M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

「チェルト君のひとりごと」は電子ブックへ移りましたhttp://forkn.jp/book/4496

飛行機を列車に替えて、鳥取へ

2019-02-17 | エッセイ

 二つ目は、鳥取の鳥取Sanyoへのお客様のコールの時だった。鳥取の営業所が、製造業のアプリケーションを実際に動かしている責任者の僕を、同業のお客様のトップ訪問として企画したのだ。二つ返事で引き受けたのは、鳥取は僕のうちの祖先のご本家がある岡山の隣の県だから、余計に気持ちが動いたのかもしれない。

 鳥取行きのフライトがANAの都合で、飛ばなくなった。またかよと、気落ちしたが、広島行きのトラブルを思い出して、近隣の空港へのフライトを探した。幸い、羽田~米子のフライトが取れた。だが、米子から鳥取まで北上する手立ては考えていなかった。残念ながら新幹線は走っていない。米子駅で決めるしかないと、水木しげるの漫画にあやかった名前の「米子・鬼太郎空港」を後に、米子駅へとタクシーを拾った。



 <米子・鬼太郎空港>*1

 駅で調べて見ると、山陰本線には特急や急行は少なく、一番早そうなのが東京行の寝台特急、ブルートレーン「出雲」だった。仕方がない。特急料金を上乗せして、米子から鳥取までの列車の旅をすることになった。寝台特急はディーゼル機関車にひかれて、ゴットン・ゴーゴー、ゴットン・ゴーゴーと日本海をなめて走る。誰も相客のいないコンパートメントに一人ぽつねんと座って、車窓から見える人気のない町や村は、日本海を背にして寂しげに見えた。せっかちな僕には、やけにゆっくりだと感じた1時間だった。でもしょうがない。



 <ブルートレーン「出雲」>

 翌日、創業者の井植副社長にご挨拶をした。営業的な話はできないので、IBM社内の研究開発・製造支援のシステムの概況を話した。特に、ストラテジックに、全体のシステム構想をマネジメントを巻き込んで描いて、それに基づいたシステム開発の実績を話した。現実に大和研究所、藤沢工場、野洲の組み立て部門で動いているシステムを話したから、説得力があったのかもしれない。



 <井植さんのカード>

 僕の話を聞き終えた井植さんは、突然、明日から始まるサンヨー社内の「技術発表会」で同じ話をしてくれと依頼された。驚いたのはうちの営業のほうだった。聞くとサンヨーでは、地域の活性化の目的で、鳥取大学の理工学部系の卒業生は、サンヨーを希望すれば、基本的に全員採用していると聞かされて驚いた。こんな地方進出の企業理念もあるのだと、恐れ入った。翌日は休日で予定がなかったから、即、お受けした。



 <鳥取Sanyo>*2

 IBMの営業所に戻って、僕の持つ資料をフォイルに焼き、翌日の技術発表会(200人以上のエンジニアがいたと思う)で、同様な話をさせていただいた。質疑応答の時間もあり、僕も汗をかきながら、一生懸命、対応した。他社で技術者を相手に、こんなレクチャーはしたことがなくて、新しい経験をさせてもらった。

 最初の日の夜、鳥取営業所のおごりで、初めて岩ガキの大きいのに出会った。うまかった。事前のメールのやりとりの折、「夏にカキを食わせるって、俺を殺す気か」と話したことは撤回して、ご馳走になった。本当に大振りで、クリーミーで、うまかった。その後、岩ガキを探してはいるが、なかなか、あんな立派な岩カキに出会ったことはない。



 <岩ガキ>

 講演会の後、少し時間があったので、鳥取の街を歩いてみたが、決して活気のある町ではなかった。営業も大変だなあと思いながら、鳥取空港から羽田に飛んだ。



 <鳥取空港>*3

 後日、鳥取営業所から、大型の商談に成功しましたよと報告があった。よかったと僕自身でうれしかった。

他社のマネジメントと話すと、いつも大きな発見に僕が出会う。これも外に出てみる魅力の一つだった。


 あと営業支援で付き合いができたのは、東芝の府中工場長の小島さん、青梅工場長の岡田さん。お二人とは長い付き合いになった。Sonyさんやパナソニックの担当部長などともお話ができた。特記すると、韓国のサムスン電子の会長ともお知り合いになれたことだろう。今のサムスンの、繁栄の将来を見通すことは、僕にはできなかった。

 これらが、アプリケーション担当の役得であり、営業支援の面白さだった。


P.S.
クレジット情報
*1:米子・鬼太郎空港 及び *3:鳥取空港は、国土交通省の版権
*2:鳥取サンヨーは、日経新聞の版権