M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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53年ぶりの同窓会

2014-01-05 | エッセイ


 神戸から明石海峡大橋を渡ったすぐそばのホテル・ウエスティンで、高校の同窓会が開かれた。

 高校卒業後、53目年の同窓会。200名くらいの卒業生の中で65人位が集まったのだから、すばらしいというほかない。卒業生の3割が集まったということは、皆まだまだ元気だと言うことだ。

 そういう僕にとっても、53年と言うのはこれまでの人生の7割以上の時間だから、大変、長い時間の隔たりがあったわけだ。

 53年ぶりに会った親しい友達は4名。そのうち部活の仲間だったのが3名。僕の友だちと、面白い子だと親交があったのが一人。もちろん、僕も含めて年を取っていた。この3人とは53年間、全くの音信の無い関係だった。しかし、話し始めると、53年の長い時間がさらりと溶けていく。友達ってそんなものなのだとうれしくなる。

 部活仲間と話していると、やっていた共同作業が鮮やかに思い出される。普通の娘さんだったKさんは、美しく年を取っていた。昔より美しい。主演女優の一人だった。

 部活のA君とは、演出家と主役の係わり。僕は芝居がまったく出来なかったので、偉そうに演出をやっていた。しかも、高校生の演劇としてはちょっと難しい太宰の作品を取り上げたりして、背伸びしていた自分いた。恥ずかしい。A君は、今でも演劇をやっているそうだ。すごい。バスの声と、身長が高い。今も楽しんでいるようだ。

 H君とは、とにかく親しい友達だった。何をするにも、一緒だったような記憶がある。お互い、なんの秘密もなかった仲だ。名古屋に住んでいて、一度、賀状を出したかもしれないけれど続かなかった。彼にもらったバイオリンはものにならなくて、転居、転居の流れの中で消えている。だから若干、僕には罪の意識もある。

 ハム子さんは、僕の悪友Taと一緒に冷やかしながら行き来していた子。公子と言う名前だけれど、Taと僕は、ハム子と呼んでいた。53年ぶりに話したら、悪友と僕が彼女の自宅に遊びに行っていたことすら、すっかり忘れている。でも、ちょっと天然なところが、昔の面影。

 後は、10年ぶりにあった弁護士のK君。息子も弁護士になったけど、自分の神戸・元町の法律事務所は継いでくれなかったと、ちょっと寂しそう。弁護士も厳しい世界に入ったようだ。彼の勧めで、僕は自筆遺言状を書いた。そうでなかったら、遺言は書いていなかっただろうと思う。感謝。

 今回神戸に出かけた理由には、もう一つ、大切な目的があった。どこかでブログに書いているけど、悪友のTaは脳梗塞で倒れてリハビリ中。民間医療施設で無言の世界に住んでいる。くたばる前に、どうしてももう一度会っておきたかったのだ。同じ高校の旧友。悪友。

 彼は、みんなと一緒にいたプレールームに僕が入っていくと、僕を見つけて、笑みを浮かべて、車椅子の上で手を振ってくれた。元気そうだと思った。

 今回、試みがあった。「あ い う え お」50音のボードを作ってもって行った。食事を自分でできるのだから、指は思い通りに動くわけだ。そうであれば、ボードのひら仮名を順番に指さして「う れ し い」とか、彼が意志を表現できると思ったからだ。



 しかし、出来なかった。言葉を頭の中で作る回路が壊れているのかもしれない。彼は、僕が彼の人さし指を取ってやって見せたら、彼は凍り付いて、表情が消えた。悔しかったのかもしれないし、僕にバカと言っていたのかもしれない。脳の中で、言語が形成できていたなら、きっと、指で表現できると考えていたのだが…。

 その帰りに、恩師のO先生にも会ってきた。なぜか、僕がO先生を迎えに行って、Taの見舞いに一緒に行くと思っていらしたらしい。マンション型の老人ホームにお伺いしたら、ジャケットを着て、外行きのパリッとした服装で出ていらした。アッと思った。Taのことが気になっているので、一緒に見舞いたいとの気持ちだと分かった。申し訳ない。



 近くの喫茶店で1時間くらい話して帰ってきた。もちろん、Taの状況も話しておいた。もう90歳に近い歳とは思えなく、お元気そう。こんな年になっても、教え子の事を気にかけて頂けるっていうことは、幸せなことなんだなぁと思いながら神戸まで車を飛ばした。

 神戸の街は昨年、訪れているけれど、どんどん変わって行っている。僕に言わせれば、悪い方に変わってきている。17年前の震災からの復興は目覚ましいけれど、失っていっているものがあるようだ。

 たとえば、トーアロード。昔は、個人商店のユニークな店がたくさんあって、歩いても楽しい町だった。デリカテッセンの始まりの店もあった。ジャズのピアノバーもあった。でも今は、車がビュンビュン走る通りでしかない。

 六甲山ケーブルカーは壊れたままで、バスで代行サービス。ケーブルカーでの景色が売りだったのに、バスじゃしょうがない。天災だからしょうがないが、このままだと、六甲への客は、なあんだ…ってことになるだろう。

 フロインドリーブもがらりと変わって、懐かしいパン屋さんが、何のことは無い、女性陣に占領されたランチ・レストランと化して、元々は古い教会だった空間を埋めている。ちょっと寂しくないか…と独り言。

 一番ひどかったのはジャズの店、ソネ。とんでもないトリオが、ピアノとドラムスとのリズムがとれないまま、上手くもないヴォーカルを唄わしている。ベースはまだ経験が浅いらしく、しゃかりきで、ピアノとドラムスの間で汗をかいている。いても仕方ないから、ワンステージで帰ってきた。

 今度もし神戸に行くことがあったら、よく考えて、行動しようと自戒。大好きだった神戸も、寂しくなったものだ。

P.S.
 ・昨年も試したクリスマスのシトーレン。フロインドリーブのそれは、日本一だと今も信じている。
 ・六甲山ケーブル、1月26日から運転再開です。