札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 旭川市の閉校 ※1校を追加しました

2023-11-22 15:10:42 | 木造校舎・廃校

旭川市の閉校(小学校) 赤字はレポート済 緑字は今回レポート

旭川市

  • 旭川市立中園小学校(1970年旭川市立江丹別小中学校へ統合)
  • 旭川市立中央小学校(1970年大成小と統合し旭川市立知新小学校へ)
  • 旭川市立大成小学校(1970年中央小と統合し知新小へ)
  • 旭川市立春日小学校(1973年)
  • 旭川市立旭川第六小学校(1984年旭川第一小へ統合)
  • 旭川市立就実小学校(1991年
  • 旭川市立日新小学校(1991年知新小へ統合)
  • 旭川市立近文第四小学校(1997年旭川市立近文第二小学校へ統合)
  • 旭川市立上雨紛小学校(2000年
  • 旭川市立旭川第七小学校(2002年)
  • 旭川市立近文第三小学校(2005年近文第二小へ統合)
  • 旭川市立旭川第四小学校(2006年旭川市立旭川第五小学校へ統合)
  • 旭川市立豊里小学校(2006年旭川市立神居小学校へ統合)
  • 旭川市立神居古潭小学校(2007年
  • 旭川市立聖和小学校(2016年旭川市立西神楽小学校へ統合)
  • 旭川市立千代ヶ岡小学校(2019年西神楽小へ統合)
  • 旭川市立旭川第二小学校(2020年旭川市立旭川小学校へ統合)
  • 旭川市立旭川第一小学校(2023年旭川小へ統合)

神楽町(1968年・旭川市に編入)

  • 神楽町立西神楽中央小学校(1956年5月1日西神楽小へ統合)

※wikipediaより

 

旭川市は歴史的建造物も多いので、いつか函館のように集中して廻ってみたい。

 

 

「旧旭川市立上雨紛小学校」 現「旭川市神居公民館上雨紛分館」 NEW

 

開校:昭和24(1949)年
閉校:平成12(2000)年
校舎:(調査中)年竣工

旭川市神居町雨上雨紛

 

上雨紛(かみうぶん)小学校は、今見てもデザインが素敵でお洒落な校舎だ。

建物はRC造りの玄関を間にし、左に教室棟、右に体育館がある
両サイドは貴重な木造2階建て校舎である。

パッと見は木造に見えないが、よく見ると木をふんだんに使用している
それは木材の豊富な上川地区という土地柄によるのだろう。

訪問時はあまりの雪虫の多さと、校庭はぬかるみグシャグシャだったので
正面からの校舎を撮影出来なかったことが残念。

大きな右側の体育館の横にも何かあるようだが割愛した。

閉校記念碑などは見当たらなかったが、これだけ小学校時代のものが
そのまま残っているのならいいだろう。

 

上雨紛は旭川市の南部に位置し、以前は神楽町であった
神楽町は昭和43年(1968年)に旭川市に編入された。

ナビの登録は「上雨紛水辺広場」になっているが
現在は「旭川市神居公民館上雨紛分館」として地域への施設貸出を行っている。

帰途は学校前の上り坂を登り超えていくと途中に見晴らしの良い丘から大雪の山々が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「旧旭川市立神居古潭小中学校」 

 

開校:明治34(1901)年
閉校:平成19(2007)年
校舎:()年竣工

旭川市神居古潭


旭川の市街地から離れて国道12号線で帰途の途中
国道から校舎が見えるくらい12号線に近い。

神居古潭という景勝地がそのまま地名になり校名になった
学校は小中併置校である。

現在は何も利用がないように見える。

校門は無いが国道から入った場所に碑があるのでここであろう。

 

 

 

 

 

 


ここまでしか敷地内には入らなかった

 

 

 


職員玄関だったんだ

 

こっちが生徒かな


校庭が12号線に面している ストリートビューで見ると国道へ向けての看板、
校舎への入口も見える。

 


2023年10月撮影

庭まで行けば違う景色があっただろう。

残念だったのは帰途中でありすでに疲れて、全体的によく周りを見ることが出来なかった。

 

 

 

「旧旭川市立就実小学校」現:旭川市西神楽公民館就実分館

開校:明治38(1905)年
閉校:平成3(1991)年
校舎:()年竣工

旭川市西神楽1線31号270

 

この場所は5月旅行の観光ルートで「就実の丘」から「赤羽の丘」へ行く途中にあるので寄ってきた。

この場所が旭川市とは思わなかった
昔は西神楽であったと思うが…

 

のどかな田園の中に校舎と体育館が残っていた
小さくかわいらしい校舎で玄関ファサードに特徴あり。

敷地への入り口近くに石碑と校門があった
校門はなぜか一つだったが当時は道路沿いにあったのだろう。

現在は公民館分館として地域の住民に使用され、また敷地内に建設会社の
プレハブもあった。

 

開けた東方向には大雪山がたいへん綺麗に見えていた
この辺の場所では後志地区の羊蹄山のような感じで大雪山や十勝連山を
望むことが出来る。

第三者から見ればそれは羨ましいことである。

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年5月撮影

 

 


旭川市の建築探訪④

2023-11-19 11:17:51 | 旭川市

 

「㈱丸京橋本ドライクリーニング工場中央店」

 

所在地:旭川市2条通10丁目左1
建設年:大正14(1925)年

 

元は紙問屋の店舗兼住宅と蔵
正面は昭和30年に改装された。
 
蔵、住宅、店舗、蔵と角地に4棟が立ち並ぶ
紙問屋だけに防火でレンガ造りや、うだつも見られる。
 
何と言っても住宅部の意匠が印象的
外壁にアイヌ文様、玄関上は彫刻レリーフで飾られている。
 
蔵と店舗はレンガ造りで店舗の方は表面にモルタルを塗っている

旭川の個人住宅の中ではかなり異彩を放っているものだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2023年10月撮影

 

 

 

「旧館脇倉庫㈱倉庫」 旭川と道北の建築探訪NO7

 

所在地:旭川市宮下通11丁目1398-2
建設年:大正2(1913)年

 

旧第七師団が旭川にあったころ、この地区は軍事用物資や道北への開拓物流品の集散地であった。

上川倉庫群など現在も一部健在で、この倉庫もその一部であった
主に政府所有の米を保管する倉庫として使用されていた。

明治31年ごろに創業した「館脇煉瓦工場」で作られたもので
アーチ型の入り口や、軒下や妻側に蛇腹で装飾しているのが印象的。

屋根はドーマ窓は後付けのようだ。

 

現在は札幌の人気カフェグループ森彦の「MORIHICO. RENGA1909」カフェが営業中。

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「上川倉庫㈱」 旭川と道北の建築探訪NO8

 

所在地:旭川市宮下通11丁目1604-1
建設年:大正2(1913)年
指 定:国指定登録有形文化財

 

この会社、倉庫群は旭川、道北への流通の貢献をなし
役割は変わったが今なお健在している。

旭川市は旧第七師団と旧国鉄の設置により明治より発展し
現在も北海道第二位の人口を持つ町になった。

それには商人と倉庫が支えた意味合いは大きい
上川倉庫は主に穀物倉庫として大きな役割があった。

その役割が終えたあと、壊すか残すかで悩んだ末に保存と再生の道を選んだ。
現在、この倉庫群は「蔵囲夢」と名付けられレストランやギャラリー、多目的ホールなど文化発信の場所として位置付けた。


木造造りの事務所棟は特にレトロ感が満載の建物で
外観は創建時からそんなに変わっていないという。

訪問時は紅葉のピークで建物群と併せて街並みに彩りを与えていた。


現存する7つの倉庫、事務所棟は国指定の登録有形文化財に指定されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「旧岡田邸」 

 

所在地:旭川市5条通16丁目1099
建設年:昭和8(1933)年

 

前回、初めて訪問したときより紅葉が見事だったので
改めて撮影をしてきた

現在は「おかだ紅雪庭」

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月30日撮影

 

 

 

「洋館」 

 

所在地:旭川市
建設年:不明

市内をめぐっている時に気になる住宅を見つけた。

表に見える棟の隣が木々が生い茂り全然見えない
だがよく見ると、そこには別館があり、以前に「松岡家」住宅で見たのと
そっくりな洋館が隠れていた。

おそらくこれから葉が落ちるときから春先くらいなら
なんとか外観は見ることが出来そうだ。

※住所等は載せません

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

「旧石川理容美容器具店」

 

所在地:旭川市3条通13丁目
建設年:不明

 

参考にしているサイトで写真だけは見ていたが住所までは調べなかった。

市内を廻っている時に偶然通りかかって確認出来た。

印象的なファサードは左右で違うところが面白い
もしかすると増築したのかもと思ってしまう。

サイドから見ると木造板張りになっていたので
正面の飾りが一層目立つ建物だった。

現在は店舗の看板がないので倉庫か住宅に使用しているかも知れない。

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

 

合同酒精㈱ 旭川工場旧蒸留棟 旭川と道北の建築探訪NO34

 

所在地:旭川市神楽岡8条1丁目
建設年:大正3(1914)年

 

「合同酒精」のというよりもはや地域のランドマークにもなっているような塔屋。

「合同酒精」は元は「神谷酒造」であり、ドイツから蒸留機を購入し、技師もドイツから招き寄せて技術指導をさせている
米からの日本酒ではなくジャガイモやトウモロコシから蒸留して作るアルコールの工場を日本初で造った。

この蒸留塔はレンガ造りで5階建てに驚く
これほど高い古いレンガの建物は国内にどれだけあるのだろうか

内部は公開していないが蒸留塔だったので吹き抜けになっているらしい
鉄骨補修もされており耐震性もある。

敷地内には熟成倉庫も3棟あり、こちらも歴史的建造物であろう

訪問時はことのほか紅葉で綺麗に彩られた。

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「旧登鶴酒造(株)倉庫」 旭川と道北の建築探訪NO35

 

所在地:旭川市神楽岡8条1丁目
建設年:明治43(1910)年
指 定:旭川の歴史的建物の保存を考える会 建築賞

 

美瑛軟石で造られたこの酒蔵は以前は旭川市の中心部にあった。

事業が終了した後に解体し、現在の地まで石を運び再建築した
以前は蔵に多い木骨石造りであったが現在の法により鉄骨石造りへと変わっている。

「登鶴」は昔の酒飲みには有名な酒だったらしい
その社長宅は現在も市内で歴史を物語る建物だ。

 

現在は「The Sun 蔵人本店」が再活用している
このお菓子企業も地元旭川を代表するメーカーであり
やはり地元が地元の建物を保存しようとする意志が感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 


旭川市の建築探訪③

2023-11-16 23:40:13 | 旭川市


旭川市の第二弾として2023年10月末に日帰りで行ってきた。

 

「旧第七師団軍用水道バルブ室」 旭川と道北の建築探訪NO5

 

所在地:旭川市近分5線5号
建設年:大正3(1914)年
指 定:土木学会選奨土木遺産

 

旭川春光台公園に隣接しており、内部に入ることは出来ない
柵の外から見ることになる。

レンガの立派な門と説明標示があり、撮影時の秋は特に美しい。

この建物は軍用水道として大正初期に造られた
建造当時は日本最北の水道施設であり、寒冷地対策としてレンガ積みアーチの覆蓋とその上部への覆土により凍結を防止する構造とし、水道の技術史上大変貴重なものとなっているとのこと。

 

現在は「覆蓋付き緩速ろ過池」
現役の施設として市民に石狩川の水を供給し続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「旧第七師団偕行社」 旭川と道北の建築探訪NO1

 

所在地:旭川市春光5条7丁目
建設年:明治35(1902)年
指 定:国指定重要文化財

 

旭川市を代表する歴史的建造物で、「旭川と道北の建築探訪」では
一番最初に記載されている。

この建物は、旧陸軍第七師団将校たちの社交場として明治35年に建設された。
終戦までは、師団関係者の会議、宴会、結婚披露宴、宿泊等に使用されていた。
終戦後は進駐軍が一時、将校クラブとして使用し昭和24年に建物は国から旭川市に移管されている。

しかし、その後は再利用が無かったのかガラスが割れ、外壁の塗装も剥げたりと今にも崩れそうな荒廃した姿の写真もあった。

昭和43年、この建物を博物館に転用するために、復元修理工事を実施、市立旭川郷土博物館として活用後に
現在は「中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館」として内部も見ることが出来る。


道内では札幌の「豊平館」、函館の「旧公会堂」などと同様に
市民、観光客に親しまれていると思う。

平成元年5月、国の重要文化財の指定を受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「旧竹村病院六角堂」 旭川と道北の建築探訪NO2

 

所在地:旭川市春光5条7丁目5
建設年:明治34(1901)年
指 定:旭川市指定文化財

 

この建物は、旭川市内4条12丁目にあった旧竹村病院の玄関を飾る塔屋として明治34年に建てられたもの。

2階建六面の屋根で構成されている
なぜこのような塔屋があってどう使っていたかは不明
待合室の一部なのだろうか?

昭和43年に竹村病院が解体されたとき,現在地である旭川市彫刻美術館(旧偕行社)の敷地内に復元された。

現在内部は非公開。


白い二つの歴史的建物が立ち並ぶ姿が美しく、旭川市の建造物を保存する
気構えが伺える。

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「旧陸軍第七師団騎兵第七連隊覆馬場」 旭川と道北の建築探訪NO3

 

所在地:旭川市春光3条7丁目5-18
建設年:大正1~2(1912~1913)年
指 定:国指定登録有形文化財・近代化産業遺産

 

この建物は、旧陸軍第七師団が積雪時に軍馬を訓練するために造った切妻造煉瓦建造の施設。

かつては各連隊・大隊に配置されていたが、現存するのはこの1棟のみと言われる。

建設されたのは大正1年から2年と推定され、建築面積は1000平方メートル超と広く、
換気と採光のため屋根窓など多くの開口部が設けられている。

平成13年に登録有形文化財に指定された。


写真で見るより実際に見た方が壮観だ
ずらりと並ぶ壁面が見どころ。

現在は「住商アグリビジネス㈱」が再利用をしている
民間施設のためこれ以上の敷地内へは立ち入り禁止である。

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「北海道護國神社」 

所在地:旭川市花咲町1丁目2282-2
建設年:昭和40(1965)年 本堂改築


北海道護国神社は、戊辰戦争から太平洋戦争まで「北海道、樺太関係」の戦没者等の国事殉難者を祀る。

終戦後にGHQにより存続の危機もあったが名称を変え、昭和26年に改めて「北海道護国神社」と改称する
その後は皇族も参拝している。

 

護国神社は、以前に函館と札幌へ行ったことがある
今回は旭川ということで、やはりここへ行かねばならないと思った。

平日でもあり静かでおごそかな社内であった
時期的に七五三祝いで土日は賑やかだろう。

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「旧陸軍北鎮兵事記念館」 旭川と道北の建築探訪NO6

 

所在地:旭川市花咲町1丁目2282-2
建設年:昭和11(1936)年
指 定:国指定登録有形文化財


北海道護国神社の境内にある白壁の大きな建物が現在は「平成館」の名称である。

昭和9(1934)年に陸軍第七師団の北鎮兵事記念館として建設され,昭和43年(1968)まで旭川市の郷土博物館として使用されていた。

建物は鉄筋コンクリート造り2階建てで、戦前にこのような大きな建物が鉄筋コンクリートで
造られたことに驚きだ とある。


今回は北海道護国神社とともに観ることができた。

内部は観ることが出来ないが和風で城郭風の建物は北海道には少なく
一見の価値がある

平成27年に登録有形文化財の指定をうけた。

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「中島交友会館」

 

所在地:旭川市金星町2丁目1
建設年:調査中

 

詳しいことは不明だが、以前は交番であったの記載も見た
場所は「金星児童遊園」内にある。

角地にあり、表通りに面して舳先のように突き出た屋根と
合わせて湾曲している壁がユニーク。

横側に小さな屋根が付いているが、これは以前はこの下にドアがあった名残である。

小さいながらも縦長窓の連続やレンガの煙突など古き良き時代の建物と思われる。

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 


木造校舎・廃校 深川市の閉校 3校を追加しました

2023-11-11 22:58:02 | 木造校舎・廃校

小学校  ※赤字はレポート済 ※緑字は今回レポート

  • 深川市立内園小学校(1963年深川市立納内小学校へ統合)
  • 深川市立納内小学校尚武山分校(同上)
  • 深川市立菊水小学校(1993年深川市立深川小学校へ統合)
  • 深川市立向陽小学校(1993年深川市立音江小学校へ統合。校舎跡は「ぬくもりの里芸術文化交流施設向陽館」として転用され、2003年に文部科学省の「廃校リニューアル50選」に選定された。)
  • 深川市立住吉小学校(1994年納内小へ統合)
  • 深川市立菊丘小学校(同上)
  • 深川市立入志別小学校(1995年深川市立一己小学校へ統合)
  • 深川市立多度志小学校〈初代〉(1997年統合により深川市立多度志小学校〈2代目〉へ)
  • 深川市立幌成小学校(同上)
  • 深川市立鷹泊小学校(同上)

多度志町(1970年・深川市に編入)

  • 多度志町立湯内小学校(1966年多度志小〈初代〉へ統合)
  • 多度志町立宇摩小学校(1967年多度志小〈初代〉へ統合)

中学校

  • 深川市立納内中学校〈初代〉(1981年統合により納内中〈2代目〉へ)
  • 深川市立菊丘中学校(同上)
  • 深川市立吉住中学校(同上)
  • 深川市立音江中学校〈初代〉(1981年向陽中と統合し音江中〈2代目〉へ)
  • 深川市立向陽中学校(1981年音江中〈初代〉と統合し音江中〈2代目〉へ)
  • 深川市立深川中学校〈旧〉(2014年音江中〈2代目〉と統合し深川市立深川中学校〈新〉へ)
  • 深川市立音江中学校〈2代目〉(2014年深川中〈旧〉と統合し深川中〈新〉へ)
  • 深川市立納内中学校〈2代目〉(2014年深川市立一已中学校〈新〉へ統合)
  • 深川市立多度志中学校〈2代目〉(同上)

※wikipediaより

 

「旧深川市立幌成小学校」 NEW    
 
所在地 深川市幌内160
開校年 明治44(1911)年
閉校年 平成9(1997)年
建築年 昭和3(1928)年

 

 

幌成小学校は現存する貴重な木造校舎 校門が現存しているのも嬉しい。

実際には両翼のかなりの部分を解体しているが、玄関廻り近辺を残し「幌成郷土資料館」となった。

内部は開館していなかったので分からないが資料室、収蔵庫、閉校時の職員室をそのままの形で展示、農機具などを収蔵している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1段高い旧校舎の下に新しいコミュニティセンターがあり、その横に記念碑があった
こちらもしっかりとした立派な記念碑である。
ここは以前は前庭だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

また敷地入り口付近には「竜山小学校統合記念植樹」の碑と樹木がある。
昭和26年4月1日に竜山小学校と統合した際の植樹である。

 


2023年10月撮影

 

場所は国道275号線沿いで深川市から幌加内町へ抜ける道の途中にある
かつては多度志町の学校であったが、深川市に統合後に閉校となった。

 


※深川市史より

 

 

 

「旧深川市立宇摩小学校」 NEW    
 
所在地 深川市宇摩
開校年 明治31(1898)年
閉校年 昭和42(1967)年
建築年

 

 

前記の「幌成小学校」と同じ多度志町の学校であったが、こちらは深川市に統合をされる前に閉校したので正式には「旧多度志町立宇摩小学校」となる。

現在は敷地に「宇摩公民館」がある
入口には門柱が現存しているがプレートは「深川市宇摩公民館」である

中には立派な閉校記念碑があり、2つの時代の校舎の姿を垣間見ることが出来る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

国道275号線沿いにあり幌成小学校とも近い
明治の開校時は、開拓の人たちで結構な人口がこの近辺にいたと推測する。

 


※深川市史より

 

 

 

「旧深川市立入志別小学校」 NEW    
 
所在地 深川市一已町11-6
開校年 明治39(1906)年
閉校年 平成7(1995)年
建築年

 

 

旭川市から深川市へ行くときは高速道央道か国道12号線を使用するが
今回初めて道道57号線に入ってみる。

それは「入志別小学校」跡が57号線沿いにあるからだ。

しかし実際には道道と旧校門の間に水路があり、なぜここに校門が?

 

 

 

奥に見える校舎解体後に建てられたと推測する会館のような建物
その前にポールがあり、その土台をよく見るとこの地に移設したと書いてある。

 

それではと会館の奥の広場に行って見ると閉校記念碑があった
さらに隣も空きスペースだ 結構大きな校舎があったのだろうか。

 

 

 

 

 

深川市の小学校の閉校記念碑はどこも立派であった
ただこれまでいくつかの深川市の閉校を巡ったが、必ずしもすべてが立派というわけでない。

 

深川市史にあった校舎写真は旧校舎が全焼したあとに建てられた
昭和37年に新築されたものだろう。

 


2023年10月撮影

 


※深川市史より

 

 



「旧深川市立内園小学校」     
 
所在地 深川市音江町内園641
開校年 明治32(1899)年
閉校年 昭和40(1965)年
建築年
 

旧内園小学校校舎は北海道新聞発行の「旭川・道北の建築探訪」にその姿を見ることが出来る。

この本に掲載される「学校」はそんなに多くはない
だが同じ深川市の「向陽小学校校舎」(現存)も掲載されており、一つの街から2校は珍しい。
その理由の一つとして屋内運動場の設計が石井喜助氏だからだ。

だが残念ながら運動場はおろか運動場も解体されていた。

石井喜助氏(1893-1977)は、岩見沢で設計事務所を、深川市に工務店を開設して地元を中心に設計をした人物。

石井氏は先の「向陽小学校」も設計しており、特徴のある建築物がまだいくつか現存している。

 

現在は深川市内園コミュニティセンターとして建物がポツンとあるだけで
学校があった証がない。

場所は国道12号線に面しており交通量の多い場所にある。

 

 

 

 


2023年10月撮影

 
 
 
 
 
 
「旧深川市沖里河尋常高等小学校」   
 
所在地 深川市音江町広里1079
開校年 明治33(1900)年
閉校年 昭和11(1936)年
建築年 不明


前記の内園小学校跡から深川市方向へ、道の駅を超えてやはり国道12号線沿いにある、現在は豊泉コミュニティセンターが沖里河尋常小学校があった場所。

こちらもポツンと新たなコミュニティセンターが建っているだけだが
よく見ると細長い石碑が立っていた。


字体が良く見えないが「沖里河尋常高等小学校跡」とあり
閉校年は今から80年以上も前のことだ。

当然ながら情報は少ないが、石碑に「向陽小学校50年記念」の文字が見えるので、向陽小学校と統合し、閉校したのだろうか。

それであれば卒業生達が、向陽小の50年の記念に合わせてここに学校が
あったと知らしめるために建てた

これだと意味があると思う。

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

「旧深川市立菊水小学校」     
 
所在地 深川市深川町
開校年 明治28(1895)年
閉校年 平成5(1993)年
建築年
 
 

旧菊水小学校は「深川・留萌自動車道」のすぐ下にあり
場所的には妹背牛町寄りにあった。

目の前の47号線を少し行っただけで妹背牛町になる。

解体された校舎の敷地には「菊水コミュニティーセンター」が建っている
その一角に立派な閉校記念碑があった。

記念碑には当時の校舎が描かれていて、現存していれば素敵な校舎に見えただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 


※深川市史より

 

 

 

 

「旧深川市立音江中学校」     
 
所在地 深川市音江町広里246-1
開校年 昭和22(1947)年
閉校年 平成25 (2014)年 
建築年 平成22(2011)年


 

今回の「旧音江小学校」は二代目であり、旧向陽中学と統合し二代目となった。

その後に旧深川中学と統合し「深川中学校」となって音江の名前は消滅した。

耐震工事を含めて改築された校舎は新しく個性がある
閉校後は「深川市学びと集いの郷 音江広里交流館 エフパシオ」として
地元の交流の場となっている。

道路沿いには水田が広がるのどかな光景だった。

 

敷地内手前には閉校の記念石碑があり、校名プレートも残っていた
学校では無くなったが多くの人に利用される施設に転用され
校名が残されているなど、閉校の一つの形になればよいなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 

 

 

「旧音江第二尋常高等小学校」 道北の建築探訪NO106    
 
所在地 深川市音江町向陽
建築年 
閉校年 平成5  (1993)年 
開館時 10:00~16:00 月曜日定休
 
 

設計者の石井喜助氏(1893-1977)は、岩見沢で設計事務所を、深川市に工務店を開設して地元を中心に設計をした人物。

特徴のある建築物がまだいくつか現存しているので
今のうちに見ておきたいところ この校舎は代表作の一つではないか。

尋常小学校として建設され、向陽小学校になり閉校後は「向陽館」として
芸術家のギャラリーとなった。

市のHPで見てみると入館無料となっていたが、時間がなく外観だけの見学で終わる 次回こそ中も見たいね。

3つある入口のハーフティンバーや階段状ブラケットが特徴的だ
また裏へ廻ると体育館もあった。

前庭の広い駐車場がかつての校庭で、国道12号線をすぐ目の前にして
多くの児童が遊んだり運動したことだろう。

個人的に正面から見た姿が「増毛小学校」「弁華別小学校」と同じくらい素敵なな校舎だと思う。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年5月撮影
 
 
 
 
 
 
「旧深川市立向陽中学校」     
 
所在地 深川市音江町向陽
建築年 昭和22(1947)年
閉校年 昭和56(1981)年
 
 

向陽小学校の右手奥に見える黒い建物が旧向陽中学校。
以前はもっと長い校舎だったが現存しているのは一部だそうだ。

校舎前の木々の中に埋もれるように碑があった
意識していないと見逃しそうな細長い碑であった。

残っていたのは玄関だろうか、赤と青に色を塗られて今でも素敵だ
ここからは小学校の裏側も見れて穴場のようだった。

校庭はパークゴルフ場に再利用されており、かつての卒業生も
校舎を望みながらプレーが出来る。

 

 

 

 

 


2022年5月撮影

 

 


深川市の建築探訪 1件を追加しました

2023-11-09 20:57:14 | 深川市・妹背牛町・秩父別町

 

 

 

「旧多度志村役場庁舎」 道北の建築探訪NO113 NEW     
 
所在地 深川市多度志2130
建築年 昭和11(1936)年
指定等 無し
開館時 無し


 

旧多度志町は明治23年の農場開拓から始まる
その後、大正4年に多度志村
昭和37年に多度志町となる。

昭和45年に深川市に編入され町制8年で「多度志町」は消滅した。

 

この建物は多度志村時代の昭和11年に役場として建てられた
設計はこの地区で多くの設計をした石井喜助氏。

深川市では旧向陽小学校の校舎が石井喜助氏の設計で健在だが
同じようによく特徴の出ている建物だ。


以前は右にある消防署を挟んでH型の建物だった
その両翼だけを残して他は解体
さらによく似た右翼部分も解体された。

残っているのは左翼部分でかつての事務所棟であった。


現在は右に消防、左に多度志土地改良区の施設があり
町の中心にあるのは変わらない。

 

 

 

 

 

 


2023年10月撮影

 

 

 

 

2022年5月22日に滝川市の菜の花を3年ぶりに見に行きました。

コロナ過により2年間はおとなしくしていたけど、少し落ち着いてきたのでね


今回は菜の花と深川の道の駅で釜めしが主目的
限られた時間だったので建築物の見学は最小にした。

 

まずは滝川市へ
菜の花畑は市内を過ぎて深川市との間にある江部乙が中心。

すでに国道12号線から黄色の絨毯が見える
途中の滝川市の道の駅周辺はすでに渋滞だった。

この5/21,5/22,5/28,5/29は道の駅で「菜の花まつり」の日であった。

「菜の花まつり」

 


道の駅はとりあえずパスし、少し走ったところで途中適当に右折して農道を走ると畑がいくつもある。


 

 


 

晴天だったらもっと映えたはず

車も多かったけど徒歩の人もいたので道の駅に駐車したか
バスで来たのだろうね。

菜の花まつりは5/28,5/29で終わりだけど
花自体はまだ咲いているので行くなら晴天の平日がベストかな。

 

続いて12号線をまっすぐ隣の深川市へ


目的は道の駅の釜めし。

深川の道の駅も車であふれていた
土日で天気もまずまず 大勢の人が繰り出した感じ。

駐車場の端に停めて 
駅舎2階の「味しるべ 駅逓」へ。

11時20分到着で待ち客3組あり
その後、順に呼ばれて先に食券を購入(自動でオーダーが通る)
11時50分ごろカウンターの席に付けた 5分後に番号を呼ばれる(料理を取に行く)

 



この時イチオシだった「ホタテとアスパラの釜めし」 1,100円を。
やっぱり美味しかったなぁ
最後の1杯は添えてある温泉卵を入れて、これまた美味し。

 

それでは建築探訪をと
※データは「旭川と道北の建築探訪」2000年発行より

 

「旧鷲田農場事務所」 道北の建築探訪NO107     
 
所在地 深川市音江町
建築年 明治45(1912)年
指定等 深川市指定有形文化財
開館時 訪問時はなし *要問合せ:深川市教育委員会 生涯学習スポーツ課文化・スポーツ係

道の駅から車で12号線を渡り5分ほどで着く
このような古い建物は珍しく、周囲に異彩を放つ。

建物自体は平成13年に修復されており、その前にも数度増改築されているので
竣工時と同じではない。

元は農場経営者の鷲田氏が事務所と住宅を兼ねて和洋折衷で建てたもの。
当時はこのような地主が土地を所有し小作人を使用して農場経営をしていたケースがあったが
戦後の農地解放により地主制度は解体された。

修復時にはあった玄関上のバルコニーは無くなっている
また、中は見学できるようだがこの日(日曜日)は出来なかった。

 

 

 

 

 


2022年5月撮影


 

 

「旧財団法人北海道農業近代化コンサルタント」     
 
所在地 深川市広里町4丁目
建築年 昭和40(1965)年
設計  田上義也 
開館時 一般公開なし

この建物は何といっても北海道建築の父とも呼ばれる
田上義也氏(1989~1991)の作品である。

田上氏は20歳のころフランク・L・ライト氏の設計する帝国ホテル建設事務所に入所
その後、北海道に居を構え、公共大型施設から一般住宅まで数多くの設計をした。
その作品は現存するものが年々少なくなり保存運動に発展したものもある。

この建物は氏の66歳での作品である
個性的な外観で屋根は片流れで雪を一気に落とす
正面から見るとわからぬが、V字の建物で屋根も同様だ。

窓が多く桟も多く感じるのは耐雪なのだろうか
一般的な歴史的建物ではないが、もはや昭和中期の建物である
毎年のように解体される貴重な田上作品を深川で見れてうれしかった。


*現北海道農業近代化技術研究センター

 

 

 


2022年5月撮影

 

 

 

「旧北海道拓殖銀行深川支店」 道北の建築探訪NO102    
 
所在地 深川市4条9丁目
建築年 昭和12(1937)年
指 定 
開館時 9:00~20:00 
 
 

前身は北海道拓殖銀行の深川支店として建設された。
たくぎん破綻後は北洋銀行に引き継がれ、現在は市民の交流センター深川プラザとなっている。
 
JR深川駅のすぐ近くでいわゆる駅前通りになるだろうか
場所的にはもっとも賑やかな場所の一角を占める。

小樽市の銀行建築とは時代も違うが規模が違う 
2階まで伸びるジャイアントオーダーがあるが
建物自体がこじんまりとしているので荘厳や威圧感はあまりない。

しかし軒下や柱頭の紋様など細かい仕事がありじっくりと見たいところだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年5月撮影