Cのぶらぶら歩き

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言葉の重みとか

2008年11月05日 | Weblog
今から10年ほど前、とある町の教会に通ったことがある。

プロテスタント系の小さな教会だった。
オレは特に信仰が篤いわけではなく、単に知人の付き合い程度のこと。

初めて教会に足を踏み入れた時はその雰囲気に呑まれ、どうしていいか分からなかったけど、皆親切な人ばかり。
優しく受け入れてくれた。

牧師は70代の方。皆先生と呼んでいた。

その牧師がどのような人生を歩んでこられたのかは知りようもないが、傍目で見ても尊敬できる方だということはすぐに分かった。

やはりこういう立場の人は人生経験豊富な人でないとダメだと思う。
話に説得力がないからだ。

この前ある葬儀で最後に若い坊さんの法話があったが、これという感慨もなく、早く終わってくれないかと願うばかり。
これはどんな宗教でも同じことであろう。
言葉の重みというものは、ちょっと本を読んだ程度では得られないものだ。

人の度量というか、心の広さというものも一緒かな。
まあ、これは性格というものも絡んでくるかもしれない。

確か、ある僧の話だったと思うが、自信満々のある若い層が高僧に論争を挑むため鼻息荒く押し掛けたという。

話の前に、高僧がその若者にお茶を振舞った。
さっそく茶碗にお茶を注いだのだが、茶碗が一杯になってついに溢れてもなお茶を注ぐ。
その若者も馬鹿ではないから、それを見て己の驕り高ぶる様と浅はかさを知り、高僧に深々と頭を下げたという。


んなこというオレは、まだまだ青く、心も狭い。
コメント
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