<中国ブログ>中国サイコウ 元/上海駐在日本人が綴る日中経済の状況など

中国駐在時代の経験・知識をもとに、
最高(サイコウ)の日中関係の再構築を目指し、
日本と中国を再考(サイコウ)する

大震災が与える日中経済への影響②

2011-03-28 | 東日本大震災
前回に続いて、大震災が与える日中経済への影響を考えてみたい。

震災から2週間が経過し、一部企業で生産再開などの動きが見受けられるが、基本的には大手企業中心である。
日本経済の担い手である多数の中小企業は、復旧のメドすら立っていないところも多い。

元来、中小企業はコツコツ努力を積み重ねながら、設備を増強していった企業が多い。
近年ではアジアの新興国からの追い上げにも苦しんでいたし、以前のように親会社の支援を得られなくなってきていた。

こうした状況下での被災。
建物の再建や生産設備の復旧には多額の資金が必要となり、事業収入が激減した中で従業員を抱えることも大きな負担となることから、最悪の場合、廃業を考える企業も出てくると予想される。

こうした企業の中に、技術力を有する企業があれば、中国企業が食指を伸ばしてくることが考えられる。既に日本不動産の買い漁りが報道されているが、その次は「日本企業の買収」である。

中国の企業は、以前から日本の中小企業の技術に注目してきた。
日本では、中小企業でも「ある特定の分野では世界でもトップクラス」という企業がたくさんある。こうした企業のブランド力は、なかなかのものである。
筆者が中国で仕事をしている中でも、日本の中小企業と交流して、積極的に技術を導入したいという話がよく寄せられる。極端な例では、明日にでも技術供与の契約書にサインしたいといった話もある。要は、お金には困っていないのである。

中国はここ20年くらいで凄まじい経済発展を遂げてきた。
おかげで資金力は大幅に増強されたが、日本の経済成長のように技術力を向上させながら資金力を向上させたわけではないため、技術者のレベルも含め、圧倒的に技術力が不足している。要は、てっとり早く技術力を向上できれば、それに越したことはないのである。

仮にこうした買収話が中小企業の経営者に寄せられた場合、その経営者が大きく悩む事態になることは想像に難くない。事業継続さえできれば、従業員の暮らしは守られるわけだし、豊富な資金力をうまく活用できれば挽回の可能性もあるからである。
ただ、相手は中国企業である。日本人が想像しているほど楽な相手ではない。

こうした経営者の苦労を避けるためにも、日本政府は大胆な中小企業支援策を展開すべきである。当面は「無利子融資」ということになろうが、返済猶予期間を通常よりも長く設定するとか、信用保証料を大幅に引き下げるなど、経営者の負担軽減に最大限配慮する必要があるだろう。

前回の結びでも書いたが、世界のライバル企業群は虎視眈々とビジネスチャンスを狙っているということを忘れてはいけない。

大震災が与える日中経済への影響

2011-03-26 | 東日本大震災
日本政府が3月11日に発生した東日本大地震から2週間が経過した。
日々送られてくるニュースを見るたびに、被災地の皆様の苦難を思うと本当に心が痛む。
同じ日本人としてできることがないか・・・、積極的に考えていきたい。

今回の記事から、この大地震が与える日中経済への影響を考えてみたい。

既に地震による製造拠点の被災や計画停電の影響を受けて、広い産業分野で操業停止や生産自粛の動きが拡がっている。一部産業では、海外企業の経済活動にも影響が及びつつある。被災地域が電子部品の生産拠点だったこともあり、今後も影響は拡大しそうな勢いである。

こうした状況下でも、世界経済はその歩みを止めるわけにはいかない。
これから新興国への生産拠点の移転などが進むのは避けられない情勢にある。

以前、神戸で大震災が起きた当時のことが脳裏をよぎる。
あの当時、神戸はアジア向けの貨物積替え拠点として栄えていたが、震災の発生を受けて一時避難的にアジアの港を利用したところ、さほど問題がないということで、一気にアジア地域の港への貨物流出が進んだ。
現在、日本の港は貨物取扱量でアジア各国の港に遠く及ばない。

今回のケースでも、同じように「とりあえずアジアの新興企業に作らせてみる」という動きが拡がりそうな気配である(現に台湾系の企業を中心に、積極的な営業を展開しているとの情報がある)。その後、どのような事態が起こるのか・・・、考えるだけでも恐ろしい気がする。

しかも、アジアの新興企業の資金力は、いまや日本企業を大きく凌いでいる。
こうした企業群が、今回の事態を「大きなチャンス」と捉えている可能性は十分考えられる。

技術の優位性というのは、言うまでもなく安定的に供給し続けることで保たれる。
そして現代社会はsupply-chain management が重視されており、ひとつの歯車が狂うと国全体の経済に影響を及ぼすことにも繋がりかねない。
日本政府が震災への対応に奔走している状況は十分理解できるが、世界経済への対処も忘れずに行う必要があるのではないか?
世界のライバル企業群は、虎視眈々とマーケットの奪取を狙っている。

北京と上海の違いって・・・?

2011-03-04 | 出張
最近、仕事で北京に行くことが多い。
冬の北京はとても寒いので、この時期にはあまり行きたいものではないが、今年は思いのほか寒くはなく、雪も少ないので、そういう意味では恵まれている。

北京に行くことが増えて、上海との違いを感じることが多くなった。今回は、生活者の視点から、その違いに言及してみたい。

上海は、人口1,800万人を超える国際都市で、古くから経済の要衝として発展してきたこともあって、外国人も数多く生活している。日本に限って言えば、在留人口(領事館に在留届を提出している人数)で5万人弱、進出している日系企業数は7千社超と言われている。これに短期留学者や長期出張者等を加えると、7万人を超える日本人が生活していることになる。

こうした状況も手伝って、市西部の虹橋地区には「日本人村」とも称される一角が形成されている。特にその中心に位置し、カルフールなどの商業施設が集積する古北地区に住めば、多少の不自由を感じることはあっても、日本語のみで生活することも可能だ。事実、上海で数年間仕事をしても、ほとんど中国語が喋れないという日本人もザラにいる(筆者も偉そうに言える立場ではないが・・・)。

良くも悪くも、上海は日本人にとって住みやすい(甘い)都市なのだ。
実際、国内出張から戻ってくると、何となくホッとした気分になる。それほど中国の地方都市は、まだまだの状況とも言えるのだが・・・。

かたや、北京のほうはどうか?
当然ながら、日本人の数は上海より圧倒的に少ないため、色んな意味で日本人には住みにくい環境が待っている。
例えば「食」。
正直言って、北京料理はあまり日本人の口に合わない。北京ダック、羊肉のしゃぶしゃぶという名物料理の後に続く料理も見当たらない。
次に「道路」。
意味もなく広いうえ、中央をフェンスで遮断しているため、対面に渡るだけで遥か向こうの横断歩道まで歩かないといけないことがザラにある。
おまけに一方通行も多く、政治的なイベントがあるたびに渋滞が酷くなる。
その点、上海は道が狭く、ゴチャゴチャしていて、どことなく日本的。。。
それから「ものの考え方」。
北京は中国を象徴する都市だからこそ、「権威」を大事にする。街中のビルもその一例で、どーんと横幅のある建物を好む(上海は土地が高いこともあって、ひょろひょろのビルばかり・・・)。
「大きくて、豪華」ということが、何より大事なのだ。
仕事を進める上でも、北京の方が小さな表現・言い回しにまで神経を使うことが多い。「北京が一番」ということを強調することが、ビジネスを進める上でのコツだと言える。

あとは、空気がどうしようもなく汚れているとか、地下鉄が混み過ぎてどうにもならないとか・・・。

まだまだあるような気がするが、もう時間も遅いので、このへんで。。。


日本の就職氷河期を中国から考察する

2011-03-02 | 中国社会学
昨年末の時点で、大卒の就職内定率が7割を下回っており、日本の若者は深刻な就職難に直面している。
これは、日本の年功序列制度が疲弊してきたことも一因と言えるが、就職活動をやっている若者の状況をテレビで見るにつけ、大きな要因はむしろ若者自身のほうにあるのではないか、との思いが強くなってきた。

たしかに高度成長期やバブル経済期と比べると、いまの若者は同情されてもいい環境にある。生まれた時期によって、これほどの差が生じるというのは、当人たちにとっては酷な話である。バブルが崩壊するまでは、大卒なら贅沢を言わない限り、どこかの企業に就職できていた訳だから・・・。

でも、残念ながら世の中、いや世界は変わってしまった。これは日本の若者に限らず、世界中の若者に共通して言えることなのである。
事実、ここ中国では目覚しい経済発展が連日のように報道されているにもかかわらず、大卒の就職率は非常に厳しいものがある。日本同様、ほとんどの中産階級の子女が大学に進学するようになったことから、絶対的な職不足に陥っているのである。
大学を卒業したものの希望した職に就けず、友人同士で身を寄せ合ってアルバイトで生計を立てている若者たちが「蟻族」(その生態が蟻に似ていることが由来らしい)と称され、ひとつの社会問題にもなっている。

日本のテレビを見ていて驚くのは、非常に厳しい状況にあるにもかかわらず、若者自身にあまり切迫感が感じられないことである。小さい頃から受験、受験で成長してきたせいか、就職も何か「お受験の延長」のように捉えているように感じられる。

根本的に考えて、「就職」とはどのようなものか?
単純に言えば、雇いたい人と働きたい人との出会いだと言える。
そう考えると、いまは買い手市場であり、雇いたい人の気持ちが優先される。働きたい人は、雇う側のニーズを的確に捉えて対策を打つ必要があるのに、上述したとおり学生生活は以前とあまり変わっていないようで、とても残念である。
若者がこぞって入社したいと希望する大手企業のニーズ、そこには大なり小なり「中国」というキーワードが含まれている。ユニクロや楽天等の採用方針を挙げるまでもなく、中国語を話せるというのは、高学歴以上に重要になってくるに違いない。

加えて、若者が海外に出たがらなくなったという報道も見受けられる。次代を担う若者自身が外に飛び出して色々な経験を積まない限り、企業の発展ひいては日本という国の未来はおぼつかない。

日本は閉鎖的だが、中国はいろんな意味で大雑把。。。
だから、却って居心地が良いという面もある。
若者だって、思い切って外に出れば、「なんだ、日本よりも合ってるかも・・・」なんてことは十分起こりうると思う。
上海を例にとれば、東京からでも3時間弱の距離であり、航空券代も5万円ソコソコ。
国内で働くのと大差はない。

もはや偏差値の高い大学に入れば高収入の企業に就職できるという時代は終焉したのだ。
いまこそ視野を広げて、アジアを実感してほしいものである。
(今日はちょっとオッサン臭い内容でした。。。)

中国ジャスミン集会の行方は・・・?

2011-03-01 | 中国社会学
最近、仕事が忙しかったこともあって、ブログを更新できず。。。
これからは出来るだけ毎日更新に努めようと決意も新たに!

さて、本題に入ろう。
チュニジアで起きた政権交代がエジプトやリビア等に飛び火し、隣国/中国でも同様の動きが拡がるのでは・・・との報道が日本で連日展開されている。
実際、日曜日には多くの都市で集会が開かれたとのことだが、実際のところ、どのような集会だったのか、どれくらいの規模だったのか、詳しいことは分かっていない(当局の報道規制も厳しい様子)。

そもそも革命や政変とは、どのようなことで起こるのか。
筆者は、誤解を恐れず端的に言うならば、国家の権力の源とも言える「軍」の行動次第だと考える。

今回のエジプトを例にとっても、最終的には軍が引導を渡した形となっている。リビアにしても、もはや正規軍は反政府側に寝返っていると言っても過言ではなく、そうした事態の発生を事前に見通していたかのような傭兵部隊が、何とか首都の治安を維持している有様である。

つまり、革命や政変は民衆の不満がきっかけとなって起こるわけだが、最終的な政権交代に至るのは、軍が新政権側に立つのか、新政権側が既存の軍を妥当するのか、このふたつしかないのではないか。

そう考えると、中国の状況はどうか。
現在報道されているように、たしかに貧富の差は拡大する一方である。わずか10%の富裕層が国家全体の富の40%強を保有すると言われるほど、富裕層の経済力は増している。その一方で、農村部・山岳地帯の農民は低所得に喘いでいる。
だが、今回の集会が軍を転覆するほどの力を有しているのか、又はそこまで勢力を拡大する可能性があるのか、と考えると、いささか心許ない。残念ながらその力はないと言わざるを得ない。
なぜなら、中国軍の軍部は経済的に不遇な立場にいるわけではなく、むしろその逆で、体制派として君臨しておくほうが自分たちにとってメリットが大きい。つまり、他国のように民衆蜂起を見過ごすことで得るものはほとんどないのである。
しかも、北アフリカの国々と中国とでは、経済成長の面で圧倒的な違いがある。中国人民に不満が溜まっていると言っても、北アフリカ人民の不満とは比べるまでもないのである。

中国人民は、基本的には現在の国家運営に不満を抱えつつも、その一方で安定を求めている。これは、中国が歴史上経験してきた文化大革命や天安門事件なども微妙に影響しているのだろう。
よって、少なくともこの2、3年で政権交代が成し遂げられる可能性は、限りなくゼロに近いと見ている(ただ、中期的には緩やかな変革の可能性は大いにあり得ると考えている。その点は、時期を改めて綴りたい)。

最後に日本はどうだろう。日本は第2次世界大戦以降、正規軍を有していないとの立場に立ってきたが、逆に言えば、政府が国家権力の源を保有していないとも言える。幸い周囲を海で囲まれており、朝鮮半島を除けば、目立った紛争もなかったため、米国の庇護の下、経済活動に専念することができたが、本格的な大競争時代を迎え、今後はそういうわけにはいかない。
筆者からみると、こうした国家観の欠如が近年の短命政権の続出や稚拙な外交の遠因になっているように思えてならない。
だからと言って、軍事政権を目指すべきという立場ではない。
「自衛隊をどう位置づけるのか」、「集団的自衛権のあり方とは何か」といった根本的な課題に結論を出さなければ、安定した経済の発展も見込めないのではないだろうか・・・?