地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。「マタイによる福音書」(10・34)
苛烈ですねえ。
著者はこれにつづけて書く。
神が望まれることは何か。それは、ただ、安穏に惰性的な平和を生きることではなく、自分の心にやいばを向けて、自分の心を厳しく問いつめて生きることなのである。
耳が痛いどころじゃありません。激しすぎて怯みますね。あたく . . . 本文を読む
曾野綾子「私の中の聖書」(集英社文庫 昭和56年)耳が痛いことが書いてありますねえ。たとえばこんなこと。若い人にとって大切なのは、権利であり、理論であり、義務であり、規則であり、法であり、正義である。確かにあたくしもかつてそんな若い人でしたなあ。今でもその尻尾を残しているような気がしなくもありませんけどね。著者は「申命記」から穀物を刈る時の話を引用してますが、長くなるのでその引用はやめて、曾野自身 . . . 本文を読む
昨日の雨でずいぶん散ってしまったけれど、それでもまだまだ枝がしなるくらいに花を抱えた桜が目の前に広がっている。時折強い風が吹き、瞬間、花びらが一斉に舞い散り視界を白くふさぐ。花びらが風に乗ってうねる様子は吹雪と見紛うようで、もうすっかり暖かくなっているのに視覚的には季節が逆戻りしたかのよう。
が、蜂が花の周りを飛び交うさまに春の生命の輝きを見る。
地球の歴史を考えれば、こんな奇跡的な時間はほんの . . . 本文を読む
夏侯惇
これ、どう読みます?
You Tubeで「三国志」の朗読を聴いてたらカコウジュンって人が出てきたんですね。最初ピンとこなかったんですが、あれ?これってカコウトンのことじゃないかしらと思いまして。ま、読み間違いなんてのは誰にでもあることです。あたくしも読み方を間違えて覚えてる漢字はたくさんあります。カコウトンがカコウジュンって呼ばれると別の人物のことみたいで、その読み間違いは気にはなるけれ . . . 本文を読む