3.チェルト君の物語
チェルト君は再婚相手との間で、僕たちの一人っ子の長男だった。 僕が55歳での再婚だった。彼女は40歳 位だったから、無理すれば子供は作れないわけではなかったが、子供の将来のことも考え、子供は作らないと合意して結婚した。 代わりと言っては変だが、彼女も犬が好きだったし、僕も大好きだったから二人の間に、長男として僕にとっての3頭目のシュナウザーを飼うことにした。
<瀬田ケンネルエイト>
チェルト君に初めて会ったのは1月の寒い頃だった。環八をよく車で走っていたから、環八の瀬田にシュナウザーだけを扱っている店を知っていた。大きなシュナウザーの看板が出ていた。勿論、今も健在だ。
前年の12月6日生まれで、まだ一か月しか経っていないチビの シュナだった。両手を組んで出してくださいと言われてそうしたら、店主はチビのシュナを拾い上げて僕の手のひらに置いてくれた。ブリーダーはシュナウザー博士 の Cさんだ。
子犬は3ヶ月以上育たないと渡さないというポリシーを持っていた。それは非常に重要なことで、親や、兄弟、もしくは 血縁のおばさん等と一緒の生活で、犬世界での社会性を身につけて出発することができるからだ。 日本のブリーダーは犬のことを本当には考えていないのか、2ヶ月ぐらいで子犬を飼い主に出している。小さな仔犬のほうが可愛いらしいということで、客にアピールしているのだ。しかし、その後のその犬の一生を考えた時に、犬としての社会性を身につけているということは、本当に大切なことだった。
そうしたことを、チェルト君との生活の中で、何度も確認させられたかわからない。ちゃんと犬社会の規制が身についていた。お互いの匂いを嗅いで、友達になるという基本動作ができるようになっていた。 噛みつきあいの遊びにおいても、その噛み付く度合い、強さを自分で、体で感じしている。 だから相手にも強く噛むことはなく、アマガミになる。 悪いことしているとお母さんやお父さんに怒られるという経験もしている。
<ちびちびのチェルト君>
結果から言うと、チェルト君は上顎にできた癌のために手術ができず、9歳で虹の橋を渡った。
<伊豆高原>
環八瀬田から貰い受けたチェルト君を、僕たちは伊豆高原の家に連れて引っ越した。自然に恵まれた伊豆高原では好きなだけ散歩ができた。1時間半くらいは 平気で散歩をしていた。当然たくさんの友達ができた。 数え上げればきりがないが、初めての友達は、大きなお年寄りの セッター のミックス、チャーリー君。 2番目にできたのはコーギーのアンナだった。 その他にもミックス犬のセロ、 シーズーのリリーちゃんだった。 猫の ボニーとミーシャ とも友達になった。 チェルトにとって楽しくて、楽しくてしょうがない伊豆高原だったが、お父さんの病気の為に、仙台に移転することになった。 お父さんの病気の先生が、伊豆高原にはいなかったからだ。
<最初の友達 アンナ姉さん>
<猫のボニー>
せっかくできた友達とも別れてチェルトは寂しそうにしていた。少し規定のサイズより大きかったから 新幹線には乗れなかった。僕が 車で550 km くらいを二日間で走って、仙台に辿り着いた。 途中、那須で一泊した。チェルトは不安そうだった。
<不安そうなチェルト君 @ 那須高原>
仙台でもたくさん友達ができ、僕のボランティアの活動にも参加して楽しんでいた チェルトが見える。外国人のホームステイや、外国人を含めた国際交流パーティーでも、チェルトは参加して楽しんでいた。しかも皆の真ん中にいた。
僕にとっては3頭目のシュナウザーだが、悲しい思い出の犬になってしまった。それは僕の病気と関係していた。
僕は心臓に肥大型心筋症という病気があって、劇薬と言われる薬と血液サラサラの薬を飲みながら様子を見るということになった。 しかし心房細動は止まらず、最終的にはその頃の最先端の技術だったカテーテル・アブレーションを東北大学病院で受けることになった。このカテーテル・アブレーションは新しい手術なので、東北全体で20人ぐらいしかまだ経験していなかった 。
僕が入院してオペをするその日に、奇しくもチェルトの上顎に癌が出来ているのが見つかった。カミさんは、僕のオペとチェルトの癌を同時に体験し、精神的にまいったようだった。
いま考えてみると、チェルト君のがんの発症は、ストレスが原因ではなかったかと思っている。伊豆の友達をなくし、相談もなく引っ越しになって、長い旅をして、環境が変化し、見知らぬ仙台についた。そして、僕がオペのために入院した。これだけで、十分なストレスになっていたのだろうと思う。
<がんが発見されたチェルト君>
最初の診断では、チェルトの寿命は持って半年だろうと言われていたが、実際は1年半、頑張って僕たちを助けてくれた。その間、カミさんと僕は、彼の免疫力を上げるため、チェルト君の食事を全て手作りで作っていた。それを1日に6回に分けて、スプーンで口の中に入れてやっていた。
<チェルトの陣地:ソファ>
チェルト君がいなくなって見たら、カミさんと僕の間には、何も残っていないと分かって別れることになった。チェルト君は、まさに僕たち夫婦の 鎹(かすがい)だったと思う。その後も、シュナウザーを飼うという誘惑はあったが、僕の方が先に葬式を出してもらうことになるかもしれないと恐れ、飼うことは諦めた。
<僕たちの子供だったチェルト君>
以上がミニチュア・シュナウザー3頭と、35年間を過ごした僕の記録です。
シュナウザー物語 Ⅱの追記をしておくと、βの名付け親の長女は14歳でβをなくし、最近同じシュナウザー、エマを飼っています。A、B、C、D、Eとなりました。僕はイタリア製のぬいぐるみ、エザッタをかわいがっています。
<娘の飼っているエマ:Emma>
<よくできたイタリア製のエザッタ: Ezzatta>
P.S.
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電子ブック:
「M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その1」
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