はらごしらえが すんだら、
南両国の
たんさく(探索)です
北両国のランドマークが
国技かん(館)だとすれば、
南両国は
すもう・発しょう(祥)の地、えこういん(回向院)が その中心
力士ぞう(像)が 立ちならぶ、「国技館通り」を
5分歩けば、
えこういんが、見えてきますが、
ここは、シメに
もってきたいので、
いったん、えこういんをこえて、川よりの道に 入りました
「回向院から、一の橋北詰」の間は、
ちゃんこ以外の
有名りょうり(料理)店が
みっしゅう(密集)する・エリアであり、
「鬼平」が通った店・「五鉄」のモデル、「ぼうず志ゃも」、
「与平衛鮨発祥」の地にちなむ、
江戸前ずし(鮨)の店
じゅう(獣)肉せんもん店、「ももんじや」
←ぶら下がるイノシシ(鍋用)
「たぬき汁も、あるって。」(チット)
「ギャー!!!早く去ろう」
などなど・・
さすがに、
お金もちの 「春日野部屋」の
ナワバリだけあって、
リッチな区画です。
クリンたちは、
そこから
本所・れきしさんぽ(歴史散歩)ポイントを
つないで 歩きました
まずは、きらてい・あと(吉良邸跡)
ここは、
元ろく(禄)15年。
あこう(赤穂)の四十七士が
討ち入りした、
吉良上野介のお家
「忠臣蔵」の ブタイです
えん(園)内には、
神社と、吉良ぞう(像)と、首洗いの井戸が、
コンパクトに
まとまって
ファンを むかえます
そこから 3分歩くと、両国小学校の前に、
「芥川龍之介文学碑」
が
見えてきます
りゅうのすけは、
生後7ヶ月から、18才まで
ここに住んでいました。 (「杜子春」の一節)
文ごう(豪)の
じょうそう(情操)を
はぐくんだ町・・。
この小学校のとなりには、両国公えん(園)がありますが、
こちらは、なんと 「勝海舟」の生たん(誕)の地です。
ごく・ふつうの、下町にある「児童公園」ですが、
ベンチで
ビールをのんでいた
おじさんが、
チットに
おだに・せいいちろう(男谷精一郎)のことを
おしえてくれました
(※勝海舟は、
幕末の剣豪・男谷邸で生まれる)
おじさんと わかれたあと、
「京葉道路」に出て
両国かんこう(観光)の
ラスト
えこういん(回向院)に 向かいます。
(つづく)
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