仮想現実とか仮想世界とか、そういう言葉で話をはじめようと思ったのだが、あらためて考えてみるとこの言葉、なにを指しているのかよくわからない。で、ウィキペディアで調べてみると余計わからなくなった。仮想世界の項目にこうある。
日本語の「仮想」という言葉は「仮の想定、想像」というニュアンスが強い。一方、英語の virtual には「事実上の、実質上の」というニュアンスがあり、仮の想像というわけではない。 . . . 本文を読む
万物の根源というものを考えたとき、どうもそれは一つのものに帰着するような気がする。もちろん確証はない。なんとなく、そう思うというだけ。こういう考え方をしてしまうのは私の癖(へき)かもしれない。ようするに思考が単純なのだ。さまざまなものがあるけれど元をたどれば行き着くところは一つ。話がわかりやすくっていい。
根源が一つということは、そこにすべてが在るということである。物質も精神も。こういう書き方を . . . 本文を読む
「孔子はこの剽悍な弟子の無類の美点を誰よりも高く買っている。それはこの男の純粋な没利害性のことだ。この種の美しさは、この国の人々の間に在っては余りにも稀なので、子路のこの傾向は、孔子以外の誰からも徳としては認められない。むしろ一種の不可解な愚かしさとして映るに過ぎないのである。」
これは中島敦「弟子」からの引用。
人物や物事をどう評価するかというのはむずかしいね。実際に子路をそばに見ていたとした . . . 本文を読む
占術といって真っ先に思い浮かべるのは一般的になんだろう。そもそもこういうものに一般的なんて言い方は通用しないか。占いを信じない人にはどうでもいいことだし、占いを信じるにしたって人それぞれ信じる占術は違うし。
ま、どんな雑誌にの載っていることを考えれば、占星術が一般的といってもいいのかなとは思うけど。
占星術の本を読んだのは随分以前のことなので記憶もあいまいなのだけれど、大雑把にいってしまえば人は . . . 本文を読む
生物は化学反応をすることで生命を維持している。機械論風にいえば肉体は化学プラントである、といった感じか。だから肉体で起きていることは化学式で表現できる。つまり法則があるわけだ。ま、すべての法則がわかっているわけでもないので、治せない病気があったりもするけど。
一方、心はどうなのか。肉体同様、法則はあるのか。私はあると思う。心と肉体はつながっているのだから、肉体が法則をもっていれば、心もその法則の . . . 本文を読む
お墓を前に手を合わせて思うのは、この命は私のものではないということ。ずっと繋いできた命の末端に私がいる。一時的に私が命を預かっているという感じ。預かっているものだから、次へ受け渡さなければいけない。が、私には子供はいない。そもそも連れ合いがいない。受け渡された命は私が使い切って御仕舞いである。申し訳ない気分でいっぱいなのだが、こればかりは、どうしようもない。縁が無かったのだ。ま、無いのは縁ではなく . . . 本文を読む
選択しようのないことは結構ある。生まれた時代とか国とか。親が誰であるかとか。
では、それ以外のことは自ら選択したことなのか。さあ、どうだろう。選択できることであっても案外自分の判断で選択したことは少ないのかもしれない。選択肢は確かに存在するが、そうせざるを得ないという追い込まれ方をするときもあるだろう。それでは実質選択の余地はない。あるいは、自分では己の判断で動いている気でいても、そのような状況で . . . 本文を読む