午後姉からメールが来た・・・「帰ったら母がいなくなった感謝・・・祈って」 慌てて電話すると、朝は起きて着替えをして食事をして、一緒に教会へ行こうと誘うと、頭が痛いから(いつものお得意な理由なのだけど)家で寝てると言う。そして自分の布団でもぐってしまった。それで、メモをして出かけた姉が急いで戻った1時半頃、母の姿が消えてたらしい。
今夜は船橋で祈祷会、姉の家には行かれない。そろそろ移動しなきゃ行けない。祈りながら一人であたふたしているだろう姉のことを思う。
再び電話すると「大丈夫。必ず見つかるから。そちらで祈ってて。すべきことはしたから。私も家で連絡待ちながら祈るから」
そう、いま私に出来るのは主に祈る事だけ。全てのあったことを感謝して、否定的な言葉は言いたくない。悲観しない。なにも心配は無い。そう全て神さまがご存知だから。
やすらぎの歌の一節が思いだされる
never worry never hurry you will never be late
今日は暖かな日であること感謝して(母が寒くないように)、朝は起きて食事したこと感謝して(お腹がすいてないよね) バックを持って出た事感謝して(1000円ちょっとのお金入ってるって)
ケパさんが祈ってから言うのです。「坂の下へくだったようだ」「その道、バス通るの?」 確か通るけど、駅に行くバス通ったかしら?
あぁ そのバスが駅に行くとかそれは母にはわからなくても関係ない。とにかく歩くのだから。
昨日のblogで、母達のことをケパさんが書いたばかり、あれなんだったの~。徘徊が始まらないといいねなんて言ってたばかり。い~ぃえそのことも感謝だわ
とりあえず船橋へ向かう、電車の中で祈りつづけた。そしたらそしたら
『みつかった。よかった。感謝ぁ』と、姉から連絡が来た。暗くなる前に見つかってよかった。
なんと横浜駅で保護されてました。 「娘と出かけてきたのに、はぐれてしまった」って
どうやらその娘って、なぜか私だったらしいの感謝
相当疲れていたらしい。そうでしょうにね。
母にとって本当に感謝でした。来たバスが横浜駅行きだった。お財布の中身でバスの乗れた。そして駅について途方に暮れて、ふらふら歩く母を親切な警備員さんが保護してくださり、バックの中のメモ帳の連絡先に電話をしてくださった。そして暖かな部屋で待つことが出来た。姉が迎えに行った時、どれほどほっとしたことでしょう。
一緒に車で迎えに行ってくださった方、保護してくださった方、神さまがおいてくださった方々、感謝します。
天のお父様。母を守ってくださってありがとうございます。あなたは素晴らしいお方、ほめたたえるべきお方、信頼すべきお方。ほめたたえます。賛美します。踊ります。さらにあなたにより頼みます。私たちを愛してくださるお方。私たちもあなたを信頼し愛します。 ハレルヤ (ドルカス)