今日は歯の治療に行って来た。以前にも書いたと思う が、私はもう5年以上も、毎週歯科医院に通いつめている。牧師として主が導かれた時、「歯無しでは、話にならない(^_^;)」とは言われなかったが、でもまあ、そんな感じで「恐れずに、歯の治療しなさい」と示された。これには困ってしまった。相当な覚悟が入り用だったからだ。
40代から始まった、わが生涯最高の家庭が苦しみ痛んだ生活で、私は結局、左の下あご奥歯の大臼歯3本すべて、一本ずつ抜歯しなければならなくなった。抜歯した夜は痛み止めが効かない、床を一晩中転げ回るような痛みとなり、それ以後、歯医者にトラウマで行けなくなってしまった。「もうどうでもいい」ような、そんな放り投げたような状態となり、それがまた歯が自然に一本抜けたり、歯全体が移動したりの悲惨な状態へと加速する結果になった。
結局牧師への準備として、勇気を祈り与えられ、身を捧げる覚悟で歯科医院の門をたたいた。それから週一の、徹底的な治療が始まって5年が経った。今では主の導きがあったことを心から感謝している。私の歯は総崩れの一歩手前で何とか踏みとどまっていて、今日もリンゴをおいしくかじらせてくれている。
抜けた歯については、しばらく再創造を願ったのだが、主は医学の力「インプラント」でかなえてくださった。医学も神が備えられた癒しの手段である。「インプラント」ができないあごも多く、医学を受け入れ、医学を通して癒されるのが主の御心だったことを後で知った。逃げてはいけない。向かって行かなくては。しかし人間は弱い。主こそ私の力、わが支えだ。(ケパ)