3月31日付けで、ドルカスの卒業証書が送られてきた。これでぎりぎりではあるが「牧会伝道師補」に落とされることは免れた。これまでの「牧会伝道師」からその「補」に下がると、なにがどう違って来るのかは実はよく分かっては居なかったが、とにかく本人は努力したし、神の恵みもあって見事、すべての必要単位をクリアできたのは感謝である。

神学校は本来、牧師または伝道師としての神の召しを受け、神に身を捧げた人々、つまり献身者が行くところである。なぜこんな当たり前のことを言うかと言うと、、、実は大学を卒業する時、また卒業して数年間の会社勤めの時の数回、私は献身するべきかそれともせざるべきか、ずいぶん考え、悩んだ。それを薦めてくれた長老もいた。しかしどうしても私は決心できなかった。最も重要こととして、こうした神に仕える職業というものは、人間の意思でなるものではないことを知らなかった。だから、今ではこの時、ならないで本当に良かったと心から思っている。いや、神が守ってくださったな、と思う。

そして前回書いたように、受洗30年以上も経って、ついに最初の聖霊の体験(聖霊のバプテスマ)を受けた。開通すると、主はすぐに私への計画を語ってくださり、献身者として、招いてくださった。もちろん私は喜び溢れて、私の心とすべてを捧げたのはもちろんである。
ケパ

神学校は本来、牧師または伝道師としての神の召しを受け、神に身を捧げた人々、つまり献身者が行くところである。なぜこんな当たり前のことを言うかと言うと、、、実は大学を卒業する時、また卒業して数年間の会社勤めの時の数回、私は献身するべきかそれともせざるべきか、ずいぶん考え、悩んだ。それを薦めてくれた長老もいた。しかしどうしても私は決心できなかった。最も重要こととして、こうした神に仕える職業というものは、人間の意思でなるものではないことを知らなかった。だから、今ではこの時、ならないで本当に良かったと心から思っている。いや、神が守ってくださったな、と思う。

そして前回書いたように、受洗30年以上も経って、ついに最初の聖霊の体験(聖霊のバプテスマ)を受けた。開通すると、主はすぐに私への計画を語ってくださり、献身者として、招いてくださった。もちろん私は喜び溢れて、私の心とすべてを捧げたのはもちろんである。
ケパ