2001年の日本・イタリア年から始まったイタリア・ブームは、一度その温度を下げたけれど、最近またブームのようだ。
イタリアはこの13年間、変わっただろうか? 答えは、もちろん変わった。そして、日本の中におけるイタリア観もかなり変わってきていると思う。
スローフード、スローライフなどのイタリア原産の言葉も定着してきたようで、日本の生活の表現の中でも使われている。つまり一般化したわけだ。特定の事象をさして話されるということではなくなったようで、それは良いことだろう。
スローフードについて書いてみようと思う。
書こうと思わせたのは、BS日テレの「小さな村の物語 イタリア」だ。数少ない僕の好きなテレビの番組の一つ。もう何年も見続けている。それは生のイタリア語を聞きたいとの思いからのスタートだった。
しかし、いつか、その番組に現れるイタリアの田舎の今日的な生活に対する羨ましさに、ハマッテしまった。今では、見逃すと残念…という気になる。
日テレという局は、地上波ではつまらないことばかりやっていて、見たい番組は全くない。昔ながらのアクの強い、お笑いを売りにしているからだ。
しかし、BS担当役員は賢明なのだろう。他のテレビ局に先駆けて、「小さな村の物語 イタリア」という質の高い番組に作くった。そこでは、地理学的な田舎への旅と、そこに暮らすイタリア人のリアルな物語をうまく組み合わせて、見る者の心をとらえている。
単にテレビカメラを、その田舎に持ち込むだけではなく、そこに住む人の営みを鮮やかに浮かび上がらせてくれる。きっと、事前のロケーション・ハンティングが素晴らしいのだろうと思う。そして、それは外国のテレビクルーとしては、とても難しいことだとも思う。
小さな村は簡単に見つかるだろうけど、そこに住むイタリア人の家庭の物語を引き出すには、大変な努力が必要だろうと思うからだ。
この番組を見ていて、昔、スローフードという言葉について、日本スローフード協会のエッセイスト、NSさんと議論したことを思い出した。
NSさんは、ローマのスペイン階段の前にできたアメリカのマクドナルドのファースト(早い)フードに対して、イタリア伝統の手間のかかる、つまりスロー(ゆっくり)な食べ物として、スローフードという言葉を位置づけて講演を始めた。
それを聞いた僕は、僕はまったく違うスローフードの定義を信じていたから、講演後の公開Q&Aでそのことを訊いた。彼女は、ネーミングについて、従来通りの答えを出した。僕は納得しなかった。逆に、後述する本を読むことをお勧めした。
僕の知っていた定義は、イタリア人の書いたエッセイ集の中に在った。それは、マックの問題が起きる1980年代よりもっともっと以前、第二次大戦のイタリア軍の食生活から始まっている。(参照:「アモーレ・ディ・ヴィーノ」ファブリッツオ グラッセッリ著2001年12月 トラベルジャーナル発行)
イタリアは第二次世界大戦で、ドイツのヒットラーと組んで、ムッソリーニの指導のもと、ヨーロッパを戦火に染めていった歴史がある。
この大戦のイタリア軍の食事は、乾燥パスタと、カンズメのスゴ(スパゲッテイーソース)が主だった。簡単に軍隊を賄うことが容易だったからだ。そこには、無味乾燥な、画一的な味しかなかった。そして敗戦後、この食事は、おおぜいの人が集まる食堂、つまり大学の学食、企業の社員食堂などのメンサで用いられるようになっていった。
元々は地域性の強いイタリアの食事には、その地方、地方の味があり、食材があり、それを守って生きてきたお袋、すなわちマンマがいたわけだ。根っこには家族主義を持つ若者たちは、その事実を思い出し、軍隊で発明された乾燥パスタとスゴの食事、つまりファーストフードに対抗して、ピエモンテ州から、イタリアの食事のルネサンス(再生)を旗揚げしたと語られている。これがスローフードの始まりだった。
こうして、元々、地域にあった味がイタリアに戻ってきたわけで、マクドナルドとは直接は関係のないスローフードへの回帰が起ったわけだ。だから、今のイタリアの食事は、大きな試練を乗り越えたマンマたちのオリジナルの味なのだ。いわば、お袋の味だ。世界中の人たちが、その固有の食べ物を愛しているわけだ。
トスカーナのマンマの味の一例をあげると、リボリータがあげられるだろう。堅くなったトスカーナの塩なしパンを、野菜や豆たちと一緒に煮なおした料理だ。トリッパも何のことはない、トマトソースのホルモン煮だ。素朴だけどうまい。
こうした考え方は、単に食べ物だけではなく、さらには生活の仕方までおよび、その土地、土地の本来の生活を大切にしようと、スローライフという言葉まで作られた。冒頭の「ちいさな村の物語 イタリア」は、そのスローライフの実証として、僕に訴えかけてくる。
今日、日本スローフード協会のホームページを見ると、昔からの「ファーストフードを皮肉ったもの」と依然として書いている。
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