ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

神は愛される者を計画的に訓練される

2018年02月23日 | 感謝
六十台の後半に突入し、途中で一休みのように自分のこれまでの日々を振り返る時、その歩みのすべてに神の手を感じ、無駄がなかったことを知る。

病になってからの前妻との、あの辛過ぎるすべては、確かに己の罪深さと無力さを知らされ、絶望のどん底に一旦は沈んだが、その時神は私をあわれんでご自分を現してくださった。神の愛が分かることほどの価値あるものは、この世で無いのではなかろうか。超、超ラッキー、果報者となった。またこの事を通し、心を病む愛すべき方たちと、少しでもより添えられる者とされた。

教師時代は、どういうわけか、ADHDのはしり(世間の認知がまだほとんどなかった時代)に先導役として関わったり、最終的には自閉症の特別支援学級の担任として立つことができた。この経験が何の役に立つのだろうか、と思っていたが、とんでもない、牧師としてこれほど得難い経験はなかったと今は思っている。(今日、走っていて赤信号で偶然先行車の見たことのないラベルに目がとまった。何とAutism Awareness [=自閉症を理解して]だった)


以下は趣味の話である。ピアノは姉に引っ張られて八、九才で始めたものの、すぐにやめてものにならなかった。と思いきや、今はそれが少し用いられており、楽しいし、何よりもこれ、脳にいい刺激を与えてくれるのがわかる。ぼけないと思う。


テニスは十八から始めて、もうすぐ半世紀近くになる。鈍足運動音痴だった私が、この年ぐらいになると、何を見紛うてか、足が速いですね、と誤解されての評をフフフと喜んでいる。テニスによってどれほど健康が与えられているか、計り知れない。

しかし私はこれらの全ては、これからの日本のリバイバルに備え、神がそのために与えてくださっていることを知っている。そのためのもので、決っして私自身がウフフと悦に入ることではない。私は牧師になる者として世に生まれ、育てられ、長じては訓練された。それがハッキリ分かる今は、心から愛するお方に、感謝があふれる。(祝祷)

†ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。



ケパ



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