キャロリン。の日記

いつも、熱く、楽しく、全速力で、生きること。

義叔母の死~重ね合わせる想い

2019年05月13日 | 家族
夫の幼いころからとてもお世話になった叔母が亡くなりました。
よりによって、夫は会社の健康診断。

私と、子どもたちで行く予定でしたが、ドロはリタイヤ。朝起きられませんでした。昨日も一日休養取っているのに・・・・。

私一人で出かけました。

丁度、お嬢さんは出掛けられていて、お嬢さんの夫であるお婿さんと話をしました。
このお婿さん、とてもとても寡黙な方で有名な方です。とてもとても、頭脳明晰な方のようです。

お別れの対面をしましたが、叔母は、とても大きな方だったけれどとても小顔になっていて、それでも穏やかな顔をしていました。

叔母を偲んで、夫が大変慕っていた叔父夫婦で「お父ちゃん、お母ちゃんと呼んでいたと伺っております。」
と話すと、

お婿さんも、

「食べることが大好きで、本当に大判振る舞いの義母でした。最後まで内臓は丈夫で食欲は衰えず、おいしく食べられていました。」
というので、

「そうですね。いつ伺っても、寄ってください。ご飯食べていって。と快く迎え入れてくれて、朗らかで誰に対しても明るくもてなしていただいて、嬉しく思っておりました。」
と伝えると、

「みんなに明るく接して、天真爛漫のように見えて、義母は案外恥ずかしがりやで、引っ込み思案でした。ただ、食べるのが好きでお料理も上手だったので、それが生きがいのようでもありました。旅行も好きで、ものすごい大量のお土産を買って来て、義父は倹約家で実直な人だったんですけれどね。それでも、義父もそれを咎めることもなかったですね。料理がおいしくて、いつも私は義母のご飯が楽しみでした。妻も、義母の料理が食べられなくなってからは、母譲りなのか、最近、料理が上手になってきましたよ。」
と目を細めて話してくれました。

我が家の事情も察してくださって、
「大変でしたね。その後どうですか。」
とも。

「職場の人で、障害者の子どもを抱えていた方がいましたが、それはそれは大変でした。仕事などやっている場合ではない状態でしたが、仕事もしないといけない。自分がいなくなった後の子どもの生活にも不安を抱えていました。・・・・・」
など、いろいろなお話をしてくださいました。

夫の叔母ですが、自分の祖父の姿が重なって、
今日は感慨深いひと時を過ごしました。

自分の祖父も、放蕩爺さん、だという感じもありましたが、
本当に誰にでもすべての方に優しく、暖かくもてなすことが大好きで、
新しい文化や食にも貪欲で抵抗感なく、90歳過ぎて尚、宅配ピザを頼んで食べようとか、ハンバーガーというものを買いに連れて行って欲しい。等と言い、コーヒーも肉も大好きでした。

明るくて人に優しい祖父でしたが、細部への気遣いも忘れない、接客の粗相は私は、本当によく注意されました。
パイナップルだけは、たまに頂くと祖父が切り分けてくれました。「俺は、もうさんざん戦地で食べたから。みんなのように激しい戦地ではなく、果物もたくさんあって食べることには苦労しなかったんだ。」と祖父は言っていて、父方の祖父から戦争体験談を聞くことはありませんでしたが
結構な頻度で、夜中に、大きな声で魘されていました。

祖父が亡くなった後に、訪問された方から、
「祖父が終戦後に帰国が遅れたのは、戦犯?捕虜としてなかなか返して貰えなかったんだよ。でも、何故虐殺されなかったのかというと、日本が逆に捕虜にしていたんだ。その時に、祖父はその敵国の兵士にとても優しくして暴力も振るわずにご飯を分け与えていたんだ。だから祖父は生きて帰れたんだよ。」
そう教えて貰いました。

私の弟は、そんな祖父が大好きだったようで、祖父の名前の一次を子供に入れたいと言って付けています。

いろんな人の人生や想いが、脈々と受け継がれていく。
お別れは、悲しいですけれど、叔母の残してくれた大切な想いと、祖父の残してくれた大切な想い、そして、父もまた然り、

そんな多くの想いを受け取って、子供たちに繋げてゆけたら、嬉しく思う。



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