報道を知り、NHKで津波の様子が報道されているのを見て唖然としたのを覚えている。
オフィス内の各社は情報収集に駆け回っているところだったが、お互い話をしても分からない事だらけだった。
やがて、日本への電話もネットも回線の状況が悪化して通じなくなり、息子からは通常のメールアドレスではなく別サーバー経由でメールが入ってきて家族が安全である事を知りホッとした。
夜はたまたま来ていた東北に工場があり家族の安否を心配している出張者の情報に一緒になって喜んだり、まだ○○氏の家族は連絡が取れないと知り一緒に落胆した。

津波は6mと報道されれば、大体その3倍の高さの津波になることは、各種リスクが専攻なので大学院の授業で習っていて知っていた。
過去に津波がここまで来たという警告の碑がありながら、その下に家が建っているという事実もリスク学で習っていた。
(人間は過去を忘れてしまう生物だと感じながらも、津波のリスクまで忘れてしまった、または伝承されていな買ったのだろう。 そしてリスクを正しく認識していた地域は、いち早く非難なり日頃の対応を心がけていたのだろう)
テレビではいつになっても三陸の状況は報道されていない。
だから、三陸は大丈夫だろうかと何度も独り言で口走っていたことを思いだす。
2011年3月11日は北京に住んでいても長い夜だった。

あれから2年、被災地の復興は進んでいない。
組織の壁、被災者どうしの見解の違い、政府対応の遅れ、など等・・・
対応の遅れが、さらに被災者を苦しめている。
多くの方が行方不明のまま、あらためてご冥福を祈りたい。


津波の実験装置は、静岡市の東海大学海洋科学博物館にある。
地味な実験装置であるが、実際の事として眺めるとが出来る感覚の人であるならば、一見の価値がある。
この津波実験装置は毎日何度か公開実験を行っている。
http://www.umi.muse-tokai.jp/exhibit/perm/current/m_science/okugai00.html




青島の旅 Part 5 海軍博物館

2013年03月11日 01時41分14秒 | 旅行(中国)
今回の青島の中で、行きたかった場所の1つが海軍博物館。
ビールの街の青島は海軍の街でもある。 最近は空母遼寧の母港が青島となった。
遼寧も見たかったが、中国の事なので、そう簡単に見れる場所に停泊していないだろう。

青島の海軍博物館には潜水艦があり、その潜水艦に乗ることが出来る。
勿論、旧式なドン亀の潜水艦なのだが、それを楽しみしていたのだが・・・

海軍博物館の入口 (2013年3月9日)
入ろうとすると、守衛に止められた。
話を聞くと(良く分からない中国語でまくし立てられた)なんと休業中。
チケット売り場も閉まっており、内部を良く見ると建物の改装中(というか建て直し中)


この潜水艦に乗りたかったのだが・・・


敷地の間から、艦艇がみえる。 なんとか艦艇が見える場所が無いか思案したら、対面の小青島まで行けば反対側から見えそうなので、テクテクと歩くことにする。


歩くこと30分くらいか、突然歩いていた壁の上から航空機の垂直尾翼が見えた。
壁をよじ登ってのぞくと、写真のように無造作に航空機が置かれていた。
ピンポーン!! 反対側からのぞく事に成功。さらに小青島に向かって歩くことにする。


小青島からも入口があり(こちらも閉まっていましたが)、魚雷艇や砲塔がこれまた無造作に置かれていた。
砲塔の前にあるのは犬小屋です。(いかにも中国!!)




展示している旧式の駆逐艦級の艦艇が見えました
イメージ的には戦後建造の駆逐艦を何度か改修して当時の新鋭装備を載せたって感じがする艦艇です。











残念ながら潜水艦は見つけられませんでした。
入場料は高いので、外観だけなら、小青島への10元だけの出費で得した感じ・・・
海軍博物館の再オープンは当分先だろうなぁ。

青島の旅 Part 4 青島ビール博物館

2013年03月11日 01時01分01秒 | 旅行(中国)
青島と言えばビール。 青島ビール博物館にも行って来た。
青島ビールは1903年操業開始。 ドイツ、日本と経営者が変わったが博物館を見学すると日本人の経営時代の初期のビール製造方法を展示している。
ビール博物館は青島市の旧市街にあり、近づくと青島ビール街としての親しみを感じる中にある。
入場料は50元。 たっぷり1時間強、楽しめる博物館です。

1916年「大日本麦酒株式会社」がこの工場を買収し戦前は朝日、ヱビス、サッポロといった日本ブランドのビールが生産され、当時の日本人経営者のお茶碗等の生活用具(って、そんなの展示必要なの??)まで展示されていました。

青島ビール博物館の入口


青島ビール内の建物


屋上のビールを拡大すると、


この建物の中がビール博物館なのだが、中国語表記と英語記載ってまったく別の事が書いてある??
なぜ??


構内にある酒の神様の像


青島ビール池


当時は三ツ矢サイダーも製造していたのだろう・・・


当時のビールの製法を紹介






各社のビールを展示


無濾過ビールが試飲できます。
ビール工場の貯蔵タンクにある無濾過のビールが、最も美味しい。 その無濾過ビールが試飲できます。


ビール博物館の通りには写真のようにビール・ビール。 ビールの街です。