ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

天のエルサレム人としてイスラエルへ

2018年10月23日 | 派遣
私がイスラエルへ行きたいと強く思うようになったのは、51歳で加わったばかりのこの群れ、主の十字架が団体でイスラエルに派遣されて行くという話と、参加された人々の証を聞いてからだ。聞いていると、私の体の底から「何があっても生きている間に一度は、聖地、イスラエルに行きたい」と呻くような願望がわき上がってきた。

それでその年の秋、信仰で申し込んだが、旅行のための休暇申請が却下され、申し込み金諸共アウトに。実際、群れの派遣には、退職するまで参加することは不可能であった。どうしても行きたい私は一計を案じ、夏休みならば休暇が取れると踏んで、民間のイスラエルのツアーに参加することにした。だから私の記念すべき最初の一歩は、クリスチャンがほとんど居ない旅行会社のイスラエルツアーだった。(このツアーでは黄金ドームの地下、イサクを捧げたという岩まで見学できた)

私はこの初めてのツアーでの感激を忘れることができない。群れで行けなかったことは残念であったが(しかしこの後、群れで12回も続けて参加する)、これはこれで神さまの計画があった。12名の参加者で、はっきりしたクリスチャンは私一人。強行日程の行く先々で聖書から想い描いた景色を目にし、聖書を読み、祈り、時に目を潤ませて歩いていた私は、ツアー客の中で一番歓びに輝やいていたが、他の未信者たちとは完全に浮いていた。私の目はただただ愛するイエス様の姿や足跡だけを、ずっと追い続けていた。(下、万国民の教会)

しかし時に同行の人たちの行動に驚かされ、恥じ入ることもあった。そこはゲッセマネの横、万国民の教会堂の中のことであった。この教会の一番奥、祭壇前に鎖で囲まれ聖別してある「キリストが最後に祈られた」と言われる岩地がある。ただの観光客は、たとえキリスト教信徒であっても、ちょっと入れない特別な所のようであった。
その時、たまたま外国の修道女たちの一団が来たので、鎖が解かれてシスターたちはそこでひざまずき、心からの祈りを捧げていると、なんと私たち日本人ツアーの数人の女性たちがシスターたちの中に飛び入りして、見よう見まねで祈りを捧げ始めたのだ。シスターたちは、東洋人の彼女たちを追い出すわけでもなく、寛容に受け入れてくれてはいたのだが。(キリストが最後の祈りを捧げたという岩地。この周囲でひざまずき祈る。普段は近づけない。)

むろん、彼女たちは信者ではないのでまったくこの場所の由来を知っていない。きっと神社の賽銭所の横で参拝している感覚なのだ(これはこの後、つい確かめてしまった)。しかし日本の彼女たちは修道女そこのけに、顔をゆがめ、熱心に岩肌に手を添えて祈っていた。私は鳥肌が立って「そ、そこはどういう所か、ご、ご存知ないのですか。未信者のあなたたちは、今、何をしているのかお分かりなのですか」とつい声が出そうなのを危うくこらえ、「そうだ、これが日本人の信心の姿なのだ」と思い留まった。
この私と言えば、聖書でキリストが祈った所として「岩」も出てこなければ、そのほか場所としてはどこも特定できるはずがないのに、このようになぜか特定し、聖跡として拝ませる手法にうさんくささを感じ、距離を置こうとしていた。「主よ、この辺りだとは分かりますが、本当は何処なのでしょう?」と。だからある意味、彼女たちを止める必要はなかったのかと思う。

67 歳になった今回のイスラエルは、これで13回目になる。少し年月が経ち、体も幾分か弱まった。しかし初めてのイスラエルが一番の思い出にはしたくない。今年は「霊的なイスラエル人として、血肉のこのイスラエルから派遣されていく」ことがポイントだと語られている。それこそが建国70周年の地からの祝福なのだと思う。自分がどれほど神の国の一員なのか、血肉のイスラエルから分離し、天を見上げ、天のエルサレムからの視点で、私たち夫婦と教会の使命を再度確認したいと思う。




ケパ





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