ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

御心に従う

2011年01月23日 | 祈り

 Bokusi 私は51歳で牧師として召命を受け、絶対に無理と見えたが、ナント55歳で成就した。ところが遙か昔、牧師として献身しようとしたことがある。大学を卒業し、生家のある広島に戻って教会生活を始めた時、その教会の長老から「あなたの信仰なら、献身が相当」と強く勧められたことがあった。もとより「できたら・・・・」と望んでいたことなので、心は激しく揺らいだ。
 しかし結局献身しなかったのは、「召命」の確信が無かったことと、サブ的だが見たところの、牧師生活の貧しさだった。「貧しさ」については、クリスチャンだけでなく、21日のブログのようにみなさんよくご存じのようだ。


 ところで「召命」がないのに献身しなくて、つくづく良かったと思う。今、人の思いではなく、確かに神からの「召命」を受けて牧師になっているからだ。実際召命があることはすばらしい。

 日々牧師をしていると、あまりの自分の無力さや人間としての欠けに・・・・打ちひしがれそうになることも結構ある。しかし自分の力や意思で選んだのではなく、生ける神から召されてこの任を与えられているわけで、ちゃんと従っているのなら、第一義的な責任は雇用主の「神様」にあるはず。これは非常に大きい。神は誠実な方で、裏切られたり失望したりすることはあり得ないからだ。


 神様、このような私を召してくださり、ほんとうに感謝します。死に至るまで心から、あなたに仕えます。  (ケパ)

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