阿武山(あぶさん)と狂歌とサンフレ昔話

一休宗純の正月を詠んだ狂歌

 新年のあいさつに代えて、タイトルの一休さんの狂歌を紹介しようと思ったのだけど、私の頭にあった歌は調べてみるといずれも一休さんの作かどうか疑わしいようだ。そのあたりのことを書いてみたい。

 まずは、「笈埃随筆」巻八に記述がある元政上人の歌、


  松立すしめかさりせす餅搗すかゝる家にも春は来にけり



国立公文書館デジタルアーカイブ「笈埃随筆」その4より、左端が引用の歌


私の頭の中にあった一休さんの歌は古今夷曲集に入っていて、


 餅つかずしめかざりせず松たてずかかる家にも正月はきつ
 

初句と三句が入れ替わって、末句も違っている。生きた時代は元政上人より一休さんの方がはるかに古いのだけど、元政上人が亡くなったのが寛文8年(1668)、古今夷曲集は寛文6年刊と微妙である。笈埃随筆はそれより約百年後であるから一見古今夷曲集の一休作が正しそうではある。しかし古今夷曲集は他の歌も作者が怪しいものが多数あり、心証としては一休作と主張する勇気は持てない。なお、元政上人の松立すの前のもう一首、


  あららくや人か人ともおもはねは人を人とも思はさりけり


は面白い歌だ。このような上人の人となりから、一休禅師と伝えられる歌を上人の作と記憶違いで入れてしまった可能性がないとは言えないだろう。しかし、だからといって古今夷曲集が正しいとは言いにくい。

次に、狂歌問答から、


 門松はめいどのたひの一里づか 馬かごもなくとまり屋もなし


下の句を「めでたくもありめでたくもなし」と記憶されている方もいらっしゃると思う。ところがこの歌も、一休さんの作ではなさそうだ。図書館のレファレンスでも上の句は諺という説と二種類の下の句について書いてある。また「狂歌詠方初心式」不吉の歌の事の項にも、


「又、俳諧師來山が歳旦の発句に

  門松は冥途の道の一里塚

 かやうに発句せし年身まかりけるよし」


不吉な句を詠んだらその年のうちに死んでしまったとあり、この上の句は来山の俳句としている。しかし、なぜこれらの歌を一休さんの作としてしまったのだろうか。

江戸時代、一休さんの道歌は人気があったようで、一休蜷川狂歌問答はベストセラーだったようだ。その中にも正月の歌がある。

 
 極楽といふ正月にゆだんすな 師走といへる地獄目のまへ


この本は明治の復刻版であるが、明治に入っても一休さんは人気だったのだろう。米屋や酒屋の取り立てが来ている師走の様子を描いた挿絵が入っている。そして、ここに入っている歌もどうやらほとんど江戸時代の作のようだ。このあたりが慣用句あるいはことわざが一休作歌に変化したからくりだろうか。

ここまで書いてきて、もうひとつ大きな間違いに気づいた。それは、一休さんの歌を紹介しようと思った時点で、正月らしいおめでたい雰囲気にはならない事は確定していたのではないか。これらの歌が一休さんの作でないのは私のせいではないが、一休さんの歌で2020年をスタートしようというのはあまりよろしい考えではなかったようだ。この点、新年早々ながらおわび申し上げます。そして、このようなブログではありますが、今年もよろしくお願いします。


【追記】 一休宗純著「一休骸骨」には骸骨の絵と共に歌が入っている。その中には、


  わけのぼるふもとのみちはおほけれどおなじ高ねの月をこそみれ


のような歌もある。この歌は幕末の長州藩士の作とする説など異説もあるけれど、上記リンクの編者は写本について「紙質などから考へても決して天文年間を下るものではない。」(リンクの3コマ目)と記述していて、また元禄五年の一休骸骨にも入っていることから幕末の作ではないようだ。ただし、この本はあくまで法話であって歌集ではない。一休さんオリジナルの歌ばかりで構成されているかどうかは確信が持てない。それにこの歌も末句を「月をみるかな」で記憶されている方が多いと思う。一休作と伝えられるものには、色々歌詞を変えて歌われる歌謡のような傾向があるのか、あるいは逆にそのような歌謡が一休作と伝えられるようになったのかもしれない。
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