M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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室生寺行きのアリバイ

2018-04-22 | エッセイ


 H大学時代、同じ学校の女の子とは部活以外での付き合いは全くなかった。つまり、恋人のような人はいなかった。

 クラブの中に活発で、理知的で、はきはきものを言う女の子が一人いた。Iさんと言っておこう。部室は今のH大とは似ても似つかぬ、どす黒いコンクリートの打ちっぱなしで奇妙な6角形をした物の地下にあった。



 <六角校舎>

 なんだか会話の中で、室生寺に行ってみたいと彼女が言った。僕は大阪市大に一年半ほどいたから、けっこう奈良や斑鳩の寺を歩いていた。その中には、室生寺もあった。知ってるよ、ちょっと行きにくいけど歩いたよという話をした。すると、連れてってということになった。

 僕は構わないと思ったけれど、ちょっと、二人だけで奈良まで、泊りがけで旅をするのは、まずいかもと僕は思った。Iさんは部活の中では、さっぱりした、目の涼しい女の子で、男子学生の注目を集めていた存在だということは、僕も感づいていた。二人で奈良まで旅をしたなんて話になるのは、やはりまずい。

 そこで、二人ではないというアリバイ作りが始まった。

 僕は大阪の音大に行っている高校の後輩の女の子に、室生を友達と歩くから一緒に来ないかと誘った。柔らかい関西弁で、かまへんよと、応じてくれた。Iさんの方も東京の友達に、室生に行こうと誘ってOKをもらったようだ。これで、二人だけの怪しまれそうな旅のイメージは吹っ切れると思った。



 <アリバイ作りの4人>

 奈良駅で待ち合わせたら、大阪の子も2人で来ていた。もう一人は僕の全く知らない女の子だ。東京からIさんと一緒に来た子も僕は知らない子だった。結局、5人での室生行となった。男は僕一人。女の子たちは打ち解けるのが早い。たちまち、4人でしゃべり始めていていた。

 室生大野口からバスに乗って深い偏狭な谷の道を行くと、門前の太鼓橋を渡れば、女人高野と言われる室生寺だ。変わらぬ静かな、佇まいだ。


 
 <室生寺の坂>

 僕が寺を訪ねるのは、大体は仏を見ることに目的があるのだが、室生は、そういう意味では僕の期待には応えてはくれない。運慶の木彫りが数体あるだけで、木彫の持つ優しいまなざしには会えないからだ。室生のいい所は、村と、建物と、林と、苔と、石段と静けさだろう。特に、金堂を目指して鎧坂を登るとき、室生に来たなと感じるのが、苔むした石段とそれを取り巻く木々だ。この石段は本当に美しい。

 今回、写真で見ると、台風で壊れて再建された五重塔はそれなりに美しいが、新しすぎる。周りの林の風景から、饒舌に飛び出してくる。昔の周りに溶け込んだ古い五重塔の方がいい。

 室生の本当の売りは、五重塔からの高い、細い、奥の院への石段だ。高い杉に囲まれれた深い森にいる自分を発見する。一歩一歩、石段を踏みしめながら、頭上にのぞく奥の院の舞台造りの位牌堂を目指す。僕たちを取り巻くものは、みどり色と、杉の、香りだ。

 五人もいても、息が切れて言葉は出ない。自分だけの思いを感じながら、登っていく。



 <奥の院への登り> 

 下りは楽に見えるが、今度は疲れた膝が笑う。途中の階段に座り込んで、風の音を聞いている。やはり、この階段が、室生の最大の魅力だ。



 <話し込んでる二人>

 帰りに西ノ京によって、唐招提寺をみんなで歩いた。でも、みんなが一緒な空間ではなくて、いつか、二組の女の子たちは、二手に分かれて静かに言葉を交わしていた。一人の僕は、自分の時間を過ごしていた。この寺は、何度来たかわからないが、天平の大屋根の豊かさに安らぎを感じる空間だ。



 <大阪のアリバイ、二人>

 アリバイ作りは功を奏して、部活の連中には分からなかったらしい。つまらぬ噂に
巻き込まれることもなく大学を卒業した。この旅は、二人の内緒のままだった。

 それから40年後、クラブの40周年記念の会合がボワソナードタワーで開かれた。親しい友人と、懐かしい先輩に会えると思って出席した。そこにIさんが出席していて、懐かしい再会になった。苗字は知らない苗字になっていたが、はっきりした物言いも、チャーミングな笑いも消えていなかった。少し太っていた。室生は楽しかったねと、周りを気にしながら僕が囁いたら、元気な声で、そう、すばらしかったわねと大きな声で答えが戻ってきた。でも、周りはわからない会話だった。



 <クラブの40周年記念>
 
 その後、風の便りで、Iさんが病気で亡くなったと聞いた。ちょっと残念だった。

 この話は、親しい友達にもしていない。このエッセイが初のお披露目となるが、彼らはどんな反応をするだろうか。楽しみでもある。

 僕の心臓君が文句を言うから、もう石段は禁物。二度と室生寺へは行くことはできないだろう。残ったものと言えば、確実に室生を愛する女性が4人増えたということだ。



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