柳美里の今日のできごと

小説家、劇作家の柳美里のブログ

野馬追の扇子!

2014年08月01日 17時59分45秒 | 日記
南相馬市文化会館「ゆめはっと」で、雨宿りしていたら、小高のとしのりさん @toshi_dora_2011 にプレゼントをもらった。

としのりさん、ありがとう!

今度こそ、「ふたりとひとり」に出てくださいよ。

わたしも、恥ずかしがりなので大丈夫です。恥ずかしがりながら収録しましょう。

昨日も今日も、

2014年08月01日 14時19分36秒 | 日記
南相馬ひばりFM 「柳美里のふたりとひとり」 収録直前に雷が鳴り出し、どしゃ降りの雨が――、

(昨日も全く同じパターンでした。盲導犬のクローネをびしょ濡れにしてしまい、申し訳ありませんでした。収録が終わる頃に、晴れ間が出てきた、という……)

今日のゲストは、南相馬市小高区出身のマラソンランナー(箱根駅伝で「山の神」として一躍有名となった)今井正人さんなのですが――、雷が落ちる音が凄まじいので、2、30分様子をみましょう、とご連絡をいただきました。

雨女のわたしのせい?

昨夜のごはん

2014年08月01日 13時52分28秒 | 日記
福島県盲人協会・相双方部の高澤孝夫さんのお宅(南相馬市原町区)で、奥様の初子さんの手料理をいただきました。

初子さんが、朝、自分の畑で採ってきた野菜だそうです。

初子さん、ご馳走さまでした。

高澤さん、またお話ししましょう。

昨日の収録

2014年08月01日 13時44分06秒 | 日記
右は、南相馬市博物館学芸員(専門は野馬追)の二上文彦(ふたかみ・ふみひこ)さん、左は、華道家の片桐功敦(あつのぶ)さん。

片桐さんは、生まれも育ちも大阪で、バリバリの大阪弁です。
1988年、大阪府堺市のみささぎ流(片桐さんのお祖父様が創設したいけばな流派)の家元となりました。

片桐さんは2013年9月、文化庁の支援を受けて福島県立博物館が展開する「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」の招きで、津波の被害の大きかった福島県沿岸部で野の花を生ける活動をはじめます。
昨年12月からプロジェクトの支援を受けて、南相馬市原町区のアパートで月の3分の2ほどを過ごすようになります。
その理由は、数日間だけ訪れて、作品を創って写真を撮り歩くことに強い抵抗をおぼえたから、ということです。

片桐さんの作品の写真ファイルをひと晩お借りして、ゆっくり見ました。

旧警戒区域の海辺の写真でした。

津波で多くのひとが亡くなったその場所(砂浜、建物、車)に生けられた、片桐さんの作品は、まさに供華であり弔花でした。

花の周りに暗がりがひろがり、亡くなった方々の魂を吸い寄せているようにも見えました。

片桐さんは、小学6年生のときに、日航ジャンボ機墜落事故で、みささぎ流の家元だったお父さま(片桐右弼・ゆうすけ氏)を41歳の若さで亡くしています。

この半年間、請戸や小高の海の際で花を生けて歩いた片桐さんの心の内には、御巣鷹山の墜落現場があるのだな、と思いました。

二上さんとは、41歳で独身、という共通点もあって意気投合し、いまやお互いの女性遍歴を全て知っている仲だそうです。

片桐さんは、住んでいたアパートを引き払い、明日、大阪に帰られます。

あと――、
片桐さんは、福島沿岸部で撮りためた写真を、写真集として出版したいそうです。
まだ版元は決まっていません。

どなたか、いませんか?

荷造りが……

2014年08月01日 07時56分43秒 | 日記
昨日収録した分をまだアップできていないんですが――、
今夜は小高の友人(廣畑裕子さん)宅に泊まるので、ホテルをチェックアウトしなければならないのです。
ここに来る前の日に5時間以上かかった荷造り、この世のなかで一番苦手な荷造り――、急がなければ――。

チェックアウトは10時ですよぉ。

ふたりとひとりといっぴき

2014年08月01日 07時44分38秒 | 日記
臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」「ふたりとひとり」。

右は、原町区小川町にお住まいの平野道代さん(60歳)、左は、原町区仲町にお住まいの山田清子さん(69歳)、そして、清子さんのパートナーの盲導犬のクローネ(クゥちゃん)6歳。

山田さんが生まれ育ったのは、原発事故によって、3年4ヵ月が経った現在も居住することができない飯舘村です。

山田さんは、50歳ぐらいから視野が狭くなり、網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)だということが発覚しました。
視力は徐々に失われ、現在は、明るい暗いがぼんやりとわかる程度だそうです。

ラブラドール・レトリバー(黒・メス)のクローネは、1歳7ヵ月のときに、盲導犬としての訓練が終了しました。

山田さんがクローネを自宅に迎えた日は、偶然、山田さんの誕生日である6月3日でした。

2011年3月11日、山田さんはクローネと散歩をしていました。
いつもだったら、もっと遠くに行くのに、その日に限って、クローネがどうしても先に行きたがらずUターンをしようとする――。
仕方ないので自宅に引き返し、クローネのハーネスをはずしたとき、あの大地震が起きました。

原発が爆発し、13日にクローネと共に故郷の飯舘村に避難をしたとき、嗅いだことのない薬品臭がして、「この臭い、なんだ? おかしいな」と感じたそうです。
原発は次次と爆発します。
飯舘村の放射線量が異常な数値になっている、と聞いた山田さんは、三重県の親戚宅に避難し、そこで8ヵ月を過ごすわけですが、留守番できるように訓練されているはずのクローネが、山田さんが庭に出ただけで、不安がって鳴くようになったそうです。

盲導犬もまた、大震災の被災者であり、原発事故の被害者なのです。

盲導犬は、年老いると判断力が鈍るため、8年間(10歳)で引退する、と定められています。

クローネは現在6歳――。
「その時が、いつまでも来なければいいのに、と思いながら生活しています」と山田さんが漏らすと、
「わたしも……」と同行援護(ガイドヘルパー・2級ホームヘルパー)の平野さんもうつむきました。

引退した盲導犬は静岡県の富士の裾野にある「富士ハーネス」に引き取られ、穏やか日々を過ごすそうです。

南相馬あと2泊

2014年07月31日 18時15分28秒 | 日記
南相馬市役所前の銘醸館で、高校の社会科の先生とランチしました。

雷が鳴り出し、どしゃ降りの雨――。

先生は、午後は部活(午前中は課外授業)だということで急いで学校に戻り、わたしは14時から「ふたりとひとり」の収録なので、銘醸館敷地内のレンタルスペースに移動しなければなりませんでした。
しかし、銘醸館の駐車場が沼のようになってしまい――、草履を両手に持って、砂利の駐車場を裸足で歩きました、とさ……

不思議な気が……

2014年07月31日 12時24分03秒 | 日記
この3年間、鎌倉では全くひとと会わずに人間関係を遮断し、南相馬ではひとと会いまくり、人間関係を結び深める――、という両極端な生活を続けている。

南相馬の夜の森公園にて。

2014年07月31日 12時07分43秒 | 日記

朝9時に、元原町高校校長の渡部光明(わたのべ・みつはる)さん(80歳)の、原町区西町の御自宅を訪ね、
『JR上野駅公園口』の朗読の打ち合わせを行いました。

渡部さんは、今上天皇と主人公と同じ1933年生まれですし、相馬弁のネイティブですし、観世流「励諷会」に50年間在籍され今も謡曲をやっていらっしゃるので、これ以上ないくらい適任です。

福島盲人協会の矢島さんに「ふたりとひとり」にご出演いただいたときに、「『JR上野駅公園口』を朗読してくれるひとを探しているんですけど、方言が難しい、と尻込みされてしまうんです」と仰るのを聞いて、朗読してくださる地元の方を探していたのです。

福島県浜通りの目の見えない方、福島県内の目の見えない方、東北の目の見えない方、日本全国の目の見えない方、そして相馬弁で『JR上野駅公園口』を聴いてみたいと思われる目の見える方――、いましばらくお待ちください。

相馬市中村にある「ふなばし内科クリニック」にて

2014年07月31日 07時34分04秒 | 日記
臨時災害放送局 「南相馬ひばりFM」 「ふたりとひとり」。

船橋裕司(ひろし)さん(58歳)と、鴫原伸幸(しぎはら・のぶゆき)さん(59歳)。
船橋さんは、中村第一小学校、中村第一中学校、相馬高校――、
鴫原さんは、中村第一小学校、向陽中学校、相馬高校――、
おふたりは、小学校・高校の同級生だったのです。

鴫原さんは小・中・高と剣道部に在籍した活発な生徒、一方、船橋さんは、幼いころから小児喘息と腎臓病を患い、体育などは見学をする目立たない生徒だったそうです。
鴫原さんは明治大学の政経学部に進学して、東京の企業に就職し、18年間地元を離れましたが、
船橋さんは福島県立医大に進み、卒業後、地元にある相馬公立病院に勤務し、平成10年に「ふなばし内科クリニック」を開業しました。

鴫原さんは、結婚後こちらに戻り、奥様の実家である松川浦(海際)で暮らしていました。

2011年3月11日、船橋さんは(仙台の妻子に食糧や水などを車で届けた後)ただちに災害医療救護活動に入りました。

鴫原さんは、仙台で働いていたそうです。
地震が起こり、すぐに松川浦の自宅に電話を掛けましたが、一瞬だけ通じたものの、「津波に気をつけろよ」と言おうとしたら切れ、通じなくなってしまった――。

その夜、奥様のアドレスから一言、「全滅」というメールが届き、返信しようにも通じない――、翌日松川浦に帰宅した鴫原さんは家族の姿を見た瞬間、腰を抜かしました。。

相馬は、18メートルの津波に襲われました。鴫原さんの御自宅は、1階は波が突き抜け、2階に居た奥様と奥様のご両親は、柱にしがみついて流されないよう堪えていたそうです。

周辺の家は全て基礎のみを残して流されましたが、鴫原さんのお宅は、以前は釣り宿で、分厚い鉄骨を何本も組んだ頑丈なつくりだったため、骨組みと2階部分のみは残ったということなのです。
しかし、当時の写真を見せていただくと、すぐ前まで、何艘もの船が乗り上げています。
「もし、船が突っ込んできたら、うちは崩れたでしょうね……あるいは、もう少し、津波が高かったら……」と鴫原さんは仰りました。
原発事故が起こり――、鴫原夫妻は、子どもふたりを京都に避難させて、瓦礫となった1階部分の片付けや泥の掻き出しを行いました。
「現実感が全くないんです。毎日毎日、延々と、ろくに食べない、ろくに眠らないで片付けつづけているんですが、夢のなかでアルバイトしてるみたいな感じで、涙も出ない。家のなかから津波といっしょに流れてきた魚が出てくるでしょ?それをしゃがんで大きい順に並べていたら、妻に、なにしてんの!と怒られて我に返ったり、ブルーシートにくるまれたご遺体が運ばれていくのを見ても、あぁ見つかったんだなぁ、とぼんやり思うだけなんですよ」

現実に戻り、感情が蘇ったのは、震災から1年経った頃だそうです。

現在、鴫原さんは南相馬市市民活動サポートセンター(市民活動団体復興支援事業部)で働いていらっしゃいます。

塚合第二仮設住宅の自治会長さん

2014年07月31日 05時50分24秒 | 日記
「ふたりとひとり」は、わたくし柳美里と、南相馬のお二人がお話しする30分間のラジオ番組(毎週金曜日放送)なのですが、
藤島昌治(まさはる)さん(68歳)の回は、「ひとりとひとり」になります。
同じ仮設住まいの3人に声を掛けたけれど、断られてしまった、ということで――。

藤島さんは満州生まれ、仙台育ち。平成2年にお亡くなりになった奥様の故郷である南相馬市小高区に移り住んで40年、ようやく地元に溶け込んだと思ったら、原発事故が起きて、その地に住むことができなくなってしまった――。

藤島さんは『なんじょすっぺ』という詩集を出されました。(「なんじょすっぺ」は仙台弁で「どうしよう」という意味。今野さんに訊いたら、南相馬では「なじょすっぺ」で、微妙に違う)

初版は300部でしたが、仮設を訪れる県外のボランティアが1冊買って、ブログやTwitterやFacebookで書く――、という口コミだけで売れていき、なんと、現在5刷5000部だそうです。

第2詩集『仮設にて』も、8月12日に出版されます。
「藤島さんは、仮設の後のことを決めていらっしゃいますか?」と訊ねると、
「決められません。近所のひとに、いっしょに戻ろうよ、と言われると、戻ろうかな、と思うし、南のほうへ行こうかな、とも思います」
「南のほうに、ご親戚がいらっしゃるんですか?」
「いえ」
「南のほうというのは、具体的にどのあたりですか?」
「茨城とか」
「近い。そんなに南じゃないじゃないですか。わたしは九州以南かと思いましたよ」

――と、こんな感じで、お話ししています。

鹿島区寺内にある塚合第二仮設住宅

2014年07月30日 18時17分24秒 | 日記
「ふたりとひとり」の収録を行いました。

右が、松本千歳(ちとせ)さん(68歳)、左が、草野都枝(としえ)さん(62歳)。

原発事故が起きる前は、松本さんは小高区岡田に、草野さんは小高区大井に住んでいらっしゃいました。

2011年3月9日、草野さんのお義母さまはお亡くなりになりました。ご遺体を安置していたご自宅に津波が押し寄せ――、ご遺体は、戸口引っ掛かって、外に流されずに済んだそうですが、原発が爆発して緊急避難しなければならなかったために、ご遺体を焼き場に運ぶのが精一杯で、お骨になるのを見送ることはできなかったそうです。

ミス南相馬

2014年07月30日 17時11分58秒 | 日記
いつか、祐美さんの和服姿を見てみたいな……

喪服も似合いそうだな……
アゲハチョウみたいな祐美さん……

バァとふたりの孫

2014年07月30日 17時01分44秒 | 日記
ここで、みつ子さん、和輝くん、元登くんの3人で寝ているそうです。

泊まってもいいよ、と言ってくださり、みつ子さん、ありがとうございます。

クーラーなしでも涼しい。

2014年07月30日 16時58分07秒 | 日記
網戸から海風が吹いてきます。

「津波で松林が無くなったから……」とみつ子さんは仰りました。