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男山配水池公園から見た姫路城 on 2019-10-8

2019年10月12日 04時52分50秒 | 神戸市以外の兵庫県

2019年10月8日、男山配水池公園から姫路城の天守閣の写真を撮りましたので紹介します。

男山配水池公園の基本情報

住所:姫路市山野井町37−3

男山配水池の概要:昭和2年(1927)7月着工、昭和4年(1929)4月完成 工事費は26,840円

         鉄筋コンクリート製 長さ22.72m、幅22.42mが2基 

         有効水深3mで 貯水量は3,000㎥ 延べ工事人員11,719人

公園の整備公開:平成5年(1993)7月

 

Goo地図はこちら

 

 

上の2枚の写真は男山配水池公園から観た姫路城天守閣

 

 

上の3枚の写真は男山配水池公園

よく整備されています。

男山配水池公園は昭和4年4月に完成した姫路市で最も古い配水池を中心に平成5年(1993)

に姫路市により整備公開されました。。姫路城天守閣の北西の高台にあるため、姫路城を望む一等地

として知られています。大天守と3つある小天守すべてを眺望できるのは、「世界遺産姫路城十景」

の中でもここだけ。

男山は、姫路城の西にある標高57.5mの小さな山です。播磨国風土記(713年、奈良時代)には

筥丘(はこおか)」として登場します。登山道には、水尾神社、男山八幡宮、千姫天満宮などが

あります。

男山の由来の説明版(下の2枚の写真)が掲示されていました。


説明版の記述内容を要約して記しておきます。

この男山(標高57.5m)は播磨国風土記(713年、奈良時代)に記されている説話の中で

姫路の14の丘に出てくる「筥丘(はこおか)」だとされています。

その昔、大汝命(おおなむちのみこと)はその子「火明命(ほあかりのみこと)」があまりに

乱暴者なので、因達神山(現在の八丈岩山)におきざりにして船を出したところ、火明命は大いに

怒り、風波を起こし船を難破させました。その時、積荷の蚕子(ひめこ)の流れ着いた所が日女道丘

(ひめじおか)(姫路城のある現在の姫山)。箱の着いたところが「筥丘」・・・・・・と

名づけられたということです。

日本書紀に火明神は天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと)の

正式名称で出てくる。男神である。

また男山は「播磨鑑」(1762年、江戸時代)に記されている「飾磨のかち染」の伝説にも関係

があり、今の自衛隊姫路駐屯地内にあった長者屋敷から難をのがれて旅の男が逃げてきた山を

男山、いっしょの女が逃げてきた山を姫山と名づけられたといいます。

男山の南中腹には、鎌倉から南朝の動乱の時代1346年に姫山に初めて城を築いたといわれる

赤松貞範がその鎮守として創建し、歴代の城主が信仰したといわれる「男山八幡神社」、

江戸時代1617年に城主となった本多忠政の子忠刻の妻千姫が建立したといわれる

「男山千姫天満宮」、南麓には「水尾神社」があります。


播磨国風土記  十四丘伝説の山々というサイトに播磨鑑に記載の伝説について

上記説明より詳しく書かれていますので引用紹介します。

江戸時代の地誌「播磨鑑」には、山名の由来について次のような話がある。増位山の麓、

平野村の長者屋敷に小鷹という乱暴者が住んでいた。小鷹は、旅人を泊めては、石の枕をさせ、

旅人が寝入るとおもしをかけて殺し、その血で衣を染めていた。

あるとき、美しい武士が泊まったが、小鷹の娘がこの武士をふびんに思い、「旅の人々、

石の枕はせぬものじゃ」と幼子を抱きすかしながら歌った。そして、武士と娘は、

長者屋敷からいっしょに飛び出して、男は男山に、娘は姫山に逃げ上った。

しかし、追いかけてきた小鷹に二人とも打ち殺されてしまった。

これより、男山・姫山というようになった……。

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