今は亡き、河合隼雄さんの本の中に「家庭禅」という言葉がありました。
家庭というものは、決して生半可なものではなくて、修行道場なのかも知れません。
河合先生の御著書の中に、禅の老師の話がありました。
老師が杖を指して、弟子に「これは何だ?」と聞きます。
「杖です」「棒です」…はたまた「杖ではありません」など、何と答えても、
「喝!」とやられます。
この話を、問題をかかえる子供に置き換えて、子供はまるで禅問答を突き付ける老師と同じだとおっしゃってました。
親は子供の非行や引きこもりにどう対処していいのか解りません。
最初は子供の機嫌を取ろうと色んな物を与えたりしますが、
小手先だけの安易な方法では子供は納得しないのです…。
面倒を見ようとすれば、「ほっとけ!」と言うし、
無視すれば、今度は「もっと関われ!」と言います。
さっきの禅の老師の話と、どこか似てます。
つくづく子育てとは、そんな事の繰り返しだと思い当たります。
結婚は魔がさして、勢いでしてみたものの、
子供が出来たとたん、禅問答の始まりでした。
河合先生いわく・・子供(老師)は常に、親(弟子)に対し「全存在を賭けた答」を要求している。…のだそうです。
河合先生のお話が身にしみて解るようになりました。
家庭というものは、決して生半可なものではなくて、修行道場なのかも知れません。
河合先生の御著書の中に、禅の老師の話がありました。
老師が杖を指して、弟子に「これは何だ?」と聞きます。
「杖です」「棒です」…はたまた「杖ではありません」など、何と答えても、
「喝!」とやられます。
この話を、問題をかかえる子供に置き換えて、子供はまるで禅問答を突き付ける老師と同じだとおっしゃってました。
親は子供の非行や引きこもりにどう対処していいのか解りません。
最初は子供の機嫌を取ろうと色んな物を与えたりしますが、
小手先だけの安易な方法では子供は納得しないのです…。
面倒を見ようとすれば、「ほっとけ!」と言うし、
無視すれば、今度は「もっと関われ!」と言います。
さっきの禅の老師の話と、どこか似てます。
つくづく子育てとは、そんな事の繰り返しだと思い当たります。
結婚は魔がさして、勢いでしてみたものの、
子供が出来たとたん、禅問答の始まりでした。
河合先生いわく・・子供(老師)は常に、親(弟子)に対し「全存在を賭けた答」を要求している。…のだそうです。
河合先生のお話が身にしみて解るようになりました。
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ご紹介、有難うございます。(^-^)
でも、お亡くなりになっても、御著書の中に河合先生の魂は生き続けていると思います。合掌。
倒れたのは知っていましたが。
関西のヒトらしい、丸いしゃべり方で、ものごとをうまく表現する天才でしたね。
「魂にメスはいらない」は、大学の頃、読んで、影響されました。