瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

お休みの回

2012-12-28 23:22:41 | 考える日々
年末年始は書けそうにありません。書くほうもそうだけど、読むほうも読めなくなるんじゃないかしら。いつもと同じ生活リズムってわけにはいかないもんねえ。お互い日常が戻ってきたところで再びお会いしましょう。と言っても、どのくらいの人が定期的に読んでいてくれるのか分かりませんが。毎回一見さんばかりってことはないと思うんだけど、どうかなあ。ともかく、読んでくれている人たちへお礼を言います。毎度(か、たまにか、 . . . 本文を読む
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#26

2012-12-27 23:43:59 | 考える日々
人は他人と違うことに喜びを感じもするけど恐怖を感じもするよね。だからやることが複雑になって楽しいことが起きもするけど悲しいことも起きもする。悲しいことは起きないで欲しいけど、その原因は楽しいことを起こす原因と同根である場合もあったりして、そういう場合には残念ながら如何ともしがたいね。それが人によってどんな形で飛び出すか。同じ人でも状況によって様々な形をとるだろうし。悲劇も喜劇もその誕生は同じだけ可 . . . 本文を読む
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#25

2012-12-26 22:21:19 | 考える日々
解るには、その感覚とか概念とかがないと無理だよね。その人の中に存在しないものをその人が理解するはずがないもの。 笑うにしたって、そのことを可笑しいと思う感覚がなければ笑えないでしょ。笑いのツボにハマらなければ可笑しくもなんともないわけで、表現を換えれば、その笑いのツボを持っていないから笑えないということだね。解るもこれと同じこと。 翻訳するので大変なのも、この国に有る感覚があの国には無いって場合じ . . . 本文を読む
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#24

2012-12-25 23:03:32 | 考える日々
ココ・シャネルが「私は流行をつくるのではない、スタイルをつくるのだ」というような意味のことを言ったらしい。 あたしはファッションに興味がなく、だから知識もないのよ。当然シャネルのことも知らないので、シャネルの言おうとしたことを誤解しているかもしれないんだけど、ま、手前勝手な理解で書かせてもらうことにしますね。勝手なこと書いてるとシャネルに叱られるかしら。 問題はスタイルって言葉をシャネルはどういう . . . 本文を読む
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#23

2012-12-24 22:55:46 | 考える日々
人は誰でも孤独なんだけど、それでも生きていかれるのは様々な慰めが救いになっているからだよね。慰めてくれるのは人ばかりではなく動物だったり植物だったりもするんだけど、ともかくも何かしらの存在に救われているんだよね。 で、想像してみるんだけど、世界のすべてに拒絶されたらその孤独はいったいどうなるのかしら。救いようがないように思うんだけど、どうかしら。救われない孤独ってどんな存在なのかしら。ちょっと想像 . . . 本文を読む
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#22

2012-12-23 23:40:24 | 考える日々
抱え込んだものが重過ぎて前へ進めなくなる時だってあるよね。抱え込まなくていい、忘れればいい、という言葉は励ます意味でかけてくれるわけで有り難いこと。それで抱え込むのやめようとしたり、逆にやめるのを拒んだり。状況の受け入れ方は人それぞれだけれど、ともかくも前へ進まないわけにはいかないのよね。その人にとって、より受け入れやすい方法で状況を受け入れればいいんだけど、立ち止まるっていう選択肢だけはないのよ . . . 本文を読む
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#21

2012-12-22 23:33:33 | 考える日々
報道に中立ってあるのかしら。何を報道して何を報道しないかという情報の選別をした時点で中立ではない気がするんだけど。中立だの客観だのってのは幻想だと思うんだよね。誰かさんというフィルターを通したら否応なく誰かさんの主観は反映されるでしょ。同じ出来事に立ち会った二人に状況を出来るだけ客観的に説明させたとしても話は食い違うに決まっているもの。 所詮出来事は解釈されて説明されるしかないんだからさあ、中立だ . . . 本文を読む
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#20

2012-12-21 23:09:47 | 考える日々
今日(12月21日)は人類滅亡の日だそうですね。騒いでる人も居たようですが、何を考えたり思ったりしているのかしらね。滅亡が嫌なのかしら、死ぬのが嫌なのかしら。滅亡はともかく死ぬについては何時か必ずやってくることではあるんですがねえ。その時になったら今日騒いでいた人たちはやっぱり騒ぐわけだ。今度こそ死じゃうぞッて。それとも今日騒いだおかげで死ぬ心構えができて、本当に死を目前に控えたときは騒がないで済 . . . 本文を読む
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#19

2012-12-20 23:09:31 | 考える日々
そりゃ譲れないこと、譲ってはいけないことっていうのはあるよ。ま、それを承知したうえで言うんだけど、たいていのことは譲って全然大丈夫なんじゃないかしら。いや、かえって譲ったほうがいいくらいなもんで、譲らないで後生大事に抱え込んでいるほうがロクなことにならなかったりしない?手放しちゃえば別のものが摑める理屈だからね。いつまでも握って放さないでいなければいけないほどそれは大事なの?ってこと . . . 本文を読む
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#18

2012-12-19 23:00:21 | 考える日々
人は自分を正当化する理由にはこと欠かないわけで、いけないのは常に自分以外の何かだったりするね。会議だってやらない理由を見つけるためにやったりね。建設的じゃないなあ。ちっとも前に進まないじゃん。いったいどうしたいのさ。ゴール目指す気ないの?ま、どこがゴールかわかんなくなっちゃってるんじゃしょうがないけどね。あるいは見当違いに向かって驀進中なのかしら。 . . . 本文を読む
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