ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

真の聖地を探る〜聖墳墓教会と園の墓

2018年02月19日 | 聖書
キリスト教徒にとって、聖地の中の聖地と言えば「聖墳墓教会」か、あるいは「園の墓(Garden Tomb)であるには間違いない。ユダヤ教徒には神殿の丘(今現在は自分たちの管轄下にありながら、イスラムの第三の聖地であり、モスクがある。特別な場合を除いてはユダヤ教徒は立ち入れられない)がある。主イエスはそこで宮清めをなし、多くのことを語られたのではあるが、キリスト教徒にとってはなんと言っても十字架である。(写真はゴードンのゴルゴタと、園の墓の墓)

イエス・キリストの十字架に架けられた場所と葬られ復活された場所と言うのがどこなのか、これが全く異なる二つの場所があるから混乱する。いや、正確に言えば、19世紀のゴードン将軍のゴルゴタの丘らしき発見と推奨によって、この混乱が始まったのだ。それまでの長い間、その場所は聖墳墓教会が独占していたのだが。(写真は聖墳墓教会と図解)

実はこの度、雑誌ナショナル ジオグラフィックの「本当のイエス」を見るまでは、私はやや「園の墓」派だった。しかしこの書にある聖墳墓の歴史的な変容と考古学的な発見とによって、大きく「聖墳墓教会」に針を傾ける結果になった。
特に衝撃的であったのが、埋められたが、当時はあった石の採掘場である石切場の存在であった。ポカッと大地に大穴が空いていたのである。十字架か立てられた少し小高いゴルゴタは、この石切場の上の尖った岩場であり、墓はすぐ下の元採石場にあったようだ。ただ、歴史の中で石切場が埋められたり削られたり、ドームを建てられて覆われたり、原形をとどめないほどあまりにも変容してしまったらしい。

さらにイエス時代のものである重要な発見が、先の修復の際にエディクラ(イエスを納めた墓を直に覆うドームの中の小さな建物。下の写真)で発見された。この雑誌はこれら変遷をドラマティックに図解しており、まさに目からうろこである。詳しくはナショナル ジオグラフィックの同書をぜひ手に取ってみてほしい。今なら千円と少しで手に入るはずである。

全く余計な付け加えだが、せっかく旧市街に入り、イエス様が十字架を負って歩かれた道(Via Dolorosa)の終点である聖墳墓教会を前にしながら、ここを「霊的に悪い」と、かなりの人が中に入らない。残念に思うが、強制はできない。中には怖さのためであろうか、泣き出す人もいる。霊的に敏感だとされている方に多いようだ。
確かに聖墳墓教会の中は暗いし、日本人には馴れない香料が匂う。その上、いつもものすごいごった返しである。人に圧迫されるし、ゴルゴタを見るにはかなり階段に並ぶ。なにしろ世界二十億以上のキリスト教徒の中で、聖地を訪れることができた幸いなほとんどの人は、ここが目当てなのだから、みんな必死なのも当然である。

この教会は四世紀のコンスタンティヌス大帝の母によって発見され、十世紀の十字軍時代に今の形に建てられた、歴史ある超古いものである。キリスト教世界の最大遺産と言って良いと思う。だから入れるだけでも恵みであり、暗い、狭い、人でごった返す、匂うのは当然で、大勢の人に押され流され、ろくに見ることすらできないのが現状だ。

しかしだからと言って、主イエスが十字架に架かられたとされる、最も伝統的に信じられ保存され、かつ考古学的にも裏付けのある、この最大最高の場所に、霊的に悪いとして中に入ろうともしないのは、私には理解できないことだ。十字架に架かってまで私たちを愛してくださった子なる神、その最有力な場所を前にして、悪霊の巣窟のように怖がるとか、霊的に悪いとするのは、どう受けとめればよいのだろうか?

ぜひこのナショジオの本を読み、頭に入れてから聖墳墓教会を訪れられると、これまでの、暗く狭くごった返しのマイナーな印象とは相当違った見方が出来るはずである。もちろんこの中では十分な祈る時間はないが、それは後で補うことが出来る。まずは目で覚えることである。信じようとはしない世の人々の前に立たされ、証人として用いられるクリスチャンにとって、十字架と復活は、殉教もいとわない、自分のいのちそのものではないだろうか。


ケパ



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