ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

信じるということ

2018年10月25日 | 派遣
信じるということ
昔、現代国語の教科書だったと思うが、「走れメロス」という太宰治の作品があった。この作品は二人の厚い友情に悪王が悔い改めるというところがみそだったが、思い返してみれば、これは自分の命以上に、友の命を大切にするという「信じる」ということが、読者の心に訴えたテーマだったのに違いない。現実にはかなりハードルが高そうな話だからだ。そしてこの作者は、理想は書けても、現実には挫折している。では、人間同士ではなく、神さまとなら、どうなのか?

ふと思いついたのだが、神を信じる信仰にも、これはすべて通じる。これから大患難時代がやって来ようとしている。そこではこの世、偶像を選ぶか、それとも真の神を選ぶかが試される時代だ。
四百年前の踏み絵のように、神を選ぶなら、殉教をも覚悟して信仰を証することになる。

殉教とは、自分の命以上に、神を愛し信じたからなのだ。ではどうしてそこまで信じきれるのだろうか。それは、そこまで信じれるほどの互いの信頼を育む日々と醸成があったからだ。知識とか頭で信じてできることではない。
自分の努力とか修練で、そのような神との交わりは開かれない。そうではなく、子への愛を信じ、神のふところに飛び込むこと。その中で愛そのものの神にあわれまれ、抱かれ、神様一番、心から愛するように自然になって行く。(この本は、神さまとの根本的な在り方を教えている)

だから、日々祈り、主は答えてくださり、神に依り頼んで生きていこう。今の自分の信じる力で、殉教できるかどうかを考えてはならない。この日々の絆を育ててくださる神の愛、それを求めてやまないこの私が、実はポイントなのである。




ケパ





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