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須磨寺の護法 三木市蓮花寺より伝授 on 永正元年(1504)

2015年01月02日 05時37分53秒 | 神戸情報
(ごほう)とは広義では,仏法に帰依して三宝を守護する神霊・鬼神の類を意味
するが狭義では密教の奥義をきわめた高僧や修験道の行者・山伏たちの使役する
神霊・鬼神を意味する。
どこそこの寺の高層が護法を天皇に施術し病気が平癒されたとの記録が多数
残っているあの護法である。

子形で語られることが多いため護法童子と呼ぶことが広く定着している。
毎年1月18日に行われている姫路圓教寺の鬼追いでは護法童子乙天と若天
(不動明王、毘沙門天)の化身であると伝えられています。
すなわち修正会の結願の日に、不動明王の化身とされる青鬼(乙天護法童子)
と毘沙門天の化身とされる赤鬼(若天護法童子)が年頭行事として邪鬼を
追い払う鬼の舞いを行うのである。

行者(えんのぎようじや)が使役したという前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)は鬼の類であり
羽黒山の護法は烏飛びの神事に示されるようにカラスである。

鬼追いにつながる護法が須磨寺に永正元年(1504)、三木市蓮花寺より伝授
されたとの記録が南北朝時代より歴代住職が記録したといわれる須磨寺の
当山歴代に掲載されています。

原文読み下し文は下記のとおり
「一、当山護法の事、中絶の間、播州三木郡蓮花寺より相伝せしむ。
永正元年 子甲年よりこれを始む。その時導師大聖院弘源、病者
宰相公英真(後に宝生坊と云う)然る間かの寺故実に任すべき上は
爰元(ここもと)諸山に例を準ずべからず。巨細なお師伝これある
べし。その時行事西林坊弘盛。」


蓮花寺の縁起によれば村上天皇(926-967)の病気平癒のために
蓮花寺の聖観音・十一面観音が「蓮生・華童」と名乗る童子と
なって天皇のもとに現れたという話がある。

蓮花寺は元、太政官符を持つ寺であり護法を施術する寺として実績
のある寺であった。

蓮花寺では室町期の作とされる「山の神の鬼面」があることから
蓮花寺で鬼踊りは室町時代から始められたと伝わっています。

また蓮花寺には慶長12年(1607)作の赤鬼面がありそれが厄除け
の踊りに使われてきた。

赤鬼面(愛染明王面)は積善坊が本願主となって造られました。
2月3日に行われる鬼踊りで最後の方に「鬼の面かぶり」があり
参詣した人の健康を願うイベントとなっています。

蓮花の鬼踊りの紹介記事
  三木市蓮花寺 鬼踊り on 2013-2-3寺

蓮花寺の修正会の紹介記事
   三木市蓮花寺での大般若経の転読 

この記事を書くきっかけは現在実施されていない須磨寺の追儺式が
いつ頃から始まりいつ頃途絶えたのかである。

しかしながら、ハッキリとした答えは得られなかった。
しかし、蓮花寺と同じような鬼踊りは蓮花寺から須磨寺に移籍した
僧により永正元年(1504)以降に始められたと推定した。

神戸市のHPによれば途絶えた時期は昭和13年。当時2月4日に挙行




上の写真は須磨寺宝物館に展示の鬼面です。 撮影: 2014-12-31
説明書きには運慶作(伝) 正月6日 追儺式に使用

運慶(うんけい、生年不詳 - 貞応2年12月11日(1224年1月3日))は、
平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師で須磨寺の仁王像も
運慶の作と伝えられています。

この頃から鬼踊りが実施されているとも考えられるが敢えて1504年
以降に鬼踊りが隆盛になったと推測した。

上の写真は須磨寺の本堂の遠景です。

参考文献
 藤原喜美子著『オニを迎え祭る人びと-民俗芸能とムラ-』
  御影史学研究会 民俗学叢書17 (2006年10月)


 書評は下記サイト
  http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho798.htm

神戸で現在行われている追儺式についてのまとめ
 神戸の追儺式(修正会) 2013年改訂版








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