生まれ故郷の広島よりも、関東の方が私は好きである。四季折々の穏やかで適度な気候。瀬戸内の夏は凪(なぎ)と言って、地獄のような無風の蒸し暑さがあるが、こちらは年中風が吹く。雪も降らないので、一年中スポーツを楽しめる。
とりわけ全国各地から多くの人々が集まり、それを受け入れる広さと受容性がある。さすがは首都圏、本当に最高だなと思う。
ただ一つ、大したことのない、ちょっとした言葉使いに、おそらく私だけ違和感を感じることがある。きっとこれは元国語教師の旧弊、直すべきこだわりだと思うのだが。
一つ目はテレビでも再々聞く「食う」と言う言葉だ。(得意な手作りハンバーグ。これは「食べるぞ」より「食うぞ」が正しい?)

「ええーっ」と思われることは重々承知だが、広島出身の私の感覚では、人前で「食う」はよほどでない限り口に出すべき言葉ではない。鬼が「取って食うぞ❗」と嚇(おど)すような、乱暴な言葉に聞こえる。よほどでない限り「食べる」の活用形でしょう、がこちらでは通じない。いつかは馴れるとは思うのだが・・・。
次に、だんな【檀那・旦那】という言葉がある。一般人が使うのは仕方ないとは思うが、本来これは仏教用語の梵語でお布施のことであって、今風に言うと寺の経済的支援者、パトロンを指す。

だからこれは妻だけでなく、妾や囲われ者、接客係の女性たちがその主人なり、お客を呼ぶ言葉になっている。これをクリスチャンの女性たちが夫に使うのは、いかがなものだろうか?
たぶんちょっと恥じらいを込めての「頼りにしている大切な人」的なニュアンスで言うのだろう。それはわかるのだが言葉の素性から、聖書でも使われている夫、せめて主人にすべきだと私は思うのだが。「だんなさん」と言われると、正直私は「ええーっ!」である。
ケパ
とりわけ全国各地から多くの人々が集まり、それを受け入れる広さと受容性がある。さすがは首都圏、本当に最高だなと思う。
ただ一つ、大したことのない、ちょっとした言葉使いに、おそらく私だけ違和感を感じることがある。きっとこれは元国語教師の旧弊、直すべきこだわりだと思うのだが。
一つ目はテレビでも再々聞く「食う」と言う言葉だ。(得意な手作りハンバーグ。これは「食べるぞ」より「食うぞ」が正しい?)

「ええーっ」と思われることは重々承知だが、広島出身の私の感覚では、人前で「食う」はよほどでない限り口に出すべき言葉ではない。鬼が「取って食うぞ❗」と嚇(おど)すような、乱暴な言葉に聞こえる。よほどでない限り「食べる」の活用形でしょう、がこちらでは通じない。いつかは馴れるとは思うのだが・・・。
次に、だんな【檀那・旦那】という言葉がある。一般人が使うのは仕方ないとは思うが、本来これは仏教用語の梵語でお布施のことであって、今風に言うと寺の経済的支援者、パトロンを指す。

だからこれは妻だけでなく、妾や囲われ者、接客係の女性たちがその主人なり、お客を呼ぶ言葉になっている。これをクリスチャンの女性たちが夫に使うのは、いかがなものだろうか?
たぶんちょっと恥じらいを込めての「頼りにしている大切な人」的なニュアンスで言うのだろう。それはわかるのだが言葉の素性から、聖書でも使われている夫、せめて主人にすべきだと私は思うのだが。「だんなさん」と言われると、正直私は「ええーっ!」である。
ケパ