瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

それを決めるのは……

2014-03-30 04:16:25 | 随想
もうブログを書くのをよそうと思ってタイトルに「最後のあいさつ」と書き込んでこの項を書き始めたのだが、気が変わった。私がそれを決めるのはよそう。決めるのは、あなた。あなたが書き続けろと云うなら私は書き続けることにする。読み手の要望に従おう。読み手が居てこその書き手である。書き手がいくら気張っても、その言葉が虚空へ消えていくなら無駄だもの。 では、読む気がある人がいたらその旨コメントしてください。な . . . 本文を読む
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前回の修正など

2014-03-18 21:18:19 | 随想
いまさら気がついたんだけど、西行の時代に染井吉野はないね。現代の在り方が普遍的でも絶対的でもないと書いておきながら、私は見事に今の時代感覚で桜について書いていた。今の時代は桜といえば染井吉野で、染井吉野の開花時期は3月下旬で、だから如月の望月のころに桜は咲くのかなんてことを言い出す始末。桜だって種類によって開花時期はまちまち。西行の時代、一般的に桜といえばなにを指したのかは知らないけれど、ともかく . . . 本文を読む
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お彼岸など

2014-03-15 21:36:20 | 随想
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集) 今日(3月15日)は陰暦では如月の十五日。西行の云う、まさに望月のころ。もっとも満月は二日後の17日だけどね。 西行は望みどおり二月十六日に入寂したそうだが、さてそのとき花は咲いていたのかしら。この時期、桜はまだ早い。ま、今年は今日が如月の望月のころなわけだけど、去年は3月26日が如月の十五日だったからね。それだった . . . 本文を読む
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#171

2014-03-14 04:53:37 | 考える日々
ちょいと前に選択をしないという選択をすると書いたけど、そういえばこういう言い方を何かで読んだなあ、と記憶をたどってみて思い出した。食べないを食べるって言い方だったと思う。これは断食とは何をしているのかって話。この断食の話はインド関係の本で読んでいたときにでてきたので、さすがは0(ゼロ)を発見した国らしい発想だと感心した。 でも0という行為をすることは誰もがしていることでもある。意識的にすることは . . . 本文を読む
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#170

2014-03-11 04:52:48 | 考える日々
社会のなかで生きていれば社会によって規定される。個人は消失する。といって社会から離れて個人、つまり私生活レベルになったところで、結局は外面(そとづら)で生きるているわけで、ま、自己演出である。 南伸坊「本人伝説」について森村泰昌が書評を書いている。 「南伸坊は自らの顔に『本人』の似顔絵を描くことで、本人から『本人』を切り離しても、『本人』はじゅうぶん『本人』たりえることを証明してみせた。(中略) . . . 本文を読む
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#169

2014-03-09 06:59:32 | 考える日々
鷗外「阿部一族」を読んでいると自分の意志とは関係なく別の大きなシステムによって歯車がまわっていく感じがする。そのシステムを運命といってもいいけれど、この小説ではもっと具体的なもの、武士という規範によって個人の行動が否応なく決定されていくという抗い難い流れの存在を思う。 流れにのらないという選択肢はあるにはあるが、それは武士であることをやめるということでもある。武士であろうとすれば筋書 . . . 本文を読む
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第伍話

2014-03-08 19:13:54 | 奇妙な味
春の陽光が部屋に射しこんでいる。 窓を開けるとエアコンの室外機の上で猫が日向ぼっこをしていた。見知らぬ猫である。 邪魔をするな。 そんな顔つきをこちらに向けたあと、ふたたび猫はまるくなった。 男は猫といっしょになって太陽を浴びる。 そして、うたた寝。 目覚めると、近くに大きな生き物がいた。顔と思しきその真ん中に奇妙な突起物を生やしている。なんだかヘンテコリンだ。 寝そべっているところがあたたか . . . 本文を読む
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第肆話

2014-03-08 16:09:20 | 奇妙な味
目覚めると、いつもとは違う世界が広がっていた。 何が変わったというわけではない。いつもと同じ。 変わったのは自分。いままでの自分の五感は目詰まりしていたのだ。感覚が覚醒すれば世界は違った様相を呈する。 世界はこんな姿をしていたのか。 男はいつもとは違う列車に乗り、いつもとは違う場所を目指した。 目覚める直前に見た風景。夢にしては強烈過ぎる印象を残したあの風景。男はそこへ向かった。 はじめて見る風 . . . 本文を読む
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#168

2014-03-08 06:55:37 | 考える日々
ちょくちょく鷗外を素材にしているとなんだか鷗外好きのようだけれど、別にそういうことでもなくたんに今読んでいるから素材として引っぱってくるだけ。じゃ、なんで鷗外を読み直しているかといえば貸してくれる人があったから。じつに消極的な理由であって自発的に読み返しているわけではない。自ら読もうと思うならまだ読んでいない「澀江抽齋」を読む。 さて、このような態度を他( . . . 本文を読む
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#167

2014-03-07 21:10:38 | 考える日々
違うからひとつにしようとしてみたり、逆に排除してみたりするわけだけど、どちらの行為もいただけない。ひとつにしようとすることは一見いいようだけど、ひとつにしようというのは要するに一色に塗りつぶす行為で、塗りつぶすほうは気分がいいかもしれないが塗りつぶされるほうはいい迷惑である。排除する行為はいわずもがな。つまりはいじめである。 違うと考えるからこんな行為にでる。実のところ違うものなんてない。みんな . . . 本文を読む
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