CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

姫路名物どろ焼きの喃風 須磨パティオ店でのランチ on 2022-2-14

2022年02月16日 03時29分10秒 | 神戸情報

姫路名物どろ焼きのNanpuu 須磨パティオ店でのランチを写真紹介します。
訪問日は2022年2月14日(月)です。

何回も入店しているお店ですがブログにするのは4回目です。

最近、店内をリニューアルされています。

どろ焼きの喃風 Nanpuu 須磨パティオ店の基本情報

住所:神戸市須磨区中落合2丁目2−2−3 須磨パティオ3番館 1階 TEL:078-797-5885
営業時間:[火~金]11:00~15:30、17:00~21:30
     [土・日・祝]11:00~21:30
定休日:年末のみ
料理ジャンル:お好み焼き、どろ焼き

公式サイト:お好み焼 どろ焼が有名な喃風 (南風) (nanpuu.co.jp)

 

当日、頂いたのは2人ともいつものレディースセット 890円(税込)です。

上の写真はハーフサイズの焼きそば(最初にこちらが出てきます)

上の写真はお好み焼き(いか玉)

上の写真はどろ焼き(鉄板たこ焼き)

上の写真はレディースセットが掲載のメニュー表

上の7枚の写真は店頭に掲示のメニュー表

上の写真はお店の外観

 

過去の訪問記

 姫路名物どろ焼きの喃風 須磨パティオ店でのランチ on 2021-6-16 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 姫路名物どろ焼きの喃風 須磨パティオ店でのランチ on 2021-10-18 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 姫路名物どろ焼きの喃風 須磨パティオ店でのランチ on 2022-1-2 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

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藤江別所遺跡と藤江の的射(2022年は中止) on 2018-4-14

2022年02月16日 03時17分57秒 | 神戸市以外の兵庫県

本日は2018年4月14日に明石市の無形民俗文化財に指定されている神事、御崎神社の

「藤江の的射」の見学に行った時に出合った藤江別所遺跡について紹介します。

記事を書くきっかけは2022年2月3日、明石市立文化博物館の常設展示で藤江別所遺跡の

車輪石の展示があったからです。

藤江別所遺跡

御崎神社の近くに藤江別所遺跡があり平成5年(1993)に発掘調査が行われ、直径

約5mの井戸跡と 井戸から古墳時代の土器と共に車輪石と呼ばれる腕輪さらに銅鏡も

出土しています。 この地方を支配していた首長が鉄分を多く含んだ赤い湧水を神聖し

祭祀を行っていた場であろうと考えられています。

藤江別所遺跡は藤江川河口から約300メートル遡った左岸沖積地(段丘崖下)に位置する。

昔はこのあたりまで梅が入り込み、入江となっていました。

付近は「鉄船(かなふね)の森」と呼ばれ、かつて鉄を積んだ船が沈められたため

鉄気の水が湧き出したと伝わる。発掘調査時点でも水が湧き出ていたとのこと。

以下、Wikipediaより引用。

発掘調査で井戸1基と溝2条が検出されている。井戸は弥生時代後期から江戸時代に

至る長期間に祭祀対象として機能した特異な遺構で、下層からは弥生時代後期-古墳時代

の祭祀遺物が、上層からは古代-近世の祭祀遺物が認められる。特に、古墳時代中期の

4世紀末葉-5世紀初頭には古墳副葬品と共通する車輪石・銅鏡等が埋納されており、

この井戸祭祀が首長層によって執行される象徴的・政治的性格を強く帯びたもの

であった様子が示唆される。また溝からは弥生時代後期の土器が出土している。

上の写真が藤江別所遺跡の発掘現場です。

現在は明石市藤江ポンプ場となっています。

所在地の住所は明石市藤江428

上の写真は藤江別所遺跡の位置を示したもの 赤丸

出典:明石の古墳 (2011) Page28

上の写真は空から見た藤江別所遺跡とその周辺

出典:明石の古墳 (2011) Page28

 

上の写真は現地説明板です。

上の2枚の写真は藤江別所遺跡の井戸跡から出土の状況

出典:明石の古墳 (2011) Page29

上の写真は藤江別所遺跡から出土の弥生時代後期から終末期の土器群

出典:明石の古墳 (2011) Page30

上の写真は藤江別所遺跡から出土の古墳時代前期末の土器群

出典:明石の古墳 (2011) Page30

上の写真は藤江別所遺跡から出土の車輪石と小型銅鐸

出典:明石の古墳 (2011) Page31

 

上の写真は藤江別所遺跡の井戸から出土した車輪石、小型鏡、勾玉など

出典:明石の古墳 (2011) Page49

明石教育員会の稲原昭嘉さんが発掘調査した藤江別所遺跡の井戸跡から車輪石(碧玉製)

1個、小型鏡9面、勾玉2個、古墳副葬品と同じ組み合わせの遺物を出土した稀な遺構です。

鏡は倭製の素文鏡、重圏文鏡、櫛歯文鏡、珠文鏡で直径2.6cmから6.5cmの超小型の鏡です

車輪石は白水瓢塚古墳の副葬品の車輪石の一つと形式が近い。

上の写真は白水瓢塚古墳の棺内に副葬された品々で一番上が車輪石です。

出典:明石の古墳 (2011) Page18

白水瓢塚古墳の棺内の被葬者は女性であると推定されています。奈良メスリ山古墳との

類似性からメスリ山古墳の被葬者の妃の1人であった可能性もあります。

妃の1人であったとすれば生前は奈良に住み、死後、故郷の伊川谷(白水瓢塚古墳)に埋葬

されたことになります。

車輪石の外形は卵形で中央に直径6.5cmの正円形の孔が開いています。緑灰色をしており、

石材鑑定によると和歌山から四国にかけて産出する緑泥片岩とされています。

形態上から4世紀の終わりから5世紀の初めにかけてのものと推定されます。

上の写真は明石市立文化博物館の常設展示での藤江別所遺跡の車輪石 撮影:2022-2-3

その他の出土品としては土器113、銅鏃1

山本三郎さん(元兵庫教育委員会)によって五色塚古墳との関連でこれまで論じられて

きましたが遺物の年代からすると、この井戸跡はむしろ白水瓢塚との関係も考慮すべき

車輪石とはその形が車輪に似ていることから江戸時代の学者により名付けられました。

この石製の腕飾りは弥生時代の九州北部でよく用いられたいた南海(奄美・沖縄諸島)産の

オオツタノハなどの貝を加工した腕輪が原形となっています。弥生時代には、司祭者の装身具

として使われていましたが、古墳時代になると呪術的なものとして扱われるようになりました。

石製の腕飾りは碧玉(へきぎょく)に似た石でつくられており、近畿地方を中心に古墳時代前期

(4世紀)の古墳から多く出土しています。

 

関連サイト:

 藤江別所遺跡/明石市 (akashi.lg.jp)

 

 

藤江の的射

「藤江の的射」については2018年の様子についてYoutube動画で紹介します。

コロナの影響で2022年のイベントは中止されました。2021年に続き2年連続の中止です。

明石市御崎神社の「藤江の的射」 on 2018-1-14 その1 行列行進とお祓い

明石市御崎神社「藤江の的射」 on 2018-1-14 その2 大前による的射

明石市御崎神社の「藤江の的射」 on 2018-1-14 その3 大前+弓立衆による的射

明石市御崎神社の「藤江の的射」 on 2018-1-14 その4 餅まき

藤江の的射については下記ブログで纏めています。

 明石市御崎神社の「藤江の的射」見学記 on 2018-1-14 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

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