では今回は時間の話から。
第一の時間は、ゆるやかに移り変わって行く身近かな時間です。身近かな時間は、花鳥風月をなかだちにして現われて来ます。(中略)
第二の時間は、「わたし」をおびやかし、不安にさせる時間です。蛇や、海鳴りや、流れのおっちゃんの死など、ものをなかだちにして不意に現われて来る時間です。
文中に「もの」とありますが、これは「もののけ」なんていうときの「もの」。原義的な無物無生物でも . . . 本文を読む
佐藤正英「故郷の風景 もの神・たま神と三つの時空」(ちくまプリマー新書 2010年)
著者は大学の先生で専門は倫理学、日本倫理思想史。
裏表紙の内容紹介にこうあります。
日本人なら誰もが、懐かしく、心地よく感じる原風景。そこには、自然や神仏と接する、三つの時間と空間がある。失われた近代日本の土俗の風物と暮らしを、美しい文章でたどり返し、体感する。
大学の先生が書いたものですが論述文ではありませ . . . 本文を読む
「リトル・フォレスト」(監督:森淳一)夏/秋編が2014年、冬/春編が2015年に公開。
原作は五十嵐大介の漫画。全2巻。去年(2024年)漫画については書きました。
読書メモ(五十嵐大介 その2) - 瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」
このときは途中までしか読んでいなかったので、その続きを。最終話近く、母から主人公への手紙。
何かにつまずいて それまでの自分を 振り返ってみる度に
. . . 本文を読む
前回につづいて矢野誠一の本から。
この本は落語だけでなく演劇についても触れています。その中の「マルセ太郎の藝」で矢野誠一は書きます。
マルセ太郎の「映画再現藝」の、どこにいちばん価値があるかといえば、再現藝イコール批評藝になっていることだろう。つまり、映画のなかの一場面を、そっくりそのまま演じながら、それがマルセ太郎の感性によって、たくみにデフォルメされているのだ。
と言われると観てみたくなり . . . 本文を読む
矢野誠一「志ん生の右手 落語は物語を捨てられるか」(河出文庫 2007年)
文庫なので2007年出版という最近の本ですが(最近でもないか。20年くらい前だもんなあ。歳をとると20年前なんて「最近」のうちですけどね)底本は1991年。古い本です。収録されているのはさらに古い。タイトルになっている「落語は物語を捨てられるか」は1973年6月5日の毎日新聞に寄稿したもの。
落語が、これほど物語と離れ . . . 本文を読む
前項では銀河の未来の選択肢として三つ示されたって話をしました。で、3)汎銀河生命圏ガラクシアを選んだ。
ここまでが前置きでして本題はここから。選んだはいいけど迷いが生じるんですね。第5作「ファウンデーションと地球」はその迷いが描かれる。3)でよさそうなもんですが何を問題にしているのか。
「(前略)ぼくは感心しないぞ。いかに大きく、いかに多様性があるとしても、惑星にひとつの頭脳なんて。ひとつだぜ! . . . 本文を読む
アイザック・アシモフ(著)/岡部宏之(訳)「ファウンデーションと地球〔上〕」(ハヤカワ文庫 1997年)
ファウンデーションシリーズの第5作です(全7作)。
1巻はずいぶん前に読みました。で、残りは放ったらかし。今回は最後まで読破するつもりです。
4作め「ファウンデーションの彼方へ」で危機に瀕している銀河系の未来に三つの選択肢が示されます。「ファウンデーションと地球」で解説を書いている鹿野司がコ . . . 本文を読む
前項のつづき。
世界が善い人間ばかりで構成されているわけじゃないから世界は善くなることはない。
だったら仮に善い人間ばかりを集めたらユートピアは実現出来るのか。いや、無理だと思いますね。
こんな話はどうでしょう。蟻の一部は怠け者ですよね。じゃ働き者を除いて怠け者だけの集団にすれば死滅してしまうのか。いやいや、話はそう単純でもない。
「あえて怠け者を許す」働きアリの不思議な生態生物の進化を語 . . . 本文を読む
中谷美紀「インド旅行記 2 南インド編」(幻冬舎文庫 平成18年)
「1 北インド編」はずいぶん前に読みました。3巻めは「東・西インド編」。合わせてインドをぐるりと1周した旅行記となっています。今回は南インド編。
オーロヴィルってのをはじめて知りました。
オーロヴィルとは、哲学者オーロヴィンドが提唱した新しい生き方を、マザーと呼ばれたフランス人女性が引き継ぎ、その指導のもとにコミュニティーを実 . . . 本文を読む
若い個体らしい、世界がどうなっているのかを知りたい欲求は種を超えたものだ(瓢簞舟註:“若い個体”とはアオサギのことを指しています)。本能的なものでもあるのだろう。彼のこれから始まる長い「世界との付き合い」の中で、その学習は命に関わる必須のことでもあるから。歳をとるとまずその欲求がなくなる。「世界がどうなっているか知ること」はそれほど大した意味は持たなくなる。そしてそういう欲求がなくなるということは . . . 本文を読む