ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

テニス、奥深く狭き門

2018年10月01日 | 健康・スポーツ
猛烈な台風一過の今日の午後、テニスに行って来た。何しろ昨夜は、南向きの住まいのガラスが暴風雨に「割れるんではないか?」と心配するほどだった。こうなるとなぜか、「明日は絶対いい天気」になると反対に思ってしまう。

風が少し残っているが青空が広がって、10月にしては最高気温をマークしかねない上々の天気。テニスはサークルなど固定したメンバーでするより、テニスオフ(パソコンでこの指止まれっ的な募集で集まったメンバー)のような、いつも初対面のメンバーの方が好きだ。(今日のテニスオフ)

テニスは以前は貴族のスポーツとか呼ばれていた。なぜか?
まず第一に、テニスは難易度が高い競技で、初心から入ると、ゲームができるようになるまで少なくとも二百時間、本当はその倍はかかる。つまり毎日のように何時間も練習して、半年近くかかる。しかしそれでも超初心者レベルの段階でそうなのだ。こんなに入り口までに時間がかかるスポーツは、昔は貴族階級でないと不可能であった。

時間が、かかる理由は、走りながら、ラケットを振りながら、どこかに跳んでくるボールを、ただ返すだけでなく、きちんと意図通りに打ち返す難しさにある。時には数時間に及ぶ体力と集中力、それだけでない、テニスは人が違えば、すべて異なるプレースタイルがある。私はいろんなプレーに接するのが楽しみなので、テニスオフが好きなのだ。
また卓球とかバドミントンなどと比べても、一人がカバーする面積は最大である。だからテニスは囲碁のような頭脳的な《予測という読み》が欠かせない。難易度の高いテニスは、フィジカル(身体能力)よりメンタル面(精神や意思力)の力が大きいので、私のような年齢でも若い人などとも対抗できるのである。

簡単にできるものはすぐに飽き易い。逆に、なかなか難しいものは奥の深い。選ぶなら困難な道が優れている。
その、「困難な道」に関して以下の話を・・・・・・・・・・・

キリスト教は世界最古にして、世界最大の宗教だ。今日の人類の普遍的価値観である平等と人権、民主主義、博愛はすべてこの宗教から出たものだ。
しかしこのキリスト教は、すべての人は罪人であり、キリストの十字架による救いを受けなければならないとする。「自分はまあまあの良い人生を送っている」「(法的な意味で)自分は罪を犯してないし、税を納めることで社会に貢献し、正しい生活を送っている」と思っている人には狭き門なのである。

狭き門より入れ、滅びに至る門は大きく、その道は広く、これより入るものおほし。命に至る門はせまく、その道は細く、これを見出すもの少なし。」(文語文聖書 マタイ伝第7章13節〕




ケパ





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