goo blog サービス終了のお知らせ 

ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

桜とモクレン、散った花びら

2017年04月21日 | 随想
桜の季節が終わった。(上田市玄蕃山公園)桜は散る時すら賞賛される。チェーホフは狂気と表現したが、見る間にはらはらと散る様は、「花吹雪」と称されて実に美しい。その花びらで埋め尽くされた水面や地面を見る時、惜しむ気持ちが高まるのはどうしょうもない。
(上田城址公園の堀を見下ろして)

下写真は上信越道の横川SAで)

しかしほぼ同時期にモクレン、その散り様は桜と違って、潔(いさぎよ)くなく
「花は見るからに堂々として美しいのに、散る時はだらしない様に見えて。」とドルカスは感じるようだ。

潔いとはこの場合、桜の散り様のことで「執着しないので、すがすがしい」と感じることのようだ。しかしモクレンは桜のように一時に散らず、花吹雪どころではない、「落ちたくない」とばかりタラタラと落下するので、どうにも「だらしない」と映るのだろう。

確かに潔いとは日本人の美学のようである。武士道ではもちろん、太平洋戦争末期、島々で日本軍が絶望的なバンザイ攻撃を繰り返したのも、散り際の見事さと通じる所があるのではないか。

ところで私は桜の潔さはもちろんわかるのだが、モクレンのしがみつきに、「だらしない」とまでは感じない人間だ。モクレンには次の様な思い出がある。

まだ家族でいたふた昔前の教員時代、春と言えば送別会、転任者歓迎会が続く懇親会のシーズンであった。(※その頃はクリスチャンであっても、まだ酒を飲んでいた)
そんな宴会が済んで、酔ってのしんどい帰り道、なぜかいつも一本のハクモクレンの木の下で一息つくことが多かった。白い花びらの下でしばらく休んで一息つき、やおら酔眼で見上げると、夜目にも鮮やかな白いモクレンの花を、私は忘れることができない。
美しさも親しさも感じないモクレンではあったが、まるで燈火の明かりのような白い花の下で「自分はいったい何をしているんだろう?」と空しく喜びの無い人生であることを痛感させられた。自宅に帰ることが、むしろ苦痛であったからだ。だからモクレンの木の下から再び歩き出す時には、さらに重い鉛入りの靴に履き替えた様な足どりであった。

今は酒は飲まないし、そのような空しさや孤独を感じることはない。心から幸せだと思う。ただ、真の神と出会うまでの私を、モクレンが思い出させてくれるのだった。



ケパ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Facebookで

2017年04月20日 | 生活


(オリーブ山から、旧市街地を望む)

イスラエル大使館とSNSで友達してます。

このイスラエル大使館の情報でね、某新聞社webマガジンで、エルサレムを紹介していました。👇



興味ありましたらご覧ください。

−1日後の付け足し−

ここでは旧市内を中心に案内してますので、観光で行かれる方には参考になるのではないかしらと、思います。

エルサレムへは、聖所から流れ出る水ミッションで募集する、イスラエルチームに恵みで何度か参加してます。私たちのエルサレム訪問は、観光とはまた違う思いで訪れてます。




ドルカス





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスチャンの結婚観

2017年04月19日 | 信仰
最近小耳に挟んだ、と言うか、SNSをチラッと見て興味を持った話がある。それは日本以外での話で、教派の異なる若いクリスチャン同士のちょっとした会話のようであった。そこで話題になったのは、互いの結婚観の違いだった。以下はこれを元にした、100%私の作り話である。

(一般のクリスチャン)A; You(あなた)はどういう人と結婚したいと思ってる?
(私たちの群れの)B; 神様が導かれた人と。
A; 先ず自分が心から愛せる人とではないの?
B; その人がクリスチャンでなかったら?
A; クリスチャンになるよう祈るし、伝道して、もし信じてくれたら新しくクリスチャンが誕生したことになるわ。それは神様が導いてくださった人だと思うんじゃないの。
B; それは素敵ですね。えーっ、でも何となく、好きになってしまってからでは、そういうの、いけないと思うんです。
A; ええ〜っ、それはどう言うこと?
B; 順番が違うと思うんです。神様を第一にしていないというかぁ。
A; エエェ、それじゃYouは、自分が愛してない人とでも、神の導きなら結婚するの。
B;(ちょっとためらって)そういうことになると思います。
A; アンビリーバブル(信じられない)!

実はAとは、若い頃の私自身そのものでもある。結婚について、そのように考えていたし、祈り続けていたし、七年後ついに結婚した。そして十年前の私は、若いBと同様、ほとんど知らない相手(つまりその時にはまだ愛はなかった)のだが、神が導いてくださった相手と結婚した。結婚を決めるために要した時間は、ほぼゼロである。

つまり私はAであったし、Bである。何が変わったのか? 違いは神への愛と信頼がすべてに勝っただけである。でもAがなければBに至ることもなかったので、どちらも必要で大切だった。

人間の見識は小さくて頼るに値しないし、好悪感情ほど移ろいやすい不安定なものはない(※こういうことに気づいて虚無的になる人が多い)。すべからく人は皆、自己中心の罪と自分の感情に翻弄され、正しい判断と選択などはできないものなのだ。もしできると思っていたとしたら、それはうぬぼれているか、それとも高慢である。
十字架に架かってまで愛してくださった創造主に、すべてお任せするのが、体験的にも言える最善である。


ケパ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだまだ 🌸さくらね〜

2017年04月18日 | 自然
昨夜夜には結構な雨降り。西日本、関東地方も風と雨。全国的に雨空でしたが、
なんと今朝起きたら、快晴

今日もお花見だね〜

玄蕃山公園。染井吉野とオオヤマザクラと、花モモが満開。
花モモはもともとこの丘に自生してたと。

少し脚を伸ばすとここは上信越道開通の頃に整備された、小高い丘の上の公園。

濃いピンクが、はなモモの木👇


地域の人々でこの公園一面にオオヤマザクラを毎年植え続けたと聞きました。染井吉野の薄白いピンクに、オオヤマザクラのピンクが混じり、なんとも言えず綺麗です。


この公園は東西南北360度見渡せる公園です。
桜の後方に北アルプスが白く見える。

公園は手入れもされていて、今日は近くの中学一年生が学年揃って来てますよ。
写真撮ったらお団子配るよ〜〜てっね。先生の声が聞こえました。


実家に帰る道沿いでは、休耕畑が、
このような👇花畑に


今日も神様に感謝しました。
昨日より更にお天気な1日でした。

最後に横川サービスエリアで、花びらのカーペットです。

ドルカス



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

🌸さくら満開

2017年04月17日 | 自然
今日からお天気が変わりそうな今朝、出かけて来た。

信州に近づく程に、桜が🌸綺麗です。

浅間山は雪で白い。

桜はどんな状態だろうと期待しながら

以前住んでいた地域の大好きだった公園に行くと、

満開です。時折風が強く吹き抜けてもまだ散らない。

相当大きな古木の桜も、このような美しい花を付けてます。

実家へ着いてからも、予想に反してお天気が守られてます。ハレルヤ〜
祈りは聞かれてますよ。

午後は、上田城址公園の千本桜まつり 桜の開花が遅れたため期間が1週間伸びたそうです。
桜は今!お美事

ちょうど見頃です〜
花びらがお掘りに散り水面が白い‥‥


夜にはライトアップされて桜がさらに美しく映し出されるのも美しいと‥‥


来る前は雨で見れないかも。と思って来ましたが全て守られました。
待つこともなく入れた無料駐車場は、帰る時には車の列が出来るほど。

兄夫婦と4人で、のんびりと桜を愛で散歩し、更に上田城特別企画展を見て

そして近くの温泉♨️に行き、ゆっくりと体を休める。
とても良い休日。ハレルヤ〜

そして実家に帰る途中で、何と雨が降り始めた。びっくり。

すべて守られた事を主に感謝し、喜びました〜。
出かける前の朝の祈りが、こうして聞かれました。主に感謝します。

ドルカス




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第3日曜日 礼拝です。

2017年04月16日 | 教会のこと
ユダヤ暦では、復活祭です。
今日も静まって礼拝待ちます。


大変❣️音声が流れていないようです。
調整しています。もうしばらくお待ちください。


長らくお待たせしました。後半から新しく配信致しましたので、お聞きください。


メッセージは 聖書 1パウロ 4:2 と4:7
「神のみこころに聞き従う」です。




ドルカス



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弾ける笑顔と笑い声

2017年04月15日 | 生活
ケパさんに促されて外の広場を見下ろすと、4人の女の子達。

何を楽しそうにしてるのかと、見ていると

ン❣️ と良く見てたら どうやら

バックにこれを入れてのパフォーマンスは

楽しく撮影してたのね〜

周囲に人が歩こうと、4人だけの世界で、すごく楽しそう〜〜 明るい笑い声と笑顔です。(声まで届かないけれど、そのように見えます)

と、私達は上から見下ろしながら、聖書読んだり、明日の準備したり、ここを利用してます。

明日は主日礼拝です。
ユダヤ暦で明日は復活祭ですね〜。
特にお祝いしませんが、
復活されたイエス様を思い‥‥過ごします。

ドルカス



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食うと檀那(だんな)

2017年04月14日 | 生活
生まれ故郷の広島よりも、関東の方が私は好きである。四季折々の穏やかで適度な気候。瀬戸内の夏は凪(なぎ)と言って、地獄のような無風の蒸し暑さがあるが、こちらは年中風が吹く。雪も降らないので、一年中スポーツを楽しめる。
とりわけ全国各地から多くの人々が集まり、それを受け入れる広さと受容性がある。さすがは首都圏、本当に最高だなと思う。

ただ一つ、大したことのない、ちょっとした言葉使いに、おそらく私だけ違和感を感じることがある。きっとこれは元国語教師の旧弊、直すべきこだわりだと思うのだが。

一つ目はテレビでも再々聞く「食う」と言う言葉だ。(得意な手作りハンバーグ。これは「食べるぞ」より「食うぞ」が正しい?)

「ええーっ」と思われることは重々承知だが、広島出身の私の感覚では、人前で「食う」はよほどでない限り口に出すべき言葉ではない。鬼が「取って食うぞ❗」と嚇(おど)すような、乱暴な言葉に聞こえる。よほどでない限り「食べる」の活用形でしょう、がこちらでは通じない。いつかは馴れるとは思うのだが・・・。

次に、だんな【檀那・旦那】という言葉がある。一般人が使うのは仕方ないとは思うが、本来これは仏教用語の梵語でお布施のことであって、今風に言うと寺の経済的支援者、パトロンを指す。

だからこれは妻だけでなく、妾や囲われ者、接客係の女性たちがその主人なり、お客を呼ぶ言葉になっている。これをクリスチャンの女性たちが夫に使うのは、いかがなものだろうか?
たぶんちょっと恥じらいを込めての「頼りにしている大切な人」的なニュアンスで言うのだろう。それはわかるのだが言葉の素性から、聖書でも使われている夫、せめて主人にすべきだと私は思うのだが。「だんなさん」と言われると、正直私は「ええーっ!」である。



ケパ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カメリアホールです

2017年04月14日 | ゴスペル
今夜はこころごすぺるコンサートでした。


ケパさんと


姉夫婦と、教会の姉妹達と(姉妹達も遅れず来れてよかった

コンサート中、撮影は出来ませんので、
様子は後ほどコンサートblogから
ピースフルblog
☝️に書きたいと思います。
ブックマークから ピースフルブログ を選んで見てね。

取り敢えず終了後の一枚。


ジョイちゃんです。終わってホッとした顔が爽やかね。

ドルカス



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーペットの色は

2017年04月13日 | 自然
TVでは積雪した札幌市内を知らせてた。

もしかして‥‥と、
エステルさんの
Photo NEWS blogを見たら、


もう4月だょ〜〜
猛烈に吹雪いた後は、一面に真っ白な。もう広げたくないカーペット

お見舞いね〜と、一枚送ったこれは

Tree of Life Noahのblogから。

花吹雪で一面ピンクのカーペット。

これは私も見たいカーペットです。

船橋は

そろそろピンク色は若草色に変わります。

ドルカス





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする