今日食事中に、ドルカスが自分の母(中程度アルツハイマー)のことについて、こう言った。「母が(今介助をしている姉に)、『前は何処へでもひとりで行けたけど、もう 一人では行かれないからおまえと一緒に行くよ。』と言うんだって。そう言われたら、嬉しいわよねぇ?」
それに対してわたしは次のように答えた・・・・「(さらに進んだアルツハイマーの母を単身で三年介助をした)自分は同じ言葉を自分の母から聞いた経験がある。でもその時(頼られて)うれしいいどころか、悲しくてつらかった。母はどこまでもわたしの母だ。子としてそんな母の姿を見たくなかった」・・・・なので、わたしのその時の心境は、ドルカス姉妹と180°違っていた。
この違いをドルカスは、娘と息子の対応の違いではないかと言った。確かに男は現実をあるがままに受容できなくて、「あるべき姿」にこだわるところがある。「まぁ、そうなのかも知れない。男は立場にこだわるし、事態を柔軟に受け止めれない所があるもんな」・・・・と思いつつ、うまく表せないが、でも何だかちょっと違う所もあるように思えた。あの時母はすでに一人では歩けなくなり、どこへ行くにもわたしのズボンの腰のベルトに手をかけ、それで安心してついてきた。親と子が逆転して、喜ぶ者がどこにいるだろう。
わたしは祈った。「主よ、人間の親子はこうして逆転がゆるされますが、聖なる神とわたしたちとの関係は、決してゆるぎません。親であっても人には老いがあり、病があり、悲しい逆転もゆるされますが感謝します。ただ天のまことの父よ、あなたは変わりません。あなたがとこしえに父なる神でありつづけることを、今心から感謝します。あなたは永遠であり、子のわたしたちも同じく永遠の命に与(あずか)るからです。」 (ケパ)