ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

豊かさは幸福ではない

2014年04月16日 | 随想

Mujica 今まで知らなかった・・・・ 「2012年地球サミット」でウルグアイのムヒカ大統領(右人物)が、豊かさを求めて消費拡大に走る世界に警鐘を鳴らした。
 「もし全インド人(13/73億=18%)が、ドイツ人(0,85億)と同じように車を持ったら、世界に果たして資源や空気は残っているでしょうか?だから飽くなき消費追求社会には限界があるし、全世界が豊かさを求め続けるなら公害、資源の枯渇とその争いが必至な現在の消費拡大=豊さという生活スタイルが間違っている。豊かさは=幸福ではない。何を幸福とするのか、家・財産のために一生働き続けさせられる物質追求ではなく、家族の会話・思いやり?などへの<生活スタイル>に変革しなければならない」、と。
 ※Youtubeで「ムヒカ大統領 衝撃的なスピーチ」と言葉を入れて?と良いです。下をクリックしてくださっても行けるはずです。
 http://www.youtube.com/watch?v=Q7aJcf_Lexs

 「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲が有り、いくらあっても満足しない人のことだ」と言っているのです。確かに真に貧乏な人とは、いくらあっても「足りる」ことを知らない貪欲な人のことでしょう。どんなにたくさんの物を持っていても、欠乏感にとりつかれているからです。「足りる」ことができない自分を見、足りることを求めることは、本当の幸福を見つける為のスタートになるのです。

 我が身のことを考えてみます。私は豊かさを求めて、飽くなきレースに参加していた結果、疲れている自分を見ることができます。マイホームをローンで手に入れたり、ささやかですが、複数台の車も所有していました。ときどき子ども時代の、電化製品や自転車すらなかった生活を思い出し、このガソリンをまき、果てなき物質社会が果たしていつまで続くのか、畏怖感すら感じることはありました。しかし、ひとたび便利さを手に入れると、容易に降りることができない現実が有り、それは限界までそうなってしまうと感じるのです。


 そして豊かさを求め、便利さが蔓延してくると、家族がそれぞれを必要とする度合いが薄まって来たこと、幸福がCMや絵に描かれたようには実現できないことを、今となっては手遅れかも知れませんが、重々かみしめることができました。

Hanako

 「花子とアン」を観ても、お嬢さんたちの華やかさに寒気を感じられる方も多いことでしょう。それはご自分の「反省」なのか、それとも「真の豊かさに気づかされ」てからなのか、どちらでしょうか? 私は自分の反省も込めて、その両方です。
 ムヒカ大統領の言う幸福を求めようとしても、では「家族がいつも一緒に居れば幸福なのか」ということも、実際にはそうはなりません。一つの土台であることは確かですが、それで=幸福100%になるとは限らない。かえって家族間での葛藤が深まることだってあるのです。そうすると逃げ場のない、修羅の場にすらなり得ます。
 結局は人の心の問題が幸福の問題なのです。最終的な解決は人間にありそうで人間になく、人間を造られた全知全能の神、神が人となって愛を示してくださり、究極の赦しがあるイエス・キリスト、それに今も働かれる聖霊なる神・・・・・・・が家庭の中心になっているかどうかだと、思わされるのです。人では幻滅し、結局、神に向かうように人は造られているのです。   ケパ

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