実際に開発製造部門のアプリケーションに責任を持っていた僕は、IBMの営業からの営業支援依頼で、いくつかの客先の企業を訪問する機会に恵まれた。そこには、楽しいことにも、困ったことにも当然あった。その中の二つほどを書いてみたい。
内部のお客様とのコンタクトの多い僕にとっては、社外に出ることは基本的には楽しいことだった。だから、よほどのことがない限り、営業からの要請を受けて、お客様のサイトに出かけるようにしていた。でも予期できない状況に置かれて、必死になったことがいくつかある。最悪の問題は、お客様との約束を守るのが難しい状況に追い込まれた時だった。
一つ目は、広島のお客様、マツダとの上級役員とIBMとの合同技術検討会議への出席だった。
<マツダ本社>
お客様との合同会議は、翌朝、8:30からと決まっていた。製造業の会議は、だいたいスタートが早い。だから、前日に広島入りが必要だった。羽田から広島空港(正確には、元)へのフライトの予約は取れていた。ホテルも広島空港の側に、広島の営業が予約して呉れていた。あとは飛べばいいだけだった。
<元広島空港上空>*1
しかし、羽田についたら、広島行のフライトがANAの理由でキャンセルとなっていた。ANAに掛け合ったが、自分で処理してくれというばかり。新幹線も彼らの頭の中にはあったのだろう。しかし、僕は翌朝が早い。できるだけ早く着いておくことが大切だった。怒りが込み上げてきたが仕方がない。考えた。そうだ、福岡に飛んで、そこから新幹線で逆に戻ってくればいいと考えた。ANAに再度掛け合って、福岡空港までのフライトを確保した。
<福岡空港>*2
僕にとっては、福岡は初めて。だから土地勘もない。そのころは、まだ空港までのメトロもなく、タクシーを博多駅まで飛ばした。そして、上りの新幹線に飛び乗った。広島についたのは、もうとっくに夜10時を回っていた。そこからまたタクシーで、飛行場の近くのホテルにたどり着いたのは、11時を回っていた。しかし、そこはビジネスホテルだから食事はとれない。近くにコンビニもない。
仕方なく、一番近い食べ物にありつける所を訊いて、そこで目に飛び込んできた広島風お好み焼きの店を見つけて、やっと夕食を終わったのは11時半を過ぎていた。
<広島風お好み焼き>
翌朝、営業が僕を8時前に迎えに来て、なんとか、8:30amの会議に間に合った。とにかくよかったと自分を慰めた。マツダの上下関係のない自由さの、議論の闊達な会議に出席できたのは、僕にも収穫だった。ここでは、部長も、課長も、平のエンジニアも、出入り業者(IBMもその一つ)も、本音で率直な対話が成り立っていた。いい会社だなあと、感心したのを覚えている。何しろ、社外(IBM)の人間も、まったく自由に、社内会議で発言できたのだから。
帰りは翌日、予定通り、今は無くなった広島空港から、羽田に帰ってきた。
<元・広島空港>
その後の営業からの報告によると、IBMの提案が採用されたと聞いた。あの焦りが、いい思い出になった。さらには、マツダという会社が素晴らしい会社だと分かったことは、その後、何度かお会いしたマツダの幹部との会話に大きくプラスした。風通しのいい会社だと、自信をもって会話できるからだ。
<マツダ情報開発担当部長>
その何年か後、IBM大和研究所でマツダの長谷川さんにお会いした時には、お土産に、初代ロードスターのキャストモデルをいただいた。赤いそのミニカーは、僕の書斎のデスクの上に今もある。
<初代ロードスター(ウインドシールを落として壊してしまいました)>
今、マツダさんとの関係はどうなっているか分からないが、あの闊達な会議に、IBMの誰かが出席できていればいいとは思う。
僕はマツダ車は買わないが、最近のマツダの車は、他に例を見ない個性を持ったデザインになっていると思う。その裏には、あの風通しのいい社風が、今も息づいていると思うのだ。
P.S. クレジット情報:Copy Right
*1 西広島空港 by国土交通省
*2 福岡空港 by 西日本新聞
*3 元広島空港 by Taisho さん ライセンス:Creative Commons 3.0