「逢魔が時」は“大禍時”から来ているのだそうです。
ちょっと気になって調べてみました…。
昔々…肢体に不自由があったり、どこか障害のある子供たちは、何かの崇りによって生まれてくると言われていたそうです。
だから世間から断絶するように、親たちは障害のある子供たちを、家の中に隠していたのだそうです。
でも、それでは不憫だ…と言うことで、健常の子供たちが皆、家に帰った後、
…外が薄暗くなったのを見計らって外遊びをさせていたんだそうです。
だから「逢魔が時」という言葉が、その境界線だったという…切ないお話が見えてきました。
…しかし、この話、私にとって人ごとではないんです。
私も実を言うと、買い物とか出掛けるのは…どうしても夕刻以降が多いんです。
見た目は何にも変わりはないですが、少々精神障害ありますから…
人と関わるのが怖いんです。
ピークを過ぎた6時半以降のスーパーに行くと、今では外国人労働者の方々の姿をお見掛けします。
「逢魔が時」
どこか…淋しさを漂わせる人たちが動き出す時間帯のようです。
ちょっと気になって調べてみました…。
昔々…肢体に不自由があったり、どこか障害のある子供たちは、何かの崇りによって生まれてくると言われていたそうです。
だから世間から断絶するように、親たちは障害のある子供たちを、家の中に隠していたのだそうです。
でも、それでは不憫だ…と言うことで、健常の子供たちが皆、家に帰った後、
…外が薄暗くなったのを見計らって外遊びをさせていたんだそうです。
だから「逢魔が時」という言葉が、その境界線だったという…切ないお話が見えてきました。
…しかし、この話、私にとって人ごとではないんです。
私も実を言うと、買い物とか出掛けるのは…どうしても夕刻以降が多いんです。
見た目は何にも変わりはないですが、少々精神障害ありますから…
人と関わるのが怖いんです。
ピークを過ぎた6時半以降のスーパーに行くと、今では外国人労働者の方々の姿をお見掛けします。
「逢魔が時」
どこか…淋しさを漂わせる人たちが動き出す時間帯のようです。
多くの障害を抱えてる子供たちは強かった。無邪気でした。中には仲間にはいらない子のいましたが、無理にはいることもないし、私自身、障害者を特別な子だとは思ってません。『ちょっと人と違うだけ』そう思って接しています。
昔は、ウツ子さんの言うような話を聞いたこよもありました。でも、個性だと思えばいいと思います。知人にも「自閉症」の子をもった人がいます。私は、自閉症の子もたくさん見てきたので会ったとき、なんとなくわかりました。しかし、知人はまだ自分が受け入れられず隠しています。
せっかく生まれてきたのです。隠さなくていいんです。
それを、おかしな目で見た人がおかしいんです。
*交通事故や病気で「明日、自分が障害者」のなる可能性すらあります。
どうどうとしていいんです。不自由だったら、助けを素直に求めたらいいんです。
ただ、私も「人に会いたくないほどの悩み」があった頃、買い物は暗くなってからしか行けなかった時期もあります。息子の先輩に、事故で左腕を肘から下がない子がいますが、徒競走も1番、なんでも自分でします。ゲームも人並み以上に強いです。明るさは尊敬するんです。小学校に入る前に事故にあい、子供ながら、どれほどの苦しみを乗り越えてきたか・・それが強さとなり、明るい人気者の少年になっています。息子も保育園から、その子と遊んでたので、普通に「障害者」という人を見ても、普通に接してます。
ウツ子さんにも、素晴らしい記事を毎日書いてるし、自身をもっていいです。長くなるので、コメントはここまでにします。自信をもって!!ひとごとだから言えるのよ、と思わないで下さいね。私は今「抑うつ病」と仲良く生きています。社会復帰できるようになったら貢献してできることをしようと思って、今を毎日を充実して大事にしています。
お互い、前に進んでいきましょうね!
heartredさん、いつも こんな私の愚痴にお付き合いくださり 本当にありがとうございます。
heartredさん…この際カウンセラーになられたらどうですか?
きっとheartredさんなら良いカウンセラーになれると思いますよ…。