瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

愛おしいもの

2018-02-26 18:52:20 | 随想
ぼやきながら 愚痴りながら 不満をもらしながら それでも 懸命に生きている 健気に生きている 頑張って生きている なんと愛らしい 愚かさ 醜さ 滑稽さ それらも含めて 愛おしい . . . 本文を読む
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日々の暮らしの中に

2018-02-26 17:37:34 | 随想
この世界とは何か? とどのつまり、人はそれを考えるために生きている。というより実感するために生きている。考えることも広い意味では実感することと言っていいだろう。 世界、なんぞと大きなことでなくとも人は何かしら答えを求めているものだ。嬉しいだの楽しいだのとの実感はそれが正解だという答えなのである。これでいいんだ、という手応えを探して人は生きている。 生きる、まさしくそのことそのものが問いである . . . 本文を読む
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借りたら返す。そして綺麗サッパリ

2018-02-24 10:34:40 | 随想
なぜ自分がこのような仕打ちをされねばならぬのか。 答えは簡単。かつて自分がそのような仕打ちを他人にしたからである。他人にした仕打ちを今、自分が受けている。それだけのことだ。 自分のしたことは自分に返ってくる。良いことも悪いことも。時空間を超えて。そういうふうにできている。帳尻が合うようにできているのだ。 親にしてもらったことを子にする。次は子が自分にそうしてくれる。先輩にしてもらったことを後 . . . 本文を読む
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当事者と観戦者

2018-02-17 18:41:48 | 随想
オリンピック期間中である。関心の中心はメダルの色や獲得数であるらしい。 オリンピックに限らずスポーツとはそういうものであるのは確かである。すなわち勝ち負けである。勝ち負けということならスポーツのみならず人のすることは多くが勝負であったりもする。 勝負の当事者でなく観戦者であれば、誰かを応援することでその勝負を楽しむ。勝負に参加する。となれば当事者はもちろん観戦者も当然勝ち負けが関心事である。ゆ . . . 本文を読む
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譲り、譲られ、そして流れる

2018-02-14 11:44:56 | 随想
譲れば流れる。 といってもピンとかないかもしれない。 たとえば車を運転しているとき。道を渡ろうとしている歩行者に譲る。脇道から合流しようとしている車に譲る。すると滞っていたものが流れ出す。 譲るとは滞っているものを流す行為なのである。 そして不思議と、というより当然なのだが譲ること多ければ譲られることが多くなる。流れに乗るからである。 反対に譲らなければ譲られることもない。滞りの只中にいるから . . . 本文を読む
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知っているから

2018-02-11 19:42:57 | 随想
信じるか、信じないか そんなことではない 知っているか、知らないか その違い 知らないから拒む 知らないから恐れる 知っているから受け入れる 知っているから大丈夫 知れば 愛に包まれる . . . 本文を読む
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帰還

2018-02-11 08:18:51 | 随想
在るのなら 区別する必要は ない 現実か夢か 現実でもあり 夢でもある どう名付けても 構わない ただ 存在するだけ だが 認識している その存在は 一部 大いなるものの 一部 在るもの すべてを 知るのは 不可能 断片を 生きる のみ 生きては 死に 死んでは 生きる 断片を 積み重ね すべてに 近づく そして 私たちは 還る 大いなる存在へ . . . 本文を読む
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自分に付き合う

2018-02-10 10:33:09 | 随想
手放せ! と言われるが、そう言わなくてはならないということは、その対象に執着があるからである。執着しているからいつまでもこだわり、抱え込み、離さず、ゆえに「手放せ!」である。 手放せば楽になる。自由になる。 確かにその通りなのだが、執着しているものをそう簡単には手放せまい。手放そうとするほどにかえって執着が強くなることもある。望まないことをしようとすればストレスだ。手放せば楽になる、の真逆を行 . . . 本文を読む
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