攻撃的であるとは恐怖しているからである。犬が吠えるのと同じことである。
恐怖しているのなら安心させてやればいい。安心しているものが攻撃なんぞするはずがあるまい。攻撃に対し攻撃で返すから事態はエスカレートするばかりである。日常的なことで言えば、売り言葉に買い言葉。大きなことでいえば戦争である。もっとも戦争が起きるのはそう単純でもないのだが。
ともかくも、恐怖しているものに対しさらに恐怖を感じるよ . . . 本文を読む
理屈として正しい。それが絶対である。
と思っている人が多いだろうが、それは間違いである。いかなる場面においても理屈としての正しさが絶対であるわけではない。理屈として正しくともその正しさが求められていない時もある。
わかりやすい例をあげれば趣味である。
趣味とは得てして理屈に合わないことを平気でするものである。他人から見れば馬鹿馬鹿しいことをやらかすのが趣味とも言える。
他人の趣味について理路整然 . . . 本文を読む
最近のニュースからコピペ。
国土交通省は、暗くなると車のヘッドライトが自動で点灯する「オートライト」の搭載を、2020年4月以降に売り出される新型車からメーカーに義務づけることを決めた。日没前後の「薄暮」の時間帯に多発する高齢の歩行者らの事故を減らす狙い。
いいことだとは思う。これで事故は減るだろうから。いいことだとは思うけれど何とも情けない話でもある。暗くなったらヘッドライトを点け . . . 本文を読む
疲れとは何か。
医学的にではなく実感としての話をする。
疲れた、と口にするのはどのような時か。
嫌なこと、気が滅入ること、不愉快なこと、などなど負の感情に襲われる時である。
もちろん肉体的なことにより疲れたと口にする場合もあるが、その疲れは心地良い疲れという場合もあり実のところ疲れより心地良さがまさっていることもある。
よって真の意味で疲れを感じるのは肉体ではなく精神である。
人は一日の大半 . . . 本文を読む
結局すべてのことがそうなのだけれど、わかりやすいのは環境問題か。
環境問題は問題になっているのは環境のことであって自分のことではない。要するに他人事である。自分のことでないことに人は一生懸命にはならない。だからいつまでたっても環境は問題を抱えたままである。
だが環境は他人事なのか。自分のことではなのか。いやそうではあるまい。環境とは自分のことである。環境なくして自分の存在はあり得ない。ならば環 . . . 本文を読む
子供の頃の記憶はあいまいだけれど、おそらく別れ際には「バイバイ」と言って手を振っていたのではなかったか。母親は多分そうしていたはずで、子供の私はそれを真似るからである。
いつから別れ際に手を振らなくなったのかは分からない。手を振らなくなったのは、おそらく私が男だからである。女は成長してもやっぱり別れ際には手を振る。
この差は生物的なことに起因するのか文化的なことに起因するのかは分からない。どこ . . . 本文を読む
昨日、ラジオで短歌を聞いて笑った。よくある光景だからである。
短歌そのものは忘れてしまったが意味内容としては夫や息子に対しての一言で、そんなふうにばくばく食べてないで感想くらい言いなさいよってことである。
ま、男は感想、言いませんわな、大概。
そして女は感想を求めるもんですな、大抵。
言わなくても分かるだろう、が男で、言わなきゃ分かんないわよ、が女である。
そもそも他人のことなんぞ解らないもの . . . 本文を読む