茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

初観音

2009年01月18日 | Weblog
毎月18日は観音様のご縁日
お友達に誘われてお寺さんに行ってきました
ジュータンが敷かれた本堂では
たくさんの人々が熱心に
ご法話に耳を傾けていらっしゃいました

その後
坐禅をするお部屋へ行き
半跏趺坐の練習をしましたが
体が硬くてできません
若いころからできませんでした
でも
瞑想は得意!
昔からよく白昼夢のMINAKOさんと言われていました
違うか

栄西が
宋の修行僧たちが
眠気覚ましにお茶を喫しているのを見て
おおこれはいい!と
茶の実を日本に持ち帰ったというお話は
修行僧さんに失礼なお話と思っていましたが
眠気との戦いは
現実的に大変な試練なわけですね

昨日
ちょうど『禅』という映画を見ました
建仁寺で栄西の弟子明全に師事し
宋にわたり曹洞宗を修め
後に永平寺の開山した道元の物語です
道元は
「ただ座りなさい」と説きました
「死んでからあの世で仏に会ってどうするのです
 今、ここで仏を見なさい」と

座るということは大変です
足が痛い、眠い
そんな体の苦痛も大きいでしょうし
多分
こんなことをしていて何になる
という思いが勝ってしまうのかもしれません
求める気持ちが本当でなければ
挫折してしまうでしょう
座り続けるということは
求め続けることで
求める気持ちがあること自体
そのことがそのまま
仏に向かっていることになるのでしょう

そうそう座ってはいられないけれど
ご縁日の日にお寺さんに行って
和尚さまのお話を聞いて
手を合せ
少し座ってくる
そんな時間を過ごしている老若男女が
都会にはたくさんいるんだということが
冬の寒空に春を感じさせてくれました

お寺さんのポットに入っていたお茶は
山草茶でした
眠気覚ましのカテキンは
なしでした