茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

上田宗箇(うえだそうこ)

2009年01月02日 | Weblog
今朝『武士の庭~上田宗箇・乱世が生んだ美~』(NHK)
という番組がありました。
宗箇は秀吉配下の一番槍で高名な武人です
同時に利休、織部の門下生でもありますが
刀が左腰にあるため帛紗を右につけるという
武家の茶を行った上田宗箇流の流祖であります

大坂夏の陣で
隠れていた竹藪の美竹に目が留まり
茶杓を削りはじめたところ
あまりの無心に
敵兵がかえって怪しみ逃げたという逸話があり
「敵がくれ」はこの時の茶杓と伝えられているそうです

そんな宗箇
お茶を点て
庭を造り
そして槍で人を突く

佐賀の名護屋城跡で感じた武将の茶について
また考えてしまいました
茶を喫し、朝鮮へ渡り
敵兵の耳を落とし鼻を削ぐ

武将は
禊のような気持ちでお茶を飲むのかな
茶室の完璧さ(足らぬも含めて)が
武将の張りつめた心の琴線に同調する
唯一の場所なのかな
茶室は武将の保健室?

中国では
茶を喫し道を求める人は
世捨て人というか隠遁というか
仙人になってしまいました

一族郎党を守る日本の武将は
市中の山居にて茶を喫し
そして戦場へ出ていく
逃げない胆力と知恵と研ぎ澄まされた感性が
その後の江戸の繁栄につながったのかな

韓国でも武将は
常に茶道具を携帯し
陣中においても山中においても
茶道を嗜んでいました
それが武将の美意識であったようです

400年ほど前の茶室に座る武将たちの心は
まったくはかり知れないほどに研ぎ澄まされ
ふるえ、そして恐ろしく強くもあったのだろうと思います
でも
守るために殺す
それが前提であるところの研鑚ならば
それは気の毒としかいえない

細川の殿(元首相の)は
そんな武将の思いを一身に背負い
土に向かい合う日を送っておられるのかもしれません
(ぜんぜん違うかもしれません)

いろいろあるけど
今は平和に感謝
と思いました
今日は逗子の海の夕陽に
たくさんの人が足を留めていました