<中国ブログ>中国サイコウ 元/上海駐在日本人が綴る日中経済の状況など

中国駐在時代の経験・知識をもとに、
最高(サイコウ)の日中関係の再構築を目指し、
日本と中国を再考(サイコウ)する

日本の外国語教育に思うコト・・・

2013-05-22 | 日記

珍しく近い間隔での更新となります。
上海駐在の頃は結構やってたんですけどね。
でも、前回は超ひさしぶりに更新したにも関わらず、思いのほかアクセス数が多いことに驚いています。
と同時に、もっと頑張って記事を書かないと・・・と改めて思った次第です。

ってなことで、今回は日本でも話題になっている「外国語教育」について。
日本で外国語教育というと、専ら英語教育ってことになりますね。
まあ、現時点では英語が世界の公用語という認識が一般化されているので、これはこれで当然と言えば当然ですが、10年後、20年後を考えたときに、果たして英語さえ話せればいいと言えるのかどうかは意見が分かれるところだろう。
その最たる例が中国語でしょうね。

ご承知のとおり、中国の人口は13億人。
これに加えて、香港、マカオ、台湾は確実に中国語圏(簡体字と繁体字という違いはあるが)であり、東南アジアを中心とする全世界には華僑も存在するから、人口で言えば中国語は英語に匹敵するほどの力を持つことになる。
その上、中国の経済力、国力が強大になるにつれ、単純に「商売」という観点からも中国語のパワーは増していくものと思われる。
コレ、もはや好きとか嫌いとかの問題ではないです。

ここで、話をいったん英語に戻すことに。
日本の教育現場では皆さんもご経験があるとおり、古くから英語教育が行われてきた。
つまり、ほとんどの日本国民が中学・高校を中心に英語を学んでいるワケだが、果たしてどれだけの割合の方々が英語で会話する能力を身につけていると言えるだろうか?
残念ながら、その割合は大きくないと言わざるを得ない。
これはなぜか・・・?
これも大多数の方がお気づきのとおり、「英語教育のやり方」が問題ということ。
だって、受験英語を必死でやったところで英会話力なんて身につきませんから。。。


【上海関連の情報が満載の「にほんブログ村 上海情報」はコチラ】


こうした苦い経験がありながら、日本ではいま「小学何年生から英語を正式な科目とするのか?」という議論がまたもや巻き起こっている。
うーん・・・何か違うような。。。
確かに「いつから始めるか?」も重要だけど、問題は「どんな英語教育をするか?」でしょ。どうも本末転倒のような気がしてならない。

仮に、小学5年から英語を正式科目に決定したとする。
この場合、小学教育の現場では、基本的に学級の全科目を一人の担任が教えているため、当然ながら英語も担任が他の科目と同じように教えることになる。
これで、本当に子どもたちの英語力を向上させることが出来るのか・・・?
この点に関しては、今までの英語教育で既に答えが出ていると思うんですよね。
ハッキリ言って、受験英語の予習的な役割しか果たせないだろう。

その意味では、あくまで私見だが、今回の議論はもっと全般的に考えるべき課題だと思う。
つまり、小学校から高校までの期間を通じて、どのような英語教育を施せば子どもたちが楽しく英語を学べるのか、そして将来、世界で活躍できる人材をどのようにして生み出していくのか、ということを議論すべきなのだ。
こう考えると、小学校、中学校、高校というステージ毎に施されるべき教育が違ってくるというのは必然のことだと感じる。

筆者が思うに、日本の英語教育に欠けているのは「興味を生み出す工夫」。
私の身近にいる英語堪能な皆さんは、何かしら英語に関連する興味・関心を持っていた。要は「好きこそモノの上手なれ」なのだ。
ただ、日本の場合、悲しいことにこの興味は個人に依拠しており、学校教育が動機づけという点で果たした役割は小さいと言える。
上記のように考えると、幼少期であればあるほど、まずは「英語って楽しい」、「英語を学べば、色んな経験が出来る」ということを伝えるべきなんでしょうね。


【中国関連の話題が満載の「にほんブログ村 中国情報(チャイナ)」はコチラ】


筆者自身は大いに不満だが、日本の偏差値・内申書重視の教育体制はしばらく続くに違いない(残念ながら)。なぜなら、日本の社会はこうした仕組みに慣れきっており、現時点では世界の変化に対応すべきということに気づいてはいないからだ。

ただ、企業の採用時に求められる人材の理想像は明らかに変化してきている。
企業がいま求めているのは、「自分で考え、自分で行動できる人材」だ。
そう考えると、日本の通常の教育では身につけることが難しい外国語を習得しているというだけで大きな特性になり得ると言える。

もっとも、既に英語をそれなりに操れるという人材は増えてきており、今後は語学力だけで勝負するのは限界がありそうだ。いや、この点では現在も状況は同じと言っていい。

筆者も中国語・英語とも中途半端なレベルなので、あまり偉そうなことを言える立場ではないが、ひと昔前に「語学堪能」というと、なぜか「仕事は今ひとつ」という人材が多かったように思う。これは、本人の語学力というものが、個人の趣味の延長だったという性格が強かったことが原因と思われる。
いまでもこの類の方、よく見かけますよね。

大切なことは、「喋れる」ということではなくて、「話せる」ということ。
よく言われるように、言葉はツールに過ぎませんからね。
でも、外国語というツールがないと、海外では何のコミュニケーションも成り立たないというのも事実。
理想を言えば「何のために外国語を学ぶのか?」を意識しながら、積極的に外国人との会話を楽しみ、世界基準の感覚を磨いていくことが重要なんでしょうね。
自戒の念も交えつつ、若い世代には大いに外国語を楽しんでほしいと思う次第だ。


↓ご愛読ありがとうございます。よければ応援クリックをポチっとお願いします。(ブログランキングに参戦中)

にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿