ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

10年経った結婚

2018年09月28日 | 感謝
私ごとで恐縮だが、今から10年前の6月に私たちは結婚した。私56歳でドルカスは二つ下。お互いに最初の相手を、胃ガンで天へ送った者同士の結婚だった。

病名だけではない、二人ともいろいろあったが、とにかくはじめの結婚は願いが叶った結婚だった。

私は前妻を送って、堅く決めていたことを実行した。退職し献身することである。そのため私名義の家を売却しローンを完済、可能な限り身辺を整理し、牧師として上京した。神の召命に応え、命を捧げての上京だった。

こう言うと誤解されるので、もう少し説明すると、神の召命は時間をかけて導いてのものであり、私が心からの信頼を寄せるものだった。それでも不安や恐れが全く無かったか? と聞かれれば、その時は分別盛りの55歳、それはあったと言うしかない。けれども神への信頼は、はるかに勝るものだった。

上京し、東京アンテオケ教会牧師として働きはじめて1年近く経った頃、これもなかなか理解してもらえないのだが、私たちはほとんど知りもしないのに、導かれて結婚することにした。最初が恋愛結婚だったので、これは使命結婚だと言える。

なぜかと言うと、確かに神に導かれ、それに聞き従って結婚だったからだ。もともと「あなたは結婚します」と示されていたのだったが、上京し牧師として何とか慣れて来た時、再びそのことを示された。が、今回は次のような指示付きであった。「あなたは二、三人のあなたの友に、『神が導く人となら、それがどんな人とでも必ず結婚する』と告白しなさい。」 神は私の心の中をようくご存知で、神に委ねなさい、そう言うことだった。

その告白を、実際にはかなり冷やかされ笑われたりしながらも果たして2週間後、部門で共に働く同僚の女性牧師から間違いメールを私は受け取った。その内容は、長野で副牧師をしている妹(ほとんど面識はなかった)とのやり取りの一端で、再婚可能な対象として、なぜか私の名が挙がっていたのだった。これこそ、祈りの答え、神の導きだった。
もちろんさらに祈り、聖書と長老にも確認を求めた。それとは別に、数ヶ月前のことですっかり忘れていたが、このことを暗示した不思議な語りかけ的なものがあって、それも確認の一つになった。

さて面白いことに、結婚することになっても、よく知らない者同士、知らなければならないことが山ほどあった。話せば話すほど、神が導いたのでなければ、互いに絶対に結婚しようとは思わない相手だと分かった。要するに人間的な意味で、あまり好みのタイプではなかったのだ。しかしまた、人間って自分が分かっているようで、実は灯台もと暗し、全く分かっていなかった、と言うことも同時に分かって来た。互いに相手が自分に無いものを持ち合っている存在で、かつ本当に鍵と鍵穴のようにピッタリ一つになれる存在であった。しかもそれが分かるのは、二人が共に一度結婚した経験があるからであった。知れば知るほどそれぞれリンクしたような歩みであり、複雑な連立方程式が解かれたような、結果として素晴らしい一致と言う答えがあった。さすが神さまのされることは、人間の思いと世界を超えて、すごいことだと、ただ主を褒め称えるしかない。

こうして十年経った今でも、それぞれ流した涙の分だけ、おそらく互いが超必要な、とっても仲の良い夫婦だ。

"涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る。
種入れを抱え泣きながら出て行く者は束を抱え喜び叫びながら帰って来る。"
【詩篇 126篇5~6節】




ケパ









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする