おとめ桜
福島県白河市の 白河城三重櫓のすぐそばに「おとめ桜」と呼ばれる桜の木があります。
何の変哲もない普通の桜ですが、隣にある案内板をよくご覧ください。
「小峰城は、寛永九年に丹羽長重公により本格的に築城されたが、城の石垣が何回となく崩れたため、ついに人柱を立てることになった。」
「人柱は築城現場を最初に通った者で、身分の上下及び老若男女の別なく選ぶこととなった。」
「たまたま父を迎えに来た、藩士和知平左衛門の娘が不運にも現場を通り、捕らえられ人柱になったと伝えられている。」
「この娘を哀れんで城内に桜が植えられ、おとめ桜と称されるようになった。」
私が子供の頃から聞いておりますのは、自分の娘がこちら(築城現場)に近づいてきていることに驚いた父(和知平左衛門)が、「来るな!来るな!来るな!」と娘に向かって手を振ったものの、それを見た娘は「来い。来い。来い。」と手招きされているものと勘違いして父のいる現場に近づき、ついには捕らえられ、人柱つまり生埋めにされてしまった。という話。
なんとも皮肉で、残酷な話です。
でも、「身分の上下に関係なく」というのは本当だったのでしょうか。
上の人たちは本当に知らなかったのでしょうか?
現代に至るも語り継がれているのは、当時もそれだけ衝撃的な出来事だったということでしょう。
娘の恐怖と突然娘を奪われた父と家族の悲しみはいかばかりだったでしょうか。
[ 更新日時:2005/07/10 07:55 ]
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以上、Doblog記事より
福島県白河市の 白河城三重櫓のすぐそばに「おとめ桜」と呼ばれる桜の木があります。
何の変哲もない普通の桜ですが、隣にある案内板をよくご覧ください。
「小峰城は、寛永九年に丹羽長重公により本格的に築城されたが、城の石垣が何回となく崩れたため、ついに人柱を立てることになった。」
「人柱は築城現場を最初に通った者で、身分の上下及び老若男女の別なく選ぶこととなった。」
「たまたま父を迎えに来た、藩士和知平左衛門の娘が不運にも現場を通り、捕らえられ人柱になったと伝えられている。」
「この娘を哀れんで城内に桜が植えられ、おとめ桜と称されるようになった。」
私が子供の頃から聞いておりますのは、自分の娘がこちら(築城現場)に近づいてきていることに驚いた父(和知平左衛門)が、「来るな!来るな!来るな!」と娘に向かって手を振ったものの、それを見た娘は「来い。来い。来い。」と手招きされているものと勘違いして父のいる現場に近づき、ついには捕らえられ、人柱つまり生埋めにされてしまった。という話。
なんとも皮肉で、残酷な話です。
でも、「身分の上下に関係なく」というのは本当だったのでしょうか。
上の人たちは本当に知らなかったのでしょうか?
現代に至るも語り継がれているのは、当時もそれだけ衝撃的な出来事だったということでしょう。
娘の恐怖と突然娘を奪われた父と家族の悲しみはいかばかりだったでしょうか。
[ 更新日時:2005/07/10 07:55 ]
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以上、Doblog記事より
+(*_*)+ おはようございます ♪~
なんでも自分の都合良い方にとらえる私もきっと、「来い」だと思っちゃう。
でも。。。きっと私は人柱にはされないと思います。
「お前なんか人柱にしたら、完成と同時に崩れちゃう」って言われそうだわ。
追伸:素敵な週末をお過ごしですかぁ。 (^_^)v
おはようございます。
この話を聞いて子供心にショックを受けたものです。何歳の娘さんか知りませんけど、子供であれば尚更の事。お年寄りであれば言い伝えもなかったような気がします。それにしても、人柱という考えはいつの時代に出てきたものでしょう。
何とも残酷でかわいそうなお話。。。
人柱とか生贄とか、昔の人は本当に信じていたのでしょうね。
今を生きる私達より、神や仏に近かったと言えばそうなのでしょうが、それと共に残酷な(現代的に言うと)慣習も抱き合わせで根付いていたわけで。。。
この桜が、毎年綺麗に咲き誇ることが何よりも供養になるのでしょう。
その父と娘も、この桜をきっとどこかで見ていることと思います。
たまたま最初に通った人を。。それも勝手に決めて実行して・・
本当に酷い話。
今現在なら犯罪ですよね!??
法も整った現代に自由に生きる私たちはとても恵まれているのですね・・
おそらく、まだまだこういう話はあるんだと思いますよ、知らないところで。
このお城の場合、犠牲になったのが本当におとめで衝撃的だったから語り継がれてきましたけど。
それにしても、人を犠牲にしてまで作る城というものにどんな価値があるものでしょう。自分にも娘がいるだけに、この犠牲となった乙女の親御さんの気持ちがよく分かります。
やはり、初めてこの話を聞く方は衝撃を受けますね。私も物心付いて母親からこの話を聞かされたときショックを受けたものです。悲惨な事件が絶えない今の世の中ですけど、なんだかんだ言って、人権保護と言う面では制度も整備されてきていますし、何より人の考え方が変わっていますよね。世の中が逆転しないことを祈るばかりです。
幾つか有りますね。
若い娘さんが多かったようですが、
生け贄はどんな歴史を辿って生まれて
いつ頃から無くなったのでしょうね。
戦争も辛かったですが良き時代に
生まれました。
当時の人たちは、本当に人柱としての効果があると思っていたのでしょうね。科学的知識がないというものは怖いことです。
おそらく医療もかなり適当だったのでは。
かくいう私も、子供の頃は雷には意思があって、悪い人のところには落ちるものと思っていました。