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心理学オヤジの、アサでもヒルでもヨルダン日誌 (ヒマラヤ日誌、改め)

開発途上国で生きる人々や被災した人々に真に役立つ支援と愉快なエコライフに渾身投入と息抜きとを繰り返す独立開業心理士のメモ

昨日夜、前ネパール王は王宮を出たらしい

2008-06-12 14:47:34 | ネパールの政治治安状況
報道によれば、昨日に王は王宮を出たらしい。
クーデターや、武装蜂起などはなく、平和裏に移行できてよかった。

博物館にするらしいけど、公園にという、ぼくの案はその周辺で、実現するのかな?

日本並みのガソリン価格になってクルマが減り、、混雑名所カランキ交差点も渋滞なしだとか。
政争に明け暮れて、無策の政府の元の庶民の生活はたいへんだ・・・
ネパールの情景が頭をよぎっています・・・

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ネパール元国王が王宮明け渡し、声明で亡命は否定
6月11日23時1分配信 読売新聞

カトマンズで記者団を前に声明を発表するギャネンドラ元国王=尾崎孝撮影

 【カトマンズ=永田和男】ネパールのギャネンドラ元国王(60)は11日夜(日本時間同)、夫人のコマル元王妃(57)と共にカトマンズ中心部のナラヤンヒティ王宮から退去した。

 5月28日の制憲議会で王制廃止が決まり、元国王は15日以内の王宮明け渡しを求められていた。

 元国王は退去前、王宮内で記者団に声明を読み上げ、「国民の判断を尊重する」と述べ、王制廃止決定を受け入れる考えを表明した。声明では、主要政党を王制打倒で結束させる転換点となった2005年の直接統治導入にも触れ、「良い意図を持って始めたことだが、良い結果をもたらせなかった」と述べ、無念さもにじませた。

 ナラヤンヒティ王宮は今後、博物館となり、元国王は王冠など宝物類も展示用に明け渡した。ただ、これまで別邸として使用していたカトマンズ北西のナガルジュン宮に当分の間、滞在することが認められた。

 また、元国王の継母(82)と、祖父トリブバン元国王の側室だった女性(91)は、これまで通り王宮敷地内で生活する。

 声明で元国王は、「ネパールを離れない」と亡命を否定。個人資産数十億ドルと言われる富豪でもあり、王制廃止を主導したネパール共産党毛沢東主義派のプラチャンダ議長が「国内に投資して雇用を創出してほしい」と述べるなど、引き続き動向に関心が集まっている。
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NGO駐在員らからの、その日の模様メイル抜粋

2008-05-30 06:57:53 | ネパールの政治治安状況
Aさん、女性より。

「さて、実は今日、王宮前通りに様子を見に行っちゃいました。
今、田舎から出てきている中学生が我が家に泊まっていて、この子どもにも何かを感じてほしかったからです。

終焉を迎えた王家、そして未来を築く人々。
相当数のデモ隊が、国王の即時退去を求めて、シュプレヒコールを挙げていた。
印象深かったです。そうですね、あの国王のことなら15日の間に何をするかわからない。

昨日は午前11時からずっとテレビつけていたけど、ネパールでの国会中継は初めてじゃなかっただろうか?国際会議場の外で、爆弾を仕掛けた騒ぎもライブで放送された。周りを囲む抗議のデモ隊、それを制圧する警官隊、物々しいサイレンと夜間照明。70年代を思い出させました。
あー、おもしろかったなー。。。。
何はともあれ、しっかりやれよ、ネパールです。」
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Bさん、男性。

「それでも、この歴史的瞬間を自分の目でみたいと思い、10時半にでかけた。大家さんは、心配だから2時までもどってくれと要請した。もちろん、日本大使館からは、外出自粛要請がでていた。
 バスはすべてとまっていた。数少ないタクシーを捜すと、いつも180ルピー程度のラーニポカリが300ルピーたどいう。道路はいつもなら渋滞の時間なのに、車はきわめて少なかった。中心部に近づくにつれ、防弾チョッキをきた武装警察や市民警察が、重要拠点を警護していた。
 国連や人権団体の監視の車が、あちこちにいた。各国の大使館、領事館も情報を得ようと、街中をさぐりまわっていた。
 
政府軍と対等の任務を果たすYCLたち
 中央集会の予定されたラトナパークでタクシーを降りる。中央ステージに武装警察がたむろしていたが、だれも結集していなかった。昨日は前夜祭で燃えていたのに。人気のない道路を王宮にむかった。西遊旅行の手前の交差点に紺色の制服を着た10人ぐらいの少年たちがかたまっていた。わたしはてっきり、祝賀デモにきた村の若者かと思い、やっと取材対象に出会えたと喜んだ。どこの村から来たのかといろいろと聞いた。
 <あの人たちは、いちばん怖い人です。少しのお金で人も殺す人です。顔を覚えられるとたいへんです>とわたしに抗議し、ほんとうにこわがっていた。
 これが、わたしがマオ兵士を見た最初だった。10万人以上といわれるマオ派兵士は、農村の低いカーストの少年少女を中心に組織されたという。しかし、かれらを直接見たことはなかった。国連監視のもと、マオ正規軍は武器を国連に委託し、マオ兵士たちはYCL(Young Communist Leag)として組織され、今後、ネパール政府軍との統合を待っているという。
 何ヶ月も風呂もシャワーをあびていない顔は幼さが残っていた。が、目だけはするどかった。まともな教育を受けず、マオの教条主義に洗脳された、かれらが近い将来、国軍になるとしたら考えたら、ポルポト体制を思い出しぞっとした。ラジャナたち都市市民の恐怖感が理解できる。

動きだした組織された人々
 国会が延長されまだ何も決定していないという情報を得たので、”ふる里”で待機した。そして、集会予定の時間が近くなり、外へ出た。
 タメルの奥から、<共和制、万歳!>と叫ぶ青年がマオの旗を何本もかかげ、道いっぱいに行進してきた。今日は七党合意で、旗、横断幕、音楽、大声を自粛し、静かに共和制を祝うとされていた。しかし、タメル交差点の武装警察は、王宮側に曲がるのを阻止するために列は作ったが、旗をとりあげたりはしなかった。かれらは、ギャネンドラ国王の私宅があるラージンパットのほうへ向かっていった。ついていきたかった。このグループはシャワーを浴びているだろう、マオシンパ革命的学生連合だった。
 ふたたび、王宮前に出たが、武装警察とYCLの若僧たちが二つの輪をつくり角ごとにいるだけだった。ときどき、赤旗をたかだかと掲げたバイクが、疾走していた。

ついに見た10万人デモ
 今日は議会は何も決定せずに閉会になるだろうという予想をFMラジオの一部は報道し始めた。しかたなく取材をあきらめ、もう一度ラトナパークにもどり、帰ることにした。やはり何もなかった。
 帰りのタクシーを捜していると、この道を横切り、アッサムからバクバザールを向かう道にシュプレヒコールが聞こえた。わたしたちの周りにいた通行人も突然、バックから釣竿と赤い布を出し、すばやく赤旗をつくり、整然と行進を始めた。かれらは、すべて通行人ではなかったのだ。近くで見える歩道橋から、写真を撮った。興奮した。赤い旗が次々とうまれてるのだ。10分以上たっても隊列は続いた。
 これだけの人数がどこに行くのだろうかと思った。おそらく、バクバザールの民主主義の壁だろうと判断した。ここは、ネパールの国会開設請願運動で、最初の政党活動の犠牲者がでた場所で、人民の聖地だといわれている。
 抜け道をして、バクバザールの歩道橋に行った。
 見た、ついに、見た。何万の人がうめつくされていた。いや、あふれていた。それぞれのグループが、共和制万歳!を叫び、その中央ではシンバルにあわせて踊る人たちがいた。
 反対側からも続々と隊列が続いた。マオ革命歌をスピーカーで流し、人々はこぶしをあげた。新しい隊列がくるたびに、大群衆は歓呼で迎えた。ここは、完全に共産主義広場だった。人を押しのけ、写真を撮った。

 1ガロンの飲料水のボトルを大量につんだ小型トラックが、次々と入り込んだ。人々はまた歓呼の声をあげた。そして、のどをうるおした。
 武装警察はトラックの中でただ監視しているだけだった。そのかわり警備しているのは、YCLの若者たちだった。グループの一部が、王宮側に曲がろうと阻止し、早く到着した隊列から解散するよう指示していた。そして、マオ支持者はそれにしたがっていた。完全に自治区だった。
 タクシーをつかまえ帰ろうとしたが、次々とくる隊列でうごけなくなつてしまった。大量のマオをまのあたりに見たのは初めてであった。
 すると、公園の前に整列していたYCLの若者が、ラトナパークを通りぬけていいと言った。交通警察官はとめたが、運転手は公園の中を走った。パタンの前でも隊列にあった。
  事務所に着くと、ビールの栓をあけた。疲れていた。興奮していた。おそらく、マオとそのサポーターを短時間に10万人は見ただろう。

深夜11時議会共和国を決定
 テレビをつけると、ラトナパークでの中央集会を放送していた。マオ系の歌手や漫才師が舞台にたっていた。ふだん見ることのできない、マオ文化を見ることができた。中国の文化工作隊やキューバの解放歌舞隊をミックスしたような感じだった。

 議会は三回目の延長の後10時に再開、11時に新憲法の共和国規定について投票が始まった。600人のうち、党推薦による議員26名が未定なので、有効投票は564票である。賛成560票、反対4票で、ネパールは議会で国王を追放した世界で四番目の国になった。ちなみに、それらは、アメリカ、スリランカ、イタリアである。
 その後、内務大臣は<今夜は遅いので、お祝いは明日から二日間おこなおう、そこで明日明後日も休日にする>と発表した。

選択をせばまれたミスターギャネンドラ
 マオ武装勢力への対応がなまぬるいという理由で、大きなちからが働き、ビレンドラ国王家族、姻戚者は、王宮で虐殺された。そして、絶対王政を復活する意欲じゅうぶんだつた弟ギャネンドラが国王についた。
 しかし、かれは当面の敵、議会勢力を弱体化させるために、プラチャンダと裏取引きをしマオを泳がせた。国王はそれを隠し、逆にマオ対策がぬるいと議会を解散させ、さらに独裁体制をひいた。
 ところが国王はボタンのつけ間違えをした。共和制主張が国王と妥協している議会勢力のキャンペーンがずしんずしんとマオ幹部の腹部をさし、マオ支持者はマオ中央委員会の開催を求めた。その結果、マオ勢力は議会勢力と提携し、2年前に第二次民主主義革命を成功させ、今日を迎えた。
 マオたちは、かつて支えてくれた時期もある国王への感謝?をこめ、国王の国外追放をやめ、国王にビジネスをはじめ個人的政治活動などあらゆる自由を認めた。現在の私宅に住むことさえ許した。かれは国王以前とちっともかわらぬ生活にもどっただけである。

 しかし、国王が大きなものを失った。かれが復活するためには、マオを含めた新しい議会勢力の混乱と議会勢力への人々の不満をつくのださらなければならなった。さんざ利用したマオ勢力の挫折を、今度は、前国王は自分の手つくらなければならないというジレンマに陥った。それには、国民会議派、統一共産党などのかつての議会勢力との裏取引きが必要である。かれらはこの取引にのるのだろうか。そこに、鍵があるだろう。新しい議会勢力の成熟とがまん強さがもとめられるだろう。次の民主主義的な総選挙が、その結果を世界にしめすだろう。この国はいやな過去にすぐにもどることに慣れている。
 少なくとも、インドとアメリカのプレツシャーを利用するだげで、国王が復活する時代は終わった。

 次は国会は、統帥権と非常事態宣言権をもつ大統領をだれにするのか、プラチャンダ<首相?>は考えなくてはならない。以上、報告します。」
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Cさん、ネパール人ホテル経営者。

「Now Nepal has changed in Federal democratic republic of Nepal.
But I don't know the future of Nepal.
Any way how are you?
We all are fine and doing well but the Tibet close has effected in my Hotel about 6to7 group has been canceled.
Lets hope it will open soon.
When are you coming to Nepal sir?」

ネパール王政廃止を決議

2008-05-29 13:30:37 | ネパールの政治治安状況
ついにきのう5月28日、開始が遅れに遅れた末、ようやく午後11時20分(現地時間)、ネパール議会は採決の結果、王政を廃止することを議決したようです!

そして、王とその家族は15日間以内に王宮を出るよう通告されたようです。

王派のクーデターとかマオ派の王宮突入とか、うわさが絶えなかったけど、ついにこの日を平和裏に迎えた!!!

ぼくには、2006年のリングロードを埋め尽くした、素朴な巨大デモが印象的でした。
その後に、マオ派の動員があったことが明らかになりましたが。

旅行者で混雑するタメルに近い、あの王宮跡が人々が休める公園になればいいなと思っています。

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<ネパール>王制廃止、共和制に移行 大統領権限めぐり紛糾
2008年5月29日(木)11時37分配信 毎日新聞

 【カトマンズ栗田慎一】ネパールの憲法制定議会は28日深夜、王制を廃止し共和制に移行する決議案を圧倒的多数で議決し、同国は連邦民主共和国としてスタートした。しかし、国家元首となる象徴大統領の権限をめぐり、各党間の水面下の協議が紛糾、議会の開会が半日遅れた。首相には4月の選挙で第1党となった共産党毛沢東主義派(毛派)のプラチャンダ書記長が就任する見込みだが、今後の新政府の船出に大きな不安を残した。
 王制廃止の決議案に反対したのは、564議員のうち4議員のみ。議長が「2年以内の新憲法制定」を求めると、議員たちは大きな拍手で応じた。
 だが、制憲議会初会合の開始は予定の午前10時半から午後9時過ぎまでずれ込んだ。関係者によると、毛派と第2勢力のネパール会議派との確執が原因だった。
 毛派は当初、首相と大統領の両ポストを求めたが、会議派などの反発で大統領ポストを断念。大統領候補には会議派総裁のコイララ首相が浮上した。各派間で、大統領に政治的権限を与えないことも確認した。
 ところが28日になって、コイララ氏側が大統領権限の拡大を要求し、今度は毛派が反発。各党も交えた協議はだれを大統領にするかにまで逆戻りし、毛派も再び大統領ポストを求め始めた。
 結局、大統領権限は「継続協議」とすることで議会開会にこぎつけ、大統領人事もいったん白紙に戻った。
 一方、会議が始まる直前には、会場周辺で連続3件の爆発が発生し、近くにいた市民ら計7人が軽傷を負った。治安当局は、国王支持者らの犯行とみて男1人の身柄を拘束した。
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ひさびさに日本でネパール記事

2008-05-13 21:20:55 | ネパールの政治治安状況
2週後に、ネパール王政が終焉するということでしょうか?
約300年の江戸幕府の終わりと同じような時代の切り替えを通過できるのでしょうか?
当地からはいまだに、ギャネンドラ王派や会議派らの象徴王政を残すという悪あがきが伝えられていますが。

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<ネパール>憲法制定議会を28日招集 共和制への移行宣言
2008年5月13日(火)10時18分配信 毎日新聞

 【カトマンズ、ビナヤ・グルアチャリャ】ネパールのコイララ首相は12日、4月の選挙に基づく憲法制定議会(定数601)を28日に招集すると発表した。初会合では、約240年続いた王制を廃止し連邦民主共和制への移行が宣言されるほか、現行の首相制を継続するか、初の大統領制を採用するかの議決も行う。
 ただ、最大勢力となった「ネパール共産党毛沢東主義派」最高幹部のプラチャンダ書記長は初代大統領就任を目指しているが、他の有力政党は首相制の継続を求めており、連立政府の枠組みは不透明なままだ。
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宮原さんは落選

2008-04-25 06:20:55 | ネパールの政治治安状況
新聞情報です。

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ネパール制憲議会選、出馬の日本人男性は落選
2008年4月25日(金)1時39分配信 読売新聞

 【イスラマバード=佐藤昌宏】今回のネパール制憲議会選には、日本出身でネパールに帰化した男性が出馬したが、23日夜までに落選が確定した。

 男性は、1966年から首都カトマンズに住み、ネパール国内などで旅行会社やホテルを経営する宮原巍(たかし)さん(74)。
 政治とは無縁の生活を送っていたが、人生の集大成としてまとめた独自の観光振興策などを世に問うため、2005年に日本国籍を捨ててネパール国籍を取得、翌年、「ネパール国家発展党」を結成した。“初陣”となった今回選挙では、「王制維持」を掲げ、30歳代前半の若者を中心に小選挙区選に11人、比例代表選に自らを名簿1位として42人を擁立したが、当選者を出せなかった。

 日本に一時滞在中の宮原さんは「若者票を期待したが、毛沢東主義派に流れてしまった。次の国政選挙に向け、政治活動を続けていきたい」と語った。
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一方、比例区の開票も終了ということです。
毎日による結果は次のようです。
産経の解説記事も貼り付けました。

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<ネパール選挙>毛派が議席4割獲得 「比例」開票終了
4月24日20時36分配信 毎日新聞

 【カトマンズ、ビナヤ・グルアチャリャ】ネパールの制憲議会選挙(定数601)は24日、残る比例代表335議席の開票を終了した。旧反政府武装組織「ネパール共産党毛沢東主義派」(毛派)は、比例代表で97議席前後を得る見通しで、小選挙区と合わせた獲得議席は217と、全体の4割弱を得る見通しとなった。

 これで毛派は暫定政府を主導することを確実にした。毛派は速やかな新憲法制定を目指し「全党参加の連立政府樹立」に向け水面下の交渉を開始した。

 公式発表は日本時間深夜以降となる見通し。コイララ首相が率いる「ネパール会議派」は比例、小選挙区合わせて107議席にとどまる。

 制憲議会の初会合は数週間以内に開催が予想されており、そこで毛派が求めてきたように王制が廃止され、約240年続いた王室は解体、連邦民主共和国に移行する。制憲議会が新憲法を制定するまで2年はかかる見通しで、制定後に正規の国会議員選挙が行われ、新憲法に基づく新政府が誕生する。

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王制廃止のネパール制憲議会 毛派が第一党確定
4月23日8時2分配信 産経新聞

 【バンコク=菅沢崇】ネパール新憲法制定のための制憲議会(定数601)選挙の開票が22日、ほぼ終了し、今回選挙に初参加したネパール共産党毛沢東主義派(毛派)が約220議席を獲得、第一党になることが確定した。ただ、単独過半数には届かず、第二党のコイララ首相率いるネパール会議派や、第三党の統一共産党などとの連立政権を目指すが、各党には毛派との連立に対する警戒感も根強く、主要政党間の連携を維持できるかどうか危ぶむ声も出ている。

 同国選挙管理委員会によると、毛派以外の獲得議席数は、ネパール会議派が108前後、統一共産党が101前後。23日にも比例代表制の議席配分が発表され、各党の最終議席数が決まる。

 開票後、毛派の指導者、プスパ・カマル・ダハル(別名・プラチャンダ)書記長は「国民はわれわれに新憲法制定を託してくれた。毛派の一党独裁を心配する必要はない」と述べ、政権運営への自信を表明。ネパール会議派や統一共産党に対し、連立政権に参加するよう求め、協議を続けている。

 外交筋は毛派の躍進について「既存の古参議員による政党では変革が期待できないという失望感が生み出した結果だ。さらに選挙期間中に毛派の支持者らが投票行為の妨害事件を引き起こし、有権者の一部が投票を恐れた」と指摘する。

 毛派は1996年から王制打倒の武装闘争を展開。この間に地方から都市部への移住を余儀なくされた市民も多い。しかし、都市生活でインターネットや携帯電話になじむことになった若者が、毛派に対して「変化」への期待を託したとする観測もある。

 選挙結果が確定した後、3週間以内に招集される制憲議会は、主要政党による昨年末の共和制導入の合意に基づき、王制を廃止する宣言を下す。1769年、シャー王朝の成立後、240年続いた同王朝は民意によって幕を閉じることになる。

 ただ、ギャネンドラ現国王がすんなりと退位に応じるかどうかは不透明な部分もある。

 毛派のプラチャンダ書記長は18日、「国民の審判によって自ら宮廷を去るべきだ」と自主的退去を求めているが、コイララ氏ら一部は、象徴的なものとして王を存続させるべきだとの姿勢もみせている。

 ネパールでは、王制廃止後、大統領を置く方針だが、大統領と首相の権限分担など、詳細はいっさい白紙の状態で、共和制の内容については議会でのさらなる審議が必要とされている。

 新憲法成立までは、プラチャンダ書記長が首相となる見方が有力だ。同書記長は市場経済を発展させ、外国からの投資促進をはかりたいとしているが、「毛派では経済改革はできない」との冷ややかな見方もあり、毛派による“独裁”を警戒する声も依然、強い。
                   ◇

 ≪ネパールをめぐる動き≫
1769年 シャー(グルカ)王朝が成立して国家統一
1846年 ラナ将軍家による専制政治が敷かれる
1951年 トリブバン国王が王政復古し、立憲君主制に
  60年 マヘンドラ国王が急進的な政党政治に反発し、憲法を停止。
      国王親政に移行
  90年 民主化要求デモを受け、ビレンドラ国王が国民主権の新憲法公布。
      複数政党制が復活
2001年 王宮銃撃事件でビレンドラ国王ら殺害。弟のギャネンドラ国王が即位
  02年 ギャネンドラ国王が下院を解散
  05年 非常事態を宣言し、ギャネンドラ国王が直接統治
  06年 直接統治への抗議デモ。下院復活
  07年 主要政党が王政廃止で合意
                   ◇

【用語解説】ネパール
 日本の約3分の1の国土に約2800万人が暮らす非同盟中立国家。中国国境にはエベレストなど8000メートル級の山々が連なるヒマラヤ山脈がある。国民1人当たりのGDP(国内総生産)は290ドルで世界最貧国の1つ。1769年、現王朝シャー(グルカ)が成立して国家統一。2007年、ギャネンドラ国王への不信から王政廃止が政党間で合意され、制憲議会の初会議で共和制移行が正式決定する。勇猛果敢で山岳・白兵戦能力の高さで勇名をはせる英陸軍グルカ兵はネパール出身者で構成される。

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ネパールって左側の国・・・

2008-04-22 06:48:23 | ネパールの政治治安状況
今朝の日本でのネパール選挙結果報道は次のようです。

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<ネパール>毛派が半数議席獲得 連立政権樹立へ
4月21日20時58分配信 毎日新聞

 【カトマンズ、ビナヤ・グルアチャリャ】絶対王制から共和制に移行するネパールの制憲議会選挙(定数601)の小選挙区240議席の開票作業が21日ほぼ終了し、王室廃止を求める旧反政府武装組織「ネパール共産党毛沢東主義派」(毛派)が120議席を獲得。240議席のうち、開票作業が遅れている1選挙区は別の党が獲得する見通し。近く発表される比例代表(335議席)でも毛派が半数前後を獲得するのは必至で、毛派主導の新政府が誕生する。

 ただ毛派の単独政権樹立は困難で、新政府の役割と任期が新憲法制定と施行までであることから、毛派は上位の複数の党と連立を組む方針。

 選管によると、小選挙区のうち、毛派以外では、コイララ首相率いるネパール会議派が37▽統一共産党33と、現政府の主要政党が議席数を大幅に後退させた。一方、インド系少数民族「マデシ」の最大政党「人民権利評議会」(MPRF)が第4党に躍進。同党は選挙直前の2月、暫定憲法にマデシの自治権拡大を明記させることに成功し、会議派など既存勢力に分散していたインド系住民の票を集めた。

 一方、制憲議会の初会合で退位が確実となっているギャネンドラ国王は21日、亡命の可能性を否定する声明を出した。国王はこれまで「ネパールの農村部で生活したい」と複数の地元メディアに述べている。

 小選挙区と比例代表以外の議席は、内閣の推薦によって決まる。
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より詳しい情報はこちらで読めます。
http://www.election.gov.np/reports/CAResults/reportBody.php?selectedMenu=Winning%20Candidates(English)&rand=1208523559
ネパール選挙委員会のページです。

ネパール選挙 開票経過

2008-04-16 10:33:12 | ネパールの政治治安状況
15日段階のネパール選挙の開票経過を報道から見ると次のようです。

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ネパール制憲議会、毛派が優勢…第一党の公算強まる

2008年4月15日(火)1時38分配信 読売新聞
 【ニューデリー=永田和男】ネパールで10日投票された制憲議会(601議席)選挙は、14日までの開票で確定した小選挙区197議席中、ネパール共産党毛沢東主義派が110議席を獲得し、32議席のネパール会議派、28議席の統一共産党を大きく引き離し、優勢となっている。

 最終結果確定は来週以降だが、毛派が元々有利とされる比例代表制分(定数335)の開票も控えていることから、旧反体制武装勢力の同派が第1党になる公算が大きくなっている。

 毛派がここまでの躍進を見せた背景について、地元各紙は、9年ぶりの国政選挙で、有権者は腐敗と権力闘争に明け暮れる既存政党より、王制打倒の立役者になった毛派の行動力に期待をかけた、と分析している。
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こうした経過に対して、マオ派の会見があったようです。
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ネパール毛派指導者「国民が新憲法託した」
2008.4.13 00:52

 ネパール制憲議会選挙で当選を果たしたネパール共産党毛沢東主義派指導者、プスパ・カマル・ダハル書記長は12日、カトマンズで記者会見し、毛派が大きく躍進する勢いにあることについて「平和を望む国民が新憲法(の制定)を託してくれた。実直に連邦共和制への移行を実現する」と述べ、政権獲得への自信を示した。

 ダハル書記長は和平と経済成長に努力すると約束し、単独過半数を取ってもネパール会議派など主要政党との連立政権の枠組みは崩さないと述べた。また、毛派による一党独裁を懸念する必要はないと強調した。(共同)
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連立政権で行くということのようです。
単独で過半数、あるいは2/3を取っても、そうするんでしょうか?
個別の政策をどう作っていくか、関心があります。
また武装闘争を経た団体として、テロリスト指定を継続させているUSAはじめ、日本を含む国際社会からの支援はどうなされるか、についても。

ネパールに帰化して立候補されている、エベレスト・ビュー・ホテルの宮原さんの選挙結果はまだ決まっていないようです。
鉄道による開発などを公約されていて、一部のネパール人たちは支持していましたが・・・

ネパール選挙開票進む

2008-04-13 08:30:19 | ネパールの政治治安状況
10日選挙の開票が進んでいるようです。
カトマンズ発のブログや、マスコミ報道は、およそ次の内容です。

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ネパール:制憲議会選で毛派が第1党の勢い

ネパール共産党毛沢東主義派最高指導者のプラチャンダ書記長=AP 【カトマンズ、ビナヤ・グルアチャリャ、栗田慎一】10日投票されたネパール制憲議会選挙(定数601)の開票作業で、王制廃止を目指して武力闘争を続けてきた「ネパール共産党毛沢東主義派」(毛派)が躍進し、第1党となる勢いを見せている。選挙管理委員会幹部が12日、毎日新聞に対して明らかにした。カトマンズの小選挙区に立候補した最高幹部、プラチャンダ書記長(53)も当選。選挙後の新政権で毛派が主導権を握る可能性が強まった。

 同日記者会見したプラチャンダ書記長は「国民は新たなネパール建設を我が党に託した」と述べ、政権獲得への意欲を示した。また武力闘争に戻らない考えを強調。「複数政党制を尊重する」として、毛派による一党独裁への懸念も打ち消した。

 選管は同日までに、都市部を中心とした22小選挙区の開票結果を発表。毛派が12議席を獲得し、コイララ首相率いる最大政党「ネパール会議派」と、「統一共産党」の各4議席を引き離している。都市部では会議派など既存の政治勢力が強いとみられており、毛派の優勢は予想外と受け止められている。

 一方、全国の開票状況を踏まえた選管幹部の情報によると、毛派は選挙前に全議席の2割獲得を目標に掲げていたが、それを上回るのは確実で、会議派を抑えて第1党となる勢い。ただ、過半数の獲得は困難で、会議派などとの連立政権になる見通しだ。

 毛派躍進の理由について地元英字紙「ヒマラヤンタイムズ」は同日、「若い世代が政治の変革を求めている」との専門家の分析を報道。王制下で権力闘争に明け暮れた会議派など既存政党への批判が、毛派躍進の背景にあるとみられる。

 制憲議会は選挙後の初会合で、王制を廃止し共和制への移行を決定。その後、2年ほどかけて新憲法制定を目指す。毛派は強い権限を持つ大統領制の導入を求めており、プラチャンダ氏が初代大統領就任を目指すとみられる。

 だが毛派は、王制廃止と共和制への移行、武装闘争の放棄と民主化路線の堅持以外に、具体的な政策を示していない。毛派が新政権の主導権を握った場合、どのような政策を打ち出すのか、「誰にも分からない」(地元記者)のが現状だ。

 山あいの遠隔地が多い同国では開票作業に時間がかかり、全体の選挙結果の確定には数週間かかる見通しだ。

毎日新聞 2008年4月12日 19時43分(最終更新 4月12日 23時02分)

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きょうはネパール制憲議会選挙の日

2008-04-10 20:00:35 | ネパールの政治治安状況
首都で爆弾事件があったり、
政党間?の殺人事件があったり、
警察との衝突があったり、
外出禁止の郡があったり、
選挙延期になる地域があったり・・・

2回延期された選挙がきょう4月10日、ネパールで始まった模様です!
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ネパール:憲法制定議会選挙の投票が始まる
 【カトマンズ、ビナヤ・グルアチャリャ、栗田慎一】絶対王制から共和制に移行するためのネパールの憲法制定議会選挙(定数601)の投票が10日、始まった。しかし、インド国境に近い南部や西部山岳地帯などでは、政党間の抗争などで1人が死亡、一部政党が有権者に自党の候補者に投票するよう強要したことなどから、計20の投票所で選挙が延期された。ただ、同国選挙管理委員会は大きな混乱はなかったとの見解を示し、10日以内に大勢が判明するとの見通しを明らかにした。

 選挙は、全国約2200の投票所で約11万人の武装警官らが警戒に当たり、日本を含む約850人の国際監視員が投票などの監視業務に当たった。

 しかし治安当局によると、コイララ首相の地盤、南部ビラトナガルでは、首相の「ネパール会議派」とインド系少数民族マデシの「人民権利評議会」の支持者が衝突し、会議派側1人が死んだ。西部アルカハキ地区では、旧反政府武装組織「ネパール共産党毛沢東主義派」の約15人が投票所を取り囲み、有権者に毛派の候補者に投票するよう威圧、投票所を放火した。

 国民の政治不信は、国王の下で権力闘争に明け暮れた既存の政治勢力にも向けられている。王制廃止で一致団結した各政治勢力も、選挙前に抗争を活発化させ、有権者は反感を強めている。既存の政治勢力が優勢との見方があるが、選挙結果は予断を許さない。

 一方、民主化の発端となった06年4月の大規模デモが最初に起きたカトマンズ西部カランキ地区の投票所では、午前7時の投票開始前から有権者が列を作った。生まれて初めて投票するという76歳の女性は、「生きているうちに政治の安定を見たい」と語った。

毎日新聞 2008年4月10日 19時47分
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投票、投票された用紙の管理、開票、情報の収集などなど、今後のプロセスにも気は許せませんが、
とにかくこの日を迎えられたことを喜びたいと感じています。

東京は冷たい雨で、中央線の大きなトラブルの一日でした。
そしてビーパル5月号の発売日・・・関係ないか・・・
ぼくは完全禁煙と就職努力を続けています・・・

チベット情勢 憂慮!

2008-03-29 08:02:01 | ネパールの政治治安状況
*印は、
その最初と昨日の情勢について、カトマンズに住むOさんのブログ http://banana-cat-cafe.blog.so-net.ne.jp/からの転載です。

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3月10日、数百人の僧侶たちが「自由なチベット」を求めてデモ行進をしました。↓
中国当局が鎮圧。僧侶らを逮捕。↓
以降、他の寺や市内各所で抗議行動が起こり、当局が催涙弾で鎮圧。寺院を封鎖。↓
一般市民も加勢。騒ぎが広まり、放火なども発生。当局が鎮圧。↓
死者が出たとの報道。中国当局も公式に認める。↓
情報統制により中国側から出てくる映像は「暴徒」の姿ばかり。
犠牲者の数など真相は不明のまま(3/17現在)

もう50年以上前のことですが、中国はチベットを武力で併合しました。その過程とその後、多くのチベット人(一説には120万人)が犠牲になりました↓
以来、中国の中でも特に人権や民族文化がおろそかにされる地域となりました。+
大量の中国人が移民してきたことによりチベット人は少数派になってしまいました。↓
チベット人たちが危機感を募らせています。
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抗議の18人が国連事務所に ネパール】産経 2008.3.28 22:39

AP通信によると、ネパールの首都カトマンズで28日、中国政府によるチベット自治区などでの暴動鎮圧に抗議する亡命チベット人18人前後が、壁をよじ登り国連事務所の敷地内に入った。周囲では抗議デモに参加していた約60人が警察に拘束された。 
 敷地内に入ったチベット人らは「チベットに自由を」と書いたプラカードなどを掲げていたという。ネパール警察当局は引き渡しを求めたが、国連側は拒否した。
 ネパールでは連日のようにチベット人による抗議デモが行われ、政府は取り締まりを強化。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、ネパール政府の強権姿勢に「強い懸念」を表明している。(共同)
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ぼくはチベットには1996年、97年と2回訪れたことがあります。
ラサから大砂漠をチャーター・トラックで越え、カイラス山、マナサロワール湖が行き先でした。
そのとき、日本での印象とはまったく違った現地の、漢民族による大中国帝国主義(!)に驚きました。
漢文化や経済の導入、チベット固有文化の縮小・・・
自治を認めるべきだ!!!

石油危機下の様子

2008-02-14 13:24:58 | ネパールの政治治安状況
気候が暖かくなってきたことが救いとは言え、停電の長さと、石油製品(ガソリン・重油・灯油)とプロパンガスの枯渇問題はネパールの一大問題となっています。

一日8時間の停電、ガソリンスタンドへは何ブロックも続く徹夜の長い車列。
そして街を走っている車は少なく、公共交通機関であるマイクロやテンプーは屋根にも入り口にも人を積み、タクシーを捕まえるのも困難になり、また政府系の機関でも自家発電のための燃料が手に入りにくくなっていると聞いています。

我が家では、電気のある時間帯と、ホテルが自家発電する時間を見定めて、それが深夜早朝でも起き出してPCに向かう日々が続いています。

今朝の Himalayan Times 紙によると、
ネパール国立石油公社は、あと2日分の備蓄しかないことを明らかにしたというのです。
インドからのタンクローリーは、マデシの人々によるバンダやタンクローリーへの襲撃などで荒れているネパール南部国境地帯のタライを通過できず、停まったままというわけです。

こうした中、供給相であるシアム・スンダル・グプタ大臣は、石油危機はどこにあるの?などと、まったく自らの責任を回避しているのだそうです。
またネパールの人々は、値上げには先月末に街頭行動を起こして阻止したのに、供給ストップには静かです。

政府には統治するということが求められていないということなのか・・・
理解に苦しみます・・・

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関係ないけど、またまたグッピーが増えています、2匹!

外出するので次の更新は20日の予定です。

信じていないかも・・・ネパール王政の終焉時期

2007-12-25 18:24:54 | ネパールの政治治安状況
ネットのニュースでも、NHKワールドでも、「200数十年間続いたネパール王政の終焉」が報道されています。

確かに、それは当たっています。国会で決議されることに、きのう、政党間で合意されたことだから。
来年4月には選挙になって、その初日に宣言されると・・・

ただ、カトマンズはいたって静かです。

4月に選挙があると思っている人はいるんだろうか・・・?
政治家を含めて・・・
(裏の選挙管理委員会は、久々に昨晩は深夜まで明かりをつけている部屋が3つありましたが)

ぼくは、既に国有財産化されたという現王宮が市民に公開された公園となって、ごみごみしたタメルから近い、旅行者の散歩コースになることを夢見ています。
今回の滞在中は、まず、無理かも・・・

国連選挙関係者の帰国

2007-12-19 12:02:19 | ネパールの政治治安状況
同じホテルのフロアにいるカナダ人国連スタッフが明日、帰国です。
事務所はすぐ裏なのに、毎朝8時頃にはUNマークの4駆が迎えに来て出勤していました。
選挙関係要員として、数ヶ月間の滞在になります。

ここ数日は、休暇を取って、マウンテンフライトなどを楽しんでいます。

国連は、来年4月というネパールの選挙情報を信じていないということなんだろうか・・・?

今年4月頃からパタンにたくさんいて、カトマンズの借家の家賃相場を引き上げ、外人たちが多く集まるレストランでよく見かけた、国連選挙関係者たちはどうしているのだろうか?
仕事がなくて、時間をつぶすのは大変だったと思うけど・・・
ただし、この人件費の無駄遣い(?)の責任は、6月予定を一旦は決め、そして11月へ延期し、その後もまたまた実施しないネパールの政治当事者たちにある!のは確か。

選挙は延期して、国会を開いて討議・・・課題は同じ

2007-10-06 10:10:18 | ネパールの政治治安状況
すでに昨夜からNHKーBSでも流れていますが、
11月22日予定の憲法制定議会選挙は延期と正式に決まり、10月11日に、暫定国会が召集されて、そこで懸案事項が討議されることになりました。

今年は10月12日から1ヶ月ほど、国ぐるみでダサイン休暇ーティハール休暇に入るので、きわめて異例な日程ということになります。

調整を図ってきた政党リーダーの果たした(あるいは果たしていない)役割は何だったのでしょう・・・
同じように、マオ派からの課題を討議するだけです。

テレビでは、ほぼ準備が終了した、選挙委員会 EC が全国へ配る選挙資料の山を映し出しています。

UN代表は、苦情を述べています。
些細なことかもしれませんが、UNが6月!実施予定だった選挙の支援と監視を視野に準備して、以来、多数滞在させている国連ボランティアたちはどうするんでしょうね・・・?
彼らが、借家を借りまくったおかげで、相場は上がったままだし、
外人たちが多く利用するレストランやカフェは、混んでるし・・・
まあ、気候のよくなった時期だから、休暇さえもらえば、トレッキングなどには絶好なんだけど・・・ね。

ちなみにECは、ぼくの住居のすぐ裏にあって、最近では夜まで明かりがついているだけではなく、一部の部屋ではテレビの明かりも漏れているなど、見るところ、準備に余裕を感じていました。

たぶん、マオ派からの要求を呑むだけなんでしょう・・・
ネパール政界の、なんという当事者性の薄さ!リーダシップのなさ!問題解決能力不足!

やっぱり11月選挙は延期?

2007-10-05 12:14:30 | ネパールの政治治安状況
今朝5日のテレビ報道によると、
5日間延長された立候補名簿締め切り1日前の、きのう夜まで続いた8政党の話し合いでも、合意がなかったということです・・・

マオ派は、3日に選択肢を3つに具体化して、その実現を迫ってきました。
それは、1)暫定議会で共和制を宣言し、選挙システムを比例代表制のみとする
2)王政を廃止して大統領を任命し、多数票方式選挙にも比例代表システムを適用する
3)共和制の宣言をせずに選挙を実施することを是認し、選挙システムを比例代表性のみとする、の内容でした。
ネパール共産党が、間を取り持つ形で、ネパール会議との妥協点を探ってきたようです。
コングレスは、マオ派を含んで、全政党で選挙を実施したい・・・
マオ派は、きのうは、選挙前の共和制の宣言か、あるいは比例代表制の実現と、1点に要求を下げ、妥協を図った・・・

しかし!!!

きょうにも、政府から正式な発表があるとのことです。

ぼくの感想;
マオ派のやり方って、近年の北朝鮮の「瀬戸際外交」と似てない?
自分たちに呼びかけの声がかかることをいいことに、相手へ要求を次々と突きつけ、汗をかかずに実現を図る・・・
ぼくの知る限り、マオ・ツー・トンはこういう闘いはしなかったと思うんだけど・・・
また、比例代表制になぜこの時期にこだわるのだろうか、わからない・・・