過日、奇妙な体験をした。奇妙というより、頭の混乱した二人が話したと言った方が素直だろう。
銀座で、武内ヒロクニさんの個展があった。
ヒロクニさんは、関西ではなじみが深い神戸出身のユニークな画家だ。
まえに毎日新聞の夕刊に「しあわせ食堂」というコラムがあった。ここにはいろんな有名人(例えば、田辺聖子、藤田まこと、星野哲郎さんなど合計50名)が、戦後の腹ペコの時代を思い出し、一人一人が懐かしい「たべもの」について短いエッセイを書いている。これらに度肝を抜く絵をつけたのが、ヒロクニさん。
これらの毎日新聞夕刊のエッセイと絵をまとめて、「しあわせ食堂」というタイトルで光人社から刊行されている。50のエッセイと、50の絵がついている。
いわし
羊羹
ヒロクニさんに僕宛のサインを書いてもらった本は、その後2~3日で読んでしまった。
僕の読み方がエッセイの読み方ではなかったからかもしれないが、50編の中のどれ一つ、今は覚えていない。いろんな人が書いたエッセイを、次から次へと読んでしまったので、みんながごちゃごちゃになって、結果として、何も残らないということを経験した例の一つだった。(参照「エッセイ本」) 僕のホームページ⇒ブログ⇒「エッセイ本」で読んでいただけます。
( http://tetsundojp.wix.com/world-of-tetsundo :ホームページのアドレス これをクリックしてみてください。
冒頭の奇妙な体験について書いてみようと思うけれど、頭が混乱した一方が、一方的に書くのだから、うまく伝わるかどうかは分からない。
ヒロクニさんとの出会いは、親父のことを書いておこうと資料をもとめてグーグルを検索したのがきっかけだった。唯一、武内ヒロクニさんのブログに親父の名前を見つけた。
ヒロクニさんのことを、東京の親父のお弟子さんたちに訊いてみたけれど、誰一人、ヒロクニさんを知らなかった。グーグルでヒロクニさんの絵も見つけた。具象とも、抽象ともいえるユニークな絵柄だった。
セピア色の写真に、親父と一緒に写っているヒロクニさんには、僕は見覚えがなかった。全くわからない。ブログの著者にメールした。返事があった。ヒロクニさんは、間違いなく僕の知らない親父を知っているようだ。チャンスがあれば、お会いしたいとメールを戻した。
しばらくして、銀座で個展を開くと言う案内を頂いた。奥さまがネット担当のようだ。
そこで、僕は銀座に出かけて、ヒロクニさんの絵を見て、奥様にお会いして、親父とのつながりをヒロクニさんから伺った。
そこで、冒頭で話した混乱した会話が二人の間に生まれた。
ヒロクニさんは、僕より5歳上の洋画家。親父との接点は、僕が高校生の頃だった。だから、今から50年ほど前の事だ。場所は神戸。絵の先生と弟子の仲だったようだ。すべて、僕は初めて聞く話だった。
混乱したのは、ヒロクニさんが、僕の顔、声、白髪、しぐさなどに、彼が尊敬する(?)僕の親父を見出したのがきっかけだ。今話している目の前の僕のなかに、彼は親父の面影、イメージを見出し、まるで僕の親父と話しているかのような錯覚をもったようだ。
僕達は画廊のソファーに横に並んで掛けて話していた。右側に座ったヒロクニさんの顔を見ながら話すため、体を右に向けて、僕は右手の肘をソファーの背もたれに掛けていた。
ヒロクニさんが僕の手を見て、ちょっといい…と僕の手を取った。二人は握手した。温かな大きな手だった。親父の手にそっくりだとヒロクニさん。僕は親父の手は覚えていないけど、ヒロクニさんは覚えていたようだ。ヒロクニさんの手を僕のと比べてみた。かなり大きな手だった。僕の手も大きいから、ヒロクニさんも大きな手だった。
ヒロクニさんは、ヒロクニさんが知らない神戸以降の親父の事を聞きたいという。今度は僕が、ヒロクニさんが知らない親父について話す。二人は同じ「徳山巍」について話しているけど、時代、年代の違う同一人物について語っているわけだから、三人が共有した世界はまったく無い。親父だけが、僕達、二人と時間を共有しているわけだけど、彼は22年前に亡くなっている。
僕が親父の話をするときには、成り行きで僕自身の事も話すことになる。ヒロクニさんにとっては、それが親父の話なのか、僕自身にの話なのか、分からなくなってしまう。僕がヒロクニさんを混乱させているわけだ。
さらに、親父の事を僕に話しているうちに、僕と話しているのか、僕に親父のことを話しているのか、はたまた、親父と直接話しているのか、分からなくなってしまったようだ。
僕は親父に似ているとは思わない。きっと立ち振る舞いが似ているのだろう。
僕が年配のヒロクニさんを、先生と呼んで話したことも、混乱をさそったようだ。「先生」という言葉は、彼にとっては親父の意味だった。彼が先生という時は、親父。僕が先生という時は、ヒロクニさん。これも混乱を引き起こす原因。
そうなると、もうなにがなんだか、二人ともわからなくなって奇妙な会話になった。
ヒロクニさんは、混乱を解消しようとして、トイレに立った。
当初の目的の、僕の知らない親父、50年前の姿の一部を知ることが出来た。
ヒロクニさんは、この会話をどう理解しているのかはわからない。二人とも混乱の中にいたから…。
僕にとっては、え難い機会だった。ありがとうございます、ヒロクニさん。
そういえば、ヒロクニさんは親父の晩年の風貌そっくりだった。どちらかと言うと、ヒロクニさんの方が、息子の僕より親父に似ているかもしれない。
注:添付の絵は、「しあわせ食堂」の本をスキャンしたので、真ん中で、切れている。ご容赦!