「明治民法下の家族制度」
では
パパ・いちばん、で、
むすめは
「床の間の花」みたいな
あつかいだったそうです
だから
女学校は、
「良き妻・良き母」を 育てることに
おもきをおいていたそうな・・
しかし、
大正時代には
教育家がふえ、
女の子たちが
イキイキ学べる学校が
あらわれました
その一つが、
「池袋駅・徒歩5分」にある
「自由学園」です
(世界的建築家、フランク=ロイド=ライトが設計したので、すごくステキ)
大正デモクラシーの時代、
あたらしい世に、役立つ人を育てたい!
と
かんがえました
明日を生きる・若い人を
育てたいな!って
ねがったのです。
<校舎中央の食堂>
お昼ごはんも みんなで、よういしたので
子どもたちは
しっかり者になりました
みんなでかいたけど、
太平洋せんそうの時
グンブ(軍部)のけんえつから 守るため
せいとの手で
上からぬられ、
「修復」するまで 見つからなかったそうです。
こうどう(講堂)で
コーヒーをいただいていると
「あたたかい気もちになれるんだ」
って
チットは言います
クリンは
「家庭的」なかんじがして
大好きです
http://www.jiyu.jp/tatemono/myonichi.html(自由学園hp)
http://www.fujinnotomo.co.jp/about.html(←羽仁もと子は、雑誌「婦人の友」の創設者でもあり、学校前には、婦人の友社が建ってます。)
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