M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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幻の陶磁器コレクション

2017-02-12 | エッセイ



 昨年(2016年)秋、20年ぶりに大阪に行った。

 大阪は、僕が最初の大学に入った街。親父の関係で、淡路島の洲本高校に1年半いて卒業した。特別奨学金だけしか金はなかったから、学費の安い公立を選んだ。それが、大阪市立大学だった。

 60年安保闘争のど真ん中、しかも、学長までマルクス系で、安保反対デモには学校がチャーターしたバスで参加したものだ。学長が真っ先にそのバスに乗っていた。左派の弾圧などで、京大などから立派な教授が大阪市大に流れてきていたからだ。学生は、左派だらけだった。

 1960年6月15日には、大阪の一番大きな道、御堂筋を占拠してフランス式デモが行われたのを昨日のことのように覚えている。樺美智子さんの死が伝わったのは、そのデモが難波について、流れ解散になった時だった。僕も機動隊との乱闘で、血にまみれた。



 <フランス式デモ>

 そんな大阪の街を20年ぶりに尋ねることにした。目的は三つ。

 一つは、大阪市立東洋陶磁美術館を、時間をかけて見ておくこと。
 二つ目は、僕の知人、Mさんのご尊父が集められたという、中国、朝鮮の陶磁器の個人コレクションを拝見すること。

 心臓君の制限で、一日一仕事と決めているから、4泊5日のスケジュールを組んだ。フルに使える中3日の2日を、二つの陶磁器コレクションの鑑賞日とし、後の1日で、大阪の旨いものを食べ、懐かしい景色を眺めてみようという旅だった。

 中之島の大阪市立東洋陶磁美術館には、うんと昔に行ったことがある。淀屋橋から懐かしい府立図書館を過ぎ、中之島の端っこに立つ美術館だ。府立図書館を思い出したのは大学受験の夏休みに、受験勉強の席を確保するために朝、並んでいたら、新聞社が来て受験生の列を写真に撮った。偶然、僕が映ったので、新聞の切り抜きを取っておいていたからだ。



 <大阪市立東洋陶磁美術館>

 ここ市立東洋陶磁館は、本当に素晴らしい。安宅を住友が救済したが、安宅コレクションを切り売りすると、ちりじりになり、散逸してしまうことを恐れ、安宅コレションをそっくりそのまま、無料で大阪市に寄贈したと聞く。おかげで、安宅が華やかな頃、中国や朝鮮で買い集めた東洋陶磁器を、安宅コレクションとして僕たちが楽しむことが出来る。商売、商売の大阪商人も、まんざらではないと感じいった。

 僕は、ここの陶磁器を東京で二回は見ている。一度は上野の国立博物館。この時、朝鮮磁器のとりこになって、日本の焼き物は、いくつかの例外を除いて、まったく緊張感のない三流に見えるのだ。「てびねり」という、これでどうだというような、生臭い、まがい物のように見えるのだ。

 数年前に、六本木のミッドタウン美術館でも、安宅コレクションを見て、そのすばらしさを、再確認させられた思い出もある。



<3点の葉書>


 残念ながら、今回は、東洋陶磁美術館では、壊れた白磁の大壺は展示されていなくて、残念だった。



 <壊れた大壺 東洋陶磁美術館HPより>

 中の一日、懐かしい大阪を観ようと地下鉄で阿倍野まで出かけ、あべのハルカスに登ってきた。横浜のランドマークタワーに比べて高いだけではなく、最上階にゆとりがあって気持ちがいい。谷町筋、四天王寺の境内、天王寺動物園、懐かしい阪堺電車などを足元に眺め、変わった大阪の街を見た。



 <四天王寺と堺筋>




 <阪堺電車>

 そのあと難波に出て、千日前で昔、感激したカンテキ(七輪)で焼くホルモン焼きの汚い店を探したが、みんな小ぎれいになって昔の風情は消えていた。電熱器で焼いたホルモンを食べ、大阪で一番と言われるたこ焼きを食べ、一応楽しんだ。

 残念ながら、二つ目のM氏のコレクションは、M氏から、お見せできないと連絡が入ったのは、横浜を出発する2週間前。理由は不明。

 楽しみにしていたのにと、残念。M氏が送ってくれた手作りのパンフレットを見ると、中国の作品が26点、朝鮮のものが10点、僕には興味のない日本のもの9点、合計45点のすばらしいコレクションだ。じっくり、半日はかけて拝見したいと連絡したのだったが…。

 もともと中国のものは、僕には、朝鮮のものに比べて、武骨で、繊細さがないとみえる。強いて言えば、北宋時代の白磁の花瓶、南宋時代の青磁の茶わんなどが目に付く。



 <李朝白磁大壺 M氏コレクション>

 朝鮮のものになると、すばらしい作品が続く。中でも、高麗の青磁器、李朝の白磁の大壺は、特に観てみたいものだった。これらの中には、安宅コレクションにも負けない作品が残っているようだった。



 <高麗青磁 M氏コレクション>

 今から思えば、2013年に連絡をもらった時、すっ飛んで行っていれば見られたものをと慚愧に堪えない。「善は急げ」「鉄は熱いうちに打て」とは、こんなことをいうのではないかと反省しきり。やはり残念でならない。

 2013年にM氏と話した時、「本当にあなたは、億万長者だね」と言ったことを思い出す。鑑定され本物だとなったら、億という数字をこえても不思議ではない。このコレクションが、相続などの問題で散逸するとしたら、悲しいことだ。作品にとっても、群れでいた方がうれしいはずだが。

 これで、このコレクションは、まさに幻となってしまった。