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buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

お知らせ(ブログタイトル変更)

2011年03月29日 | おもちゃ箱


4月を目前にしています。
新しいスタートの季節ですね。

今年は私たち夫婦も
結婚生活30年になります。

子どもたちは、ひとりは留学中、もうひとりは大学近くに部屋を借り
親元を離れます。
結婚後、かなりの時間夫婦ふたりだけで過ごしていましたが、
そのころの生活に、しばし逆戻りです。

ということで、私も心機一転。
ブログのタイトルも新たに(内容はほとんど同じですが、、、)
再スタート、しようという気持ちになりました。

ブログは
「buriurinekoのフリーランスな日々」

実はブログを始める前、自身のホームページ(日々の日記)のタイトルでした。
実際にはフリーランスではないのですが、来るべき『フリーランス』の日々に備える意味でも
いいかな~、と思っています。

今まで『教室の中の小さなアジア』を読んでくださり、ありがとうございました。
これからも、内容はほぼ変わらず、ですので、
どうぞよろしくお願いいたします。



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「Do for others」

2011年03月29日 | 歴史の中の1ページ


明治時代には多くの外国人が日本にやって来て、新政府の新しい国づくりを支えていました。
法律、医学、軍事、教育などの専門家がヨーロッパやアメリカから明治政府に雇用され、
その数1万人を越えると言われています。

医学者で宣教師であったイギリス人のヘンリー・フォールズは1873年(明治6年)
インドの宣教を経て日本にきました。
彼は現在の築地に居をかまえ、築地病院を設立、外科と眼科治療をしながら、宣教しました。
築地病院は現在の聖路加国際病院です。

そのフォールズが日本に来る10年前の1859年(安政元年)、医者であり、宣教師であったヘップバーンが
来日しました。

ヘップバーンは日本に来る前には中国での宣教を目指していました。
一度は中国アモイに入ったものの、大流行していたマラリアを患い、帰国を余儀なくされました。
その後、ニューヨークで開業し、コレラの治療などで成果をあげ、彼の病院は有名になりました。
病院経営はその後も順調でしたが、ヘップバーンは日本での宣教に使命を得ます。
彼はすべてを投げ打ち、ひとり息子も知人に託して妻のクララとともに日本に来たのです。

宣教に燃えていたヘップバーンは
来日後はすぐに、日本で医療活動(横浜の寺での医療活動)、教育活動を始めました。
また、横浜居留地にはヘボン塾という小さな学校を開きました。
のちにヘボン塾は明治学院大学、フェリス女子大学へと発展していきます。
さて、
このヘップバーンというのはヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士のことです。
博士は日本と日本人を愛し、日本語に精通し、聖書を翻訳するために、辞書を編纂しました。

ヘボン博士にとって日本での時間はあっという間に流れていったのではないでしょうか。


「余等夫婦の残年僅少(わず)かなるべしといへども永く日本を忘るること無かるべし。」

と日本を離れる時に、ことばを残しています。
ヘボン博士はこのとき77歳になっていました。
彼は母国を離れ、33年間も日本に滞在していたのです。

「Do for others」

これがヘボン夫妻の生涯を貫く信念だったと言われています。

さて、もうひとり、アメリカ人のバプテスト派の宣教師アルバート・アーノルド・ベネットについて
書きたいと思います。
ベネットは1879年(明治12年)9月にマサチューセッツ州で結婚しましたが、新妻ベラとともに
そのわずか3ヶ月後には日本に赴任をしたのです。
彼は宣教師でしたから、横浜を起点に宣教活動をしました。
1884年横浜バプテスト神学校を設立し、そこで日本人のキリスト教伝道者の教育と育成をしたそうです。
この神学校が現在の関東学院大学の前身となりました。

1896年(明治29年)岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200kmを震源とする明治三陸大地震が
起こりました。M8.2~8.5という巨大地震で、地震後の津波が本州観測史上最高の波高38.2mを記録するなど
津波被害が甚大だったそうです。
ベネットはこのとき、三陸大津波の救援のために横浜で救援金を集め、物資をたずさえ
現地に赴き、被災した人たちのために1ヶ月にわたり不眠不休の働きをした、ということです。

1909年、ベネットは横浜バプテスト神学校創立25年記念会で病をおして奉仕し、その翌日、天に召されました。
享年60歳。

横浜外国人墓地にあるベネットの墓の墓碑銘には
“He Lived to Serve”(生涯にわたって奉仕の人であった)
と記されてあるそうです。

さて、
東北地方の大地震では、今、たくさんのボランティアが必要とされています。
もちろん人によってはベネットのようにすぐに行動を起こして、現地に赴くこともできるかもしれませんが、
今回の大地震ではボランティアの現場も混乱しているようです。

「Do for others」

いつ、何をどんなふうに、支援できるのか、自分自身もよく考えてみたいな、と思っています。


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今日は日本を愛し、日本の人のために奉仕した外国人たちの足跡を駆け足でたどってみました。
おつき合いくださり、ありがとうございました。




出典:明治学院大学の歴史と現在 http://www.meijigakuin.ac.jp/guide/history.html
明治という国家 http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/archives/187912/
関東学院の沿革 http://www.kanto-gakuin.ac.jp/history.html
ウィキペディア アルバート・アーノルド・ベネット http://ja.wikipedia.org/wiki/アルバート・アーノルド・ベネット